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扇の偉才は逆襲する  作者: one reon
清流高校野球部編
60/68

怖いよ、球

「しゃぁぁぁあああっ!!!」

 五回の裏、スリーアウト目を三振で取った唯はマウンド上で感情を露わにしてガッツポーズをしながら叫んだ。

 皆、驚いていた。普段から何を考えているのか分からず、惚けた表情でのらりくらりしている唯が、常に冷静で、勝利のためにチームに徹し、全く自分の感情を表に出さない彼女がマウンドで闘争心を剥き出している。

 それに復帰早々で五回まで栄司たちを無得点に抑えている。もちろんあれから何度も紬や桜花の守備に助けられて、ランナーを出しながらであったが決して得点を与えることはなかった。

 さらに驚くべきは球のリードに対して一球たりともミスをしていない。全て球の要求通りのボールを唯は投げ続けているのだ。

 仕上がっている。この試合のために調子のピークを調整してきたかのようだ。

「唯ちゃん、すごいです。何で今まで投げなかったんですか?」

 紬が大量の汗をタオルで拭いている唯にそう声をかけた。

「ん? あーまあ、色々あって。それに投げなかったんじゃなくて投げれなかった。だから自分でもこんなに投げれて驚いてる。ふふ、自分のためにできなくても、人のためならできることもあるんだね」

 唯はそう言ってボトルに入ったスポーツドリンクを右手で持って流し込んだ。

「ちょっと、アンダーシャツ替えてくるわ」

 唯はそう言ってベンチ裏の更衣室へと向かった。

 彼女のお陰でチームの悪い流れを断つことができたし、雰囲気もそれなりに良い。皆、それぞれに思うところはあって心に引っかかっているものもあるが、最終回である六回に三点を取って逆転するという目標へ気持ちは向いていた。

 ただ球だけは一つ問題点に気づいていた。あと三点取ることの難しさとか、そういったことではない。言わなくても事が済む可能性が高いが一度言ってしまえば、その大きな問題に立ち向かわなければならない。

 球に言わないという選択肢はなかった。これを言うことが、事に気づいてしまった、いや気づくことができた自分の役割だから。

 唯が更衣室から戻ってくると、球は皆に聞こえるような大きな声量で声をかけた。

「まだ春先なのにすごい汗の量だね」

 もちろん皆の注目が一斉に二人へと集まる。

「あーうん。久々の実戦だったから……思ったより疲れてるかも」

「じゃあちょっとマッサージしてあげるよ。ほら、左手出して」

 球が犬にお手を要求するように手を差し出すが、唯はそれに応えなかった。

「どうしたの? ただのマッサージだって、変なことしないからさ」

「や……え、遠慮するわ。そんなこと言われると何かされそうだし」

 球がじっと唯の双眸を覗くと、彼女は気まずそうに視線を逸らした。

「腕、挙げて」

 球がそう言うと、唯は右腕を上げた。

「唯……左」

 今度は目を細めて少し怒っているような表情を浮かべて、威圧的に言った。

「怖いよ、球」

「……挙げて」

 唯が笑っても球の表情は変わらない。

「……絶対に譲らないから……挙げて」

 唯は観念したように軽く息を吐くと、左腕を上げた。

「な⁉︎」

 玲が驚きの声を上げる。彼女だけではない。球と唯以外の四人は驚愕した。

 唯の左腕が自らの肩から上へ挙がらないのだ。ふざけているのではない。彼女は必死で手を挙げている。これが限界だった。

「ごめん、もう良いよ」

「いや……私こそ、その……ごめん」

「肩、痛いんでしょ?」

 球の問いかけに唯は小さく頷いた。

「でも……どうして分かったの? 正直何でバレたのか分からない」

「ほんの少し、本当に少しだけ、さっきの回から投げる時に肘が下がっていたんだよ」

「それだけで……」

「それだけ? いいや、私にとっては大きな変化だよ。唯のフォームは特にバラつきが小さいんだ。毎回、ほとんど安定して同じフォームで投げられる。それにずっと一緒にリハビリをしてきたのは私だよ? 気づかない訳ないじゃん」

 それもそっか、と唯は納得した。

「だからさ、もう投げさせないよ。もちろん唯には感謝してる。唯が投げるって言ってくれなかったら、ここまで抑えてこれなかっただろうし、二点差じゃ済まなかった。まだ逆転の可能性が残ってるのは唯が投げてくれたからだよ。でも……これ以上投げることは絶対に許さない。唯の選手生命に関わることだから」

「嫌だ」

「はい?」

「怪我とか、選手生命とか、そんなの今は関係ない。勝つために全力を尽くすだけだよ。私が投げることが一番勝つ確率が高い」

「そんな、目先の勝ちだけ考えちゃダメだ。下手したら、これ以上怪我が悪化したら、もう投げれなくなるかもしれないんだよ。唯はそれでも良いの?」

「今は目先の勝利を最優先にすべき。負けたら誉が退部になる。どう考えても、万難を排してでも勝たなきゃいけない。私の怪我なんてどうでも良い」

 唯の言葉を聞いた瞬間、球の頭へ一気に血が昇り血管が破裂したかのようにキレた。

 唯の胸倉を掴むとそのまま壁へと追い込む。

「どうでも良いなんて言うなっ!!」

「じゃあ、誉が退部になっても良いって言うの⁉︎」

「そうじゃない! どっちが大事だとかそんな話じゃないんだよ!!」

「じゃあどうするって言うの? まさか誉をまたマウンドに上げるって? 私が投げた方が確実だし、それにここで勝てないのなら死んだ方がましだよ」

「だからそんな訳にはいかないって言ってるじゃん! 大人しく交代しなって、後は私が何とかするから……ね?」

「……でも、具体的にどうするって言うのさ」

「そんなの選択肢は一つしかない」

 球は唯から離れて後ろを振り返ってから言った。

「誉、投げるよ」


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