前の打席のようにはいかないぞ!!
「球!」
桜花がフォアボールで出塁すると、次のバッターである玲は打席ではなくベンチへ向かって走ってきた。
「どうしたの? 狙うボールを忘れちゃった?」
「いや、それは覚えてる! でも、このままだとまた初回みたいに三振しそうで……」
玲は心配だ、と顔に書いてあるんじゃないかと思うほど青ざめていた。
「うーん」
「何でも良いんだ! 何かアドバイスをくれ! そうじゃないと三振する気しかしない!」
玲は鬼気迫る勢いで球に詰め寄って縋る。
「分かったから、ちょっと落ち着きなって」
「あ、ごめん……」
「うーん、そうだなぁ……玲は何でそんなに三振したくないの? 三振するのは怖い? 四番として許せない? それともあの先輩に二度も三振するのがいや?」
玲は少し考えてから答えた。
「どっちも違う。今まで何回も三振はしたし、四番なんかはただの番号。それにあいつのことはどうでも良い。三振するのは悔しいけど……」
「うん。それで?」
「私はただ……皆と一緒に野球をしたい。誉が退部になってほしくない。それから皆と一緒に甲子園に行きたい。だから絶対に勝ちたい――負けたくない」
青ざめた玲の顔に血の気が戻ってくる。
「それに唯は痛みを我慢しながら先輩たちをゼロに抑えた。皆も誉のために自分の出来ることを頑張ってる。今もそう。紬も、唯も、私が打つと信じて必死で食らいついてる。球も私を信じてアドバイスしてくれてる――私はそんな皆の期待に応えたい! 周りにどう思われても良いけど、それに応えられないのだけは嫌だ!! だから私は必ず打つ! 皆が作った逆転のチャンスを私はものにしてみせる!!」
「どう? まだアドバイス必要?」
球の問いかけに玲は笑って答えた。
「ありがと! もう大丈夫!!」
最終回、三点差でノーアウト一、二塁、初回のチャンスと全く同じシチュエーションだ。
「また三振しに来たのか? ああ?」
玲は栄司の挑発を無視した。
「おいおい。後輩のくせに無視してんじゃねえよ。そんなに三振したのが悔しいのか? それともビビってんのか? そりゃそうだよな。てめえが打たなきゃ終わりだもんな」
玲が凡退しても唯、誉と打順は続くが、その二人が二点差をひっくり返す可能性は限りなくゼロに近い。つまり玲が打たなければ球たちの負けが決定する。
それを理解していたから玲はあれだけ緊張していたのである。
「ビビってないって言ったら噓。けどそれは皆の期待に応えられないことにビビってるだけ。決してあなたに負けることが怖い訳じゃない! 前の打席のようにはいかないぞ!!」
「良いなお前。おい敦也ぁ!! てめえサイン出すんじゃねえぞ!」
「本当に良いんですか? 栄司さん」
「ああ、邪魔すんじゃねえ。これは俺とこいつとのサシの勝負だ。こいつには一回打たれてっからな!!」
「分かりました」
敦也はそれ以上何も言わずに座った。
「サシじゃないです」
「はあ?」
「だって私には皆がついてるから」
「そうかよ。それじゃあその皆が打たせてくれるといいな!」
二人が構えると審判がインプレーを宣言する。
栄司は不敵な笑みを浮かべながら投球モーションに入ると、身体を大きく使って相手を威嚇するようにボールを投げる。
「うらぁぁっぁああっ!!!」
渾身のストレートは今日の最高球速で約時速百五十キロだった。それが内角高めに吸い込まれていく。先ほど玲が三振をしたコースと全く同じだった。
その瞬間、球は確信した。
鼓膜が破れそうな金属音が響き渡るとグラウンドにいた全員が白球の行方を見失う。
しかし数秒もしないうちにそれがバックスクリーンに衝突したことを鈍い音を聞いて理解する。
栄司は唖然としていた。前の打席で三振をしたコースに今日一番のストレートを投げたつもりだった。空振りするか内野フライになるだろうと予測していたが、結果はホームランだ。それも二点差をひっくり返す値千金の逆転スリーランだ。
もちろん球の指示だ。一球目に先ほどと同じボールが来ると予測していた。
けれど、それだけではこのホームランは生まれなかった。
三振した先ほどの打席との違い。それは無駄な力みがなかったことだ。
栄司の挑発に乗らず、皆のために頑張るという心持ちでプレッシャーを跳ね除けた。
「良かった。皆が打たせてくれたみたい」
ダイヤモンドをゆっくりと一周してからホームベースを踏むと栄司に向かって無邪気にそう言った。