……が……うな……
「おい、球。待てって!」
監督への退部宣言後、ベンチに置いてあったエナメルバックを肩にかけ、片手にキャッチャーミットを持った球はそのままグラウンドを去ろうとするがそうはいかなかった。一刻も早くこの場を去りたい。それなのにこの幼馴染は腕を力一杯掴んでそれを許してくれない。
「離して。二度は言わない」
「ダメだ。離したらお前はもう戻ってこないだろ。だから離さない」
「はぁ……痛いの腕。とりあえず逃げないから離して」
「あ、ごめん……」
球に言われて自分が相当な力を込めていたことを敦也は自覚した。
「で、何なの? 早く帰りたいのだけど」
「辞めるってどういうことだよ」
「は? あなた聞いていたの? 悪趣味」
「そんなことどうでもいいだろ! それよりも辞めるって」
「言葉の通りよ。それ以外にある?」
「いやそうじゃなくて他にやり方があるだろ。辞めるのは早計だって」
「早計かどうか、正しいかどうかなんて私が決めることなの。あなたにとやかく言われる筋合いはないのよ。もういい?」
「良くない!」
離れようとした球の腕を敦也は再び掴んだ。
「痛いって言ってんの! 離してよ!」
球は彼の手を振り払おうとするもそれはできない。
「何で離してくれないのよ……」
彼女はその事実に項垂れる。
「離さないよ。だってこのまま離したらお前、野球まで辞める気がする。俺はお前にやってほしいんだよ! 野球をっ!!」
「……が……うな……」
球は全身を震わせて涙を溢しながら叫ぶ。
「お前が言うなぁぁあああっ!!」
彼女のただならぬ咆哮にグラウンドの周辺にいた近隣住民の注目まで集める。
「私から二番を奪ったのは誰だっ!! 私の唯一の居場所を、私の役割をっ!! 私から存在価値を奪っていったのは誰だよっ!!!」
球は敦也の面前まで顔を近付けてから続けた。
「お前だよっ!! お前だお前だお前だぁっ!!! それを自覚しろよぉぉおおっ!!」
「球、落ち着けって。何のことだよ俺は何も」
「お前が私から野球を奪ったんだ!! そんなお前が私を引き留めるとかどんな神経してんだよぉっ!! とぼけんじゃねえよっ!!」
「待てって! 奪う? 何のことを言ってるんだ?」
「はあ⁉︎」
「たしかに二番は俺が渡されたけど、試合は球が出るんだろ?」
「あぁ? 試合に出るぅ⁉︎ 何寝ぼけたこと言ってんだよ!! お前があのクソ監督に言ったんだろ!!」
「いや、まてまてまて! 俺は何も言ってないぞ! まさか! 背番号もらってないのか⁉︎」
「だからとぼけてんじゃねえよ! ああ! もらってないよ!! お前らの望み通りな!」
「俺はそんなこと望んじゃ……」
「黙れ……黙れ黙れ黙れぇぇえええっ!!」
「ぶぅっ!!」
球は手に持ったミットを思い切り振り回すと、それが敦也の側頭部に叩きつけられた。
あまりの衝撃に球を引き留めていた手を離して、蹲ってしまう。
「二度と私の視界に入るなっ!!」
球はそう言うと走ってグラウンドから去ってしまった。
「くっそぉぉぉあああっ!!!! 何なんだよっ!!」
敦也は膝をついて何度も何度も地面を殴る。何で伝わらない。何でこうもすれ違う。何で思い通りにいかない。どうしようもない、行き場のない怒りをぶつける。
それでも状況は変わらない。土で汚れて腫れ上がった手が敦也の目に虚しく映った。