表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
扇の偉才は逆襲する  作者: one reon
清流高校野球部編
53/68

ごめん、球。もうついていけないや

 シニア野球選手権大会予選の二週間前、練馬第一シニアの専用グラウンドは背けたくなるような重い空気に包まれていた。

 当時、練習の指揮を取っていた球は大会連覇に向けて、チームのクオリティを限界以上に引き上げようとチームメイトをどんどん追い込んでいった。

 ただ、彼女の要求に応えることができたのは敦也くらいだった。激化する練習に他のチームメイトのほとんどがついて来られなくなったのだ。無理もない。彼女の要求は中学レベルをとうに超えている。

 けれど、球にとってそれは相当なフラストレーションだった。自分が持っていない身体能力があるにもかかわらず、その程度で根を上げているチームメイトが理解できなかった。それに自分がもらえない推薦をもらっているものまでいる。

 彼女の立場から見れば納得がいかないのも当然だ。何故もっと上を目指さない。何故もっと努力をしない。何故、何故、何故。

 それでも彼女はチームメイトと、それから自分を追い込み続けた。それをやめてしまえば自分に出来ることがない。そうなってしまえば最早自分に価値はない。

 だから彼女は続けた。たとえ裏で何を言われようと、どんなに自分が嫌われようとも。そんなものは関係なかった。勝ち続けて価値を証明するために。そしてこれが仲間の後々にとって利益になると信じて、球は茨の道を一人で歩き続けた。

 けれどやっぱり、ダメだった。彼女は前に進み過ぎたのだ。一人、また一人とチームを去る。それでも誰一人として彼女に文句一つ言えなかった。皆分かっている。彼女がいなければ勝てないことを。

 今日もまた一人激化する練習に耐えられなくなった仲間がチームを去ろうとしていた。

「ごめん、球。もうついていけないや。俺……頑張ったけど、どうやってもお前の期待に応えられないや」

 彼は小林という、球と同学年でベンチ入りはしているが特に目立った活躍はない。それでもチームに対してとても献身的な姿勢で皆に好かれている心優しい少年だった。他の元チームメイトが黙って辞めていくなか、球に気を遣って直接それを伝えに来たのだ。

 彼の頬を流れる涙が夕焼けに照らされる。

「はぁ、あっそう。ならさっさと荷物まとめてここから去りなさいよ。まだ練習中よ」

 しかし球にそんな余裕はなかった。大会へ向けて県内および全国のめぼしいチームや選手の情報を一人で集めて分析していた。自分の練習時間も取れず、家にいる時も授業中もひたすら分析を行っていたため、ロクに寝むれていなかったのだ。

 それにそれを皆理解している。だから何も言わない。もちろん日に日に悪化していく球の態度に苛立ちを募らせる者も少なくなかったが、それでも彼女を止めようとはしなかった――ただ一人を除いては。

「もうやめよう。こんなやり方は間違ってる」

 敦也だけはいくら拒絶されようと球を止めないわけにはいかなかった。それが幼馴染としての、一番傍で彼女を見てきた、見ることしかできなかった彼の責務だ。

「うるせぇなあっ! しつこいんだよ!! 何回言ったら分かんだよっ!!」

「冷静になれって。疲れてんだよ。お前一人でそこまでしなくたって」

「私以外に誰ができるんだよ……ねぇ、私以外の誰にできるって言うんだよ。敦也にできるのかよ……できねぇだろ! これは私にしかできねえんだよ!」

「それは分かってる。小林だってそれを分かってたから、お前に申し訳なくて直接言いに来たんじゃないのかよ! そんなことすら理解できないのなら一旦休めよ。たしかに俺たちは仲良しこよしで集まったわけじゃない。それでもチームの勝利と同じくらいチームメイトを想えないのなら、お前にチームの指揮を執る資格はない」

「……もう一回言ってみろよ。私がやらないで誰が指揮を執るんだよ。今更あの無能な監督に任せんの? それともお前がやるの? はは、ふざけたこと抜かしてんじゃねぇよ」

「ああ、今のお前に任せるよりは良いだろうよ」

「はあ? それ本気で言ってんの?」

「当たり前だ。このままじゃお前もろともチームがつぶれる」

「この程度で私が潰れる訳ねぇだろ。ふざけるなよ。いいか? この程度ついてこれないやつは、ついてくる気のないやつは辞めてしまえ。今すぐ荷物をまとめて二度とグラウンドに顔を出すな。それで野球なんて辞めちまえよ。そんな奴が甲子園だとかプロだとか言ってるだけで腹立たしい。口だけで才能がないんだよ」

