消化試合
「それでどうやってこの状況を切り抜けるかだけど」
球は守備位置に戻っている桜花を呼び戻してから作戦会議を始めた。
「正直内野ゴロを打たせてゲッツーを取りにいくより、三振に取りにいった方が安全だし確実だと思う」
「そんなことは分かってるわよ。問題はそれをどうやって取るかでしょ」
「うん。まずは前提条件として誉、もう大丈夫だよね? 大丈夫じゃないと私が退部になっちゃうんだけど」
球は軽く笑いながら言った。
「う、うん! 緊張してるけどさっきよりは平気!」
「それなら良かった。勝つか負けるかは誉の出来にかかってるようなものだからね。だから誉には今までより高いレベルを要求するよ」
「う、なんかすごいプレッシャーが……」
「あなたしっかりしなさいよ。そんなんだから犬にまで舐められるのよ」
「そ、そんな犬に舐められるなんてそんなことある訳ないよ」
桜花が呆れた風にそう言うと誉は慌てて否定する。
「あ! それ私も見たぞ!」
玲は元気良く手を挙げてから続けた。
「買い出しに行く途中で、小学生が散歩してた犬をしゃがんで撫でてたら前足で軽く押し倒されて、そのままおしっこかけられてたやつ!」
「な! ななな、何で知ってるの⁉」
「私と桜花も買い出し行ってたんだ!」
「ああ、そうなんだ……」
「そんなに落ち込むなって! ちゃんと写真に撮っておいたからさ!」
「消して! 今すぐ消して!! 何で桜花ちゃんが止めてくれなかったの!!」
「勘違いしないで頂戴。私はちゃんと止めたわ」
「あ、ごめん……」
「ちなみに桜花はその写真をスマホのロック画面にしてたぞ!」
「あなた何で言うのよ!」
「もーやめてぇぇええ!! 後で絶対消すからね!!」
マウンド上で笑いが起こる。先ほどまでの重たい空気は何処かへ行ってしまった。
「それで具体的にどうするかだけど、誉にはストレートとソードカッターをしっかりと投げてほしい。特にソードカッターは練習でもなかなか安定しないし、腕をしっかり振り切らないと曲がらないからビビって試合でロクに決まってもない。だからここで決めよう。この大事な場面でそれをするのは難しいかもしれないけど、だからこそ私は誉に期待するね」
「う、うん!」
「硬いよ。リラックスして。それと満塁だからランナーは気にしなくて良い。ワインドアップで投げて。何かあれば私と皆で何とかするから、誉は私のミットだけ見て。今までで一番良いボールを三球、私はあなたに要求するから」
「ま! 任せて!」
声を張った誉に対して球は強く頷いた。
「それで他の皆だけど……」
球に野手四人の視線が集まる。
「ごめん。三振取りにいくリードに変えるからさ、もし打たれたらどこ飛ぶか分かんないから! 打たれた時はよろしく!」
「ちょっと! さすがに雑過ぎない⁉ もっと何かないのかしら?」
「いや、そもそも本来七人で守る範囲を四人で守ってるだけでハードルは高いんだって。だから私から四人への要求は守備は任せたっていうこと。強いて言えば少し右目に守備位置を変えておくと良いかも」
「そう。分かったわ。何が何でも得点させないわ」
「うん。その意気だよ。最悪外野に飛ばされたら一点は覚悟で確実にアウト一個取ろう。プレッシャーはめちゃめちゃかかるかもしれないけど任せた。ここがラストの正念場、絶対乗り切ろう!」
球がそう言うと五人は元気良く、「おう!」と返事をして守備位置へと戻った。
「マウンドで土下座なんかしてるやつ初めて見たぜ。最後に良いもん見せてもらったぜ。もう思い残すことはねえか?」
栄司は打席の手前で心底楽しそうに笑っていた。
「それはこっちのセリフです。どんな気持ちですか? 二年生のこの時期に高校野球を諦めなきゃいけない。そう思うと少しはその余裕もなくなるのでは?」
「あははははっ!! 俺がこの状況で負けるとでも? 分かってんのか? 外野に飛ばせば一点は入る。最悪後の奴らがこけようと延長に入ればてめえらに勝ちはねえ!」
「私たちがこれ以上点数を取れないとでも?」
「ああそうだ! あの馬鹿力の四番は敬遠すっからな! そうすりゃあ点を取られる心配はねえ」
「はは、結局あなたは最初から最後まで私を、いえ、私たちをとことん下に見てましたね。それが原因でこの前は負けたのに」
「は! 女が何言ってやがる。この前のは寺園たちが使えなかったからだろうが。あいつら、あんなんだから二年のくせに試合にすら出れねえんだよ」
「まだ女とか言ってるんですか? 良い加減認めたらどうですか? 性別なんて関係ないんですよ。それに今回も負けそうになってますけど。これもお仲間のせいにします? 敦也のサインを無視して勝手した挙句に打たれましたけど。まあこちらとしてはあなたが暴走したから配球を読みやすかったですよ」
「あ? 何が言いてえ……」
「人のせいにできないですよってことです。あのまま敦也のサインに従ってればホームランまでは打たれなかったのに。残念ですよ。清流野球部で試合に出てる人がこんなレベルの低い野球をしてるなんて」
「俺のレベルが低いだと?」
「ええ。正直あなたと敦也が手を組んだ時は良くて紙一重の勝負になるかなと思ってたんですけど、そんなことなかったです」
「てめえ何言ってんだよ。ギリギリもいいところじゃねえか。紙一重どころか、今からお前は完膚なきまでに負けんだよ」
「私の言っていることが理解できていない時点で負けてますよ。そんなんだからレベルが低いって言ってるんです。敦也はもう気づいてると思いますよ。もう勝ち目はないって」
「何であいつが分かんだよ」
「それはあいつが私を良く知ってるからです。私が偉才と呼ばれた所以を知ってるから」
「話になんねえ」
「ならさっさと打席に入ってください。所詮、ここからは消化試合みたいなものですから」