さて、それじゃあやりますか
「六時か……」
球は起きてからスマホの画面を見て少し落胆する。普段なら五時に目覚ましを掛けて起きるのだが、どうやらそれに気づかなかったらしい。どうも昨晩は眠れなかったのだ。どうしてここまで否定されなきゃならないのか。分からない。理解できない。
そんな思考がぐるぐると回るだけで、何の進歩もないままただ時間を浪費しただけだった。
欠伸をしながら部屋の反対側のベッドを見る。すでに誉の姿はない。雑用をしているのだろう。
球はジャージに着替えて部屋を出ると、速足で洗濯場に向かう。どうせこのまま一人で考えていても時間の無駄だ。当の本人にどうしたいのか聞くのが手っ取り早い。球はそう考えた。
「誉!」
洗濯場に到着して彼女の名を呼ぶも、そこには誰もいなかった。ただ、洗濯していた形跡はある。球は隣接している乾燥室の扉を勢いよく開いた。すると隙間なく並べられた何台もの乾燥機がすべて稼働しており、誉は一番奥のそれにもたれかかりながら、体育座りを少し崩した姿勢で寝ていた。
今まで三人でこなしていた雑用を一人でやっているのだ。無理もない。
本当は球たちも手伝いたいのだがルール上それは出来ない。もしバレてしまえば互いにポイントを引かれてしまう。そうなってしまえば誉のポイントはゼロを下回るだろう。
「誉、起きて風邪ひいちゃうって」
球は肩を軽くたたいた。気持ちよく寝ている誉を起こすのは気が引けたが、まだ他の雑用もあるだろうと考えた。
「んん……」
「誉、起きてってば」
球が強く肩を揺すると誉はゆっくりと瞼を開き、自分が寝ていたことと誰かに起こされたことを自覚すると、その相手を確認もせず見事なまでの土下座を即決即断した。
「ごっ、ごめんなさいっ! 違うんですっ! これはサボっていたとかそういうことではなく……その寝ていただけていうか……何と言いますかその……とにかくサボっていたわけじゃないんですっ!」
雑用中に寝ているのはサボっているのではないか、と球は思わず笑いが零した。
「あれ? 球ちゃん?」
「うん。それにしてもすごい土下座だったね。なんていうか謝り慣れてる?」
「そ、そうかな……えへへへ」
「いや、褒めてないよ」
「えぇ……」
「まあ、とにかくこんなところで寝てたら風邪ひくし、筋肉にも良くないから、ほら」
球は紬に手を差し伸べる。
「あ、ありがとう。そ、その……どうしてここに? こんなところ先輩に見つかったら疑われちゃうよ」
「そうだけど、こんなところ誰もこないよ。洗濯物のチェックはしないしね」
「そ、そっか……そうだった」
えへへ、と誉は濁したように笑う。
球は意を決して話を切り出した。
「そのさ、誉は本当にこのまま退部で良いの? もう諦めちゃったの?」
「そ、それは……でもこれ以上はみんなの迷惑になるし、そもそも私の実力じゃあダメだし……それに桜花ちゃんだって球ちゃんに頼りきりじゃダメだって……」
「ねぇ、誉。皆の迷惑になるだとか、実力がどうだとか、終いには桜花がこう言うからだとか、私はそんなこと聞いてるんじゃないんだよ。私は誉がどうしたいのか聞いてるの」
球が少し威圧的な態度を取ると誉は気圧されてしまって、顔を伏せて黙り込んでしまう。
彼女の悪い癖だ。その様子を見て球は続けた。
「私もね。桜花にもそうだけど、色々と言われたよ。女のお前には無理だとか、諦めろだとか、今回の件もそう。何とか誉のポイントを増やそうとした時だって、助けたとしてどうするのとか、その後が続かないよとか……でさ、色々考えたのよ。本当に誉を助けることが誉のためになるのか、本当にこの方法で良いのか、シニアの時みたいに拒絶されるんじゃないのか、とかね。いっぱい考えた。今のこともそうだし、これまでのことも――でも結局、何が正解か分からなくて、何が正しいのかも分からなかった。それでも一つだけたしかだったのは、私の中で揺るがなかったのは誉を助けたいって気持ちだけだった」
誉が泣きそうになっている顔を上げる。
「だからね、私思ったんだ。誰かに何て言われようと、周りに何と思われようと、自分のしたいことをすれば良いんだって。だってさ、一度きりの自分の人生なんだ。他人にあーだこーだ言われる筋合いはない。それにあの時こうしていれば良かったって、そんなくだらない後悔はしたくない。だから私は誉を助けたい。自分の価値を証明するために、私が後悔しないために――もちろんあなたがそれを受け入れてくれるならね」
誉は顔の筋肉をプルプルと震わせて、目尻に涙を浮かべる。
「あ、あの……私は……私は……」
ポロポロと涙を溢しながら誉は続ける。
「ここで野球がしたい……もっと強くなって……もっともっと上手になって、皆と一緒に甲子園に行きたい……だから球ちゃんに助けてほしい」
誉は涙を我慢して力みまくった顔を下げた。
「顔を上げてよ」
誉が言う通りにすると球は彼女の頬を揉みしだいて、それから斜め上に引っ張った。
「ははは、変な顔」
「ちょ、ちょっと!」
誉は頬を摘んだ球の手を払って、涙を流しながら破顔一笑した。
「やっぱ誉の笑った顔が私は好きだな。うん。それに誉が受け入れてくれて良かったよ。断られたらどうしようかと思った」
「こ、断るわけないよ! あそこまで言ってくれたのに……そ、それで、私はどうしたら良い? 誰かに勝負を仕掛ければ良い?」
「ううん。それだと私が介入できるかどうか分からないでしょ? 私があのヤンキー先輩を倒したことは皆知ってるだろうし、警戒して誉と一対一でしか勝負してくれないと思うよ」
「な、ならどうすれば」
「私に誉の配布端末を預けてくれない?」
「え? ど、どういうこと?」
「私に全部任せてって意味だよ」
「わ、分かった。私は知らない方が良いんだよね?」
「うん。誉は勝負にだけ集中してくれれば良いから。ほら、さっさと他の雑用終わらせちゃいなよ」
「あ! う、うん。そういえばもう行かないと。ありがとう、球ちゃん」
誉は配布端末をポケットから出すと球に差し出して、そのまま走って乾燥室を出て行った。
「さて、それじゃあやりますか」
球は渡されたそれを握りしめて、腹を括った。