 球がそう言うと敦也は黙って、それも速足で彼女に詰め寄るとそのまま頬を思い切りビンタした。

「もういいっ!! ……もういいから……頼むから、もうやめてくれ!」

 敦也はストレートに言うことしか出来なかった。もう自分には幼馴染である彼女を止めることはできない。だからお願いするしかなかった。

 それでも彼の想いが球に伝わることはなかった。




 あれから一週間、翌週に選手権大会の予選一回戦を控えた日曜日。背番号が渡された日だった。

 球は野球を始めてから決まって背番号二番を背中につけていた。二番は正捕手である証で、彼女がそれを他の誰かに譲ることはなかった。

 しかし今の彼女の手にその二番が手渡されることはなかった。それどころか他の番号さえ渡されなかった。それが意味することはつまりベンチ外、試合に出ることができない。

 ありえないことだ。考えられないことだ。この状況を受け入れることができず、納得もできなかった球はグラウンドの側にあるプレハブ小屋を尋ねた。監督、コーチ室と書かれた扉を開くと中はコーヒーと煙草の香りが充満しており、女子中学生にとってはあまり入りたくない空間である。ノックもせずに開かれたそれに監督は驚いていたが球を認識すると納得した。

「何でですか⁉ 何で私がベンチ外なんですか⁉」

「申し訳ないがチームの総意だ。もう誰もお前の下でやりたくないそうだ。やり過ぎたな球」

「はあ⁉」

 球は座った監督の胸倉を掴み上げてから続けた。

「あんた何言ってんだよ! あんたが不甲斐ないから、あんたじゃできねえから私がやってたんじゃねえか! それなのに……何だよその言い草! 返せよぉ……私の二番……」

「おいおい、良い大人相手にこれはないんじゃないか? それに背番号なんて誰のものでもないだろ」

 監督は球の手を振り払ってから腕を組み偉そうに言った。

「良い大人だったら、もっとしっかりしろよっ!! 何で足りない部分を補おうとしねぇんだよっ!! 全部私に投げやがってっ! そんなんで何が大人だよっ!」

「これが大人なんだよ。俺の役目はお前らがちゃんと野球をできる環境を維持すること、それから皆の意見をまとめて発信することだ。お前がまだ一年だった時、当時の二、三年がお前に全てを任せたいと言ったから、俺はその通りにした。だから今回もそうだ。今のチームの総意はお前をメンバーから外すことだ」

「そんなこと知ったこっちゃねえんだよ! こっちは人生かけてやってんだよ! そんなくだらない感情論で私からチャンスを奪うんじゃねえよ!」

「人生かけて? 中二の分際で何を言ってるんだ? それにむしろ人生かけてやってるのは敦也たちの方だろ」

「はあ⁉ 何言って……」

「あいつらは強豪校から推薦を貰う必要があるだろ。それで甲子園に出て、プロ入りを目指す。十分人生かけてやってるじゃないか」

「そんなの私だって」

「私だって? 待て待て、お前は中学までだろ? 高校は女子野球部に入るんじゃないのか?」

「違う……」

「おいおい、やめておけって。高校野球に女の居場所なんてないだろ。そんなに甲子園に行きたかったら女子野球で行けば良いだろ? 全国の決勝は甲子園でやるし、そこまで行くのはお前ならそんなに難しいことじゃないはずだ」

「私は高校野球で甲子園に行きたいんだ。私がやりたいのは高校野球なんだよ」

「そうか、まあお前がそう言うなら止めはしないが、ただうちの方針は変えない。あくまでシニアは甲子園を、そしてプロを目指す中学生の野球塾であり、強豪校への登竜門だ。敦也たちの意見を優先するのは当然だ。お前にはすまないが納得してもらうしかない」

 その瞬間、球の中で何かがぷつりと切れた。そして理解した。ここに自分の居場所などなかったことを。ただ良い様に利用されていただけなのだと。

 彼女はチームのロゴの入ったユニフォームの上着を唐突に脱ぐと、それを監督の顔面に投げつけてから言った。

「辞めさせてもらいます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