うるさい黙れ気安く話しかけるな近寄るな視界に入るな
時刻は夜十一時を回った。
球は自動販売機で炭酸飲料を買ってベンチに座り、配布されたスマートフォン端末から電話をかけると、一コールが鳴り止む前に相手が応答した。
「はい、星村です」
「こんな時間に申し訳ありません。急ぎの用事だったもので」
「本当ですよ。やっと明日の打ち合わせが終わったところなのに。まあ監督ってこういうものですよね。ちょっと忙しかったので愚痴っちゃいました。お気になさらず続けてください二木球さん」
「何で私の名前を?」
「そりゃうちの部員ですから、声を聞けば分かりますよ」
「それ、本気で言ってます?」
「はっはっは、冗談ですよ。配布端末からの電話は名前が表示されるので分かるんですよ。まあ、あなたのことは敦也くんから色々と聞いてるのでよく知ってます? けど」
「何で敦也の名前が」
球は自分の何か良からぬことを言われている気がして不安になった。敦也のことになるといつもそうだ。過去の自分を良く知っているからこそ、相当やりづらい。だから微妙な距離感を保つしかない。
それに今は栄司同様に倒すべき相手だ。球のやり口を知っている。色々と警戒するに越したことはない。
「ああ、彼は私が直接スカウトしたんです。練馬第一シニアにすごいキャッチャーがいるって聞きましてね。彼が中学二年生の時に口説きに行ったんですよ。噂とはかなり違っていましたが、間違いなく逸材でした。よくあんなろくな指導者がいないチームであそこまで育ちましたよね。やー彼を拾えて良かったですよ」
「そうなんですね」
球の内心は穏やかではなかった。過去の失敗と自分で招いた理不尽を思い出してしまった。中学二年、シニア時代の失態を。
「あ、ごめんなさい。べらべらと、それで用件は?」
「その、ポイントの移譲をお願いしたいんです」
球は結局、明後日までという短い期間に栄司のポイントを下回る案を思いつかなかった。それにたとえ下回ったとしても、栄司と敦也の二人を相手に今の戦力で勝てる可能性は低い。それならいっそのこと自分のポイントを誉に渡してしまえば良いのではないか、と考えた。
この案ならリスクなく誉を助けることができる。ただ、ルールブックにポイントの譲渡に関する記述がなかったため、直接監督に頼むことにしたのだ。
「へえ、移譲ね。何となく察しはつくよ。退部圏内に友達でもいるのかい?」
「そうです」
「で、その子にポイントを渡して、退部圏内から脱出させたとしてどうするんです?」
球は困った。星村の質問の意図が理解できなかったのだ。退部圏内から脱出させて、それで終わりじゃないのか、と。
「どういう意味ですか?」
「分からないですか? もう少し頭が回ると思っていたんですけど、野球以外は疎いんですね。何てアンバランスな」
「私はただ友達を助けたいだけなんです」
「それは理解してますよ。私が聞きたいのは今後の話です。何となく分かると思いますが今後こういった足切りは何度もあります。その度にあなたはその子を助けてあげるんですか? 実力がないのなら今リタイアしてもらった方がその子のためになると思いますよ」
「私が助けた後ですか? それはあの子が自分の足で上がっていきますよ」
「今それができないのに? 言っておきますけど、今後はもっと厳しくなっていきますよ」
「それでもです。ここさえ乗り切れば。ポイントシステムの欠陥に潰されさえしなければ」
「む、聞き捨てならないですね。きちんと説明していただいても良いですか?」
球は今までの流れを簡単に説明した。退部間際になった栄司が誉からポイントを奪ったことまで。
「今回の、私たちと鰐淵先輩のような大きな順位変動が起こった場合の対策が不十分なんです。誉の順位は実力に合ってないです。これは実力主義に反するのでは?」
「なるほど、あなたの言いたいことは理解できますし、確かに筋も通ってる。ただ、そういった理不尽も含めて、このポイントシステムの意義なんだよね」
「そ、それは……」
「けれど、それを承知の上であなたの意思を通したいのであれば聞き入れましょう」
「ほ、本当ですか⁉」
「成果を求めて行動する者、それも可愛い一年生の頼みだもの、無下にはできません」
「なら!」
「ただし! それには覚悟が足りませんね。言ったでしょう? 自分の意思を通したいのでしょう? それならポイントの移譲では覚悟が足りない」
「覚悟……ですか」
「ええ、移譲ではなく交換なら認めましょう。あなたの今の順位、そんな安全圏からなんてダメですよ。あなた自身が落ちる覚悟を持ちなさい」
「ちょっと待って下さい! いくら何でも」
「ええ、無理は承知です。そのくらいの覚悟を示しなさい、という訳です」
球は黙ってしまった。重い選択だ。自分の夢をかけて誉を助けるか否か。勝てば良いのだが、相手が相手だけに今回ばかりは強気に考えられない。
「まあ、決まったらまた電話して下さい。そうは言っても明後日には足切りですから、遅くても明日中に連絡はして下さいね。では」
星村はそう言って一方的に電話を切った。
球はどうしたものかと、一息ついてから星空を見上げた。頭の中とは対照的に透き通った空、良く星が見える。
星村と桜花に言われた言葉が思考にずっと引っかかっている。
チームを勝たせるために、勝って自分の価値を証明するために、そして何度も夢に見た甲子園に行くために、野球以外の全てを捨て、試行錯誤の末に辿り着いたのが今の彼女のプレースタイルだ。結果も残している。それが今、正確には今も否定されている。シニア時代に引き続き拒絶されてしまった。
このままこのやり方を貫いても良いのだろうか、自分の夢をかけてまで誉を救ったところで、またシニア時代のように拒絶されてしまうのではないか。そんな考えが頭の中を堂々と巡る。
「あぁぁああっ! もうっ! 訳わかんない!!」
思考が一向に進まない苛立ちから、手に持ったままの炭酸飲料の缶を思わず投げてしまった。しかもタイミング悪く、球が投げた缶の軌道上に人影が現れる。
「あ……」
気づいた時にはもう遅かった。せめて先輩ではありませんように、彼女はそう祈るしかなかった。
「痛ってぇええっ! ……何だよこれ」
「す、すみません! 大丈夫ですか?」
球は慌てて缶をぶつけてしまった相手に近寄ると、自販機の明かりでようやく視認できた。
「ちっ! 何だ敦也か。謝って損した」
「おい、損したはないだろ。腕だったから良かったけどよ、当たりどころが、悪かったら洒落にならないぞ」
「うるさい黙れ気安く話しかけるな近寄るな視界に入るな」
「はぁ、まったく。相変わらずだなお前は」
「うるさい、あんたなんかに分かられたくない。私から居場所を奪った、何もかも奪っていったあんたに分かられたくない」
「そうか……」
「うるさい、あんたが近くにいると昔のことを思い出すのよ。だからさっさとどっか行って」
「ああ、コーヒー買ったらすぐにでも行くさ」
敦也は自販機の取り出し口から缶を手に取ると、地面に落ちていたもう一つの缶を拾い上げて、球へと軽く放った。
「ほらよ。投げんなよ、危ないから」
「ちっ!」
球は舌打ちをしながらそれを受け取ると、闇に紛れる敦也を確認すると何となく缶を開封した。
「あっ……」
口から溢れる炭酸飲料が手を汚していく。その不快感とともに球はシニア時代のことを思い出していた。