やっぱり私なんかが高校野球なんて無理だったんだ……
「てめぇ、俺を呼び出すなんていい根性してんじゃねえかよ。昨日の今日でよ。そんなに仕返しされてえのかよ」
栄司はベンチに座って正面に立つ球を睨みつける。
「先輩、それはこっちのセリフですよ。良くもやってくれましたね。私たちには敵わないとみて誉一人を狙い撃ちにするなんてさすがですよ。元、ベンチメンバーは伊達じゃありませんね」
「言ってくれるじゃねぇかよ。クソ女のくせに」
「ええ、言いますよ。だって事実ですし、私の方がポイント高いですから」
「そんなに俺と勝負してぇのか?」
「話が早くて助かりますよ。受けてもらいますよ。六人野球で――あなたと私のポイントをすべて賭けて」
栄司は球に意表を突かれた。一瞬だけ驚きを露わにするが、次の瞬間には愉悦に浸った笑みを浮かべる。
「ああ、お前の狙いは分かった。俺とお前で勝負をして勝てば、協力者としてあのチビのポイントを回復させるつもりだろ。それで軽く挑発して全ポイントを賭けるってでも言えば俺は確実に勝負にのる、って感じか――残念でしたぁ! そんな勝負受けねえっつうのっ! てめぇの思い通りになんてさせねぇって!」
誉のポイント奪還と仕返しを一度にできると考え、あえて喧嘩をふっかけたがこうなってしまうと別の手を考えざるを得ない。球より栄司の所持ポイントの方が圧倒的に低い。主導権は栄司にある。球は思わず舌打ちをした。
「せいぜい負けて俺よりポイントを減らすんだな!」
栄司は決して勝ってはいないが勝ち誇った顔をしている。一度出し抜かれた球に仕返しを達成できた気分なのだろう。
「……ポイントを」
「あ?」
「ポイントをあなたより低くしたら、この条件で引き受けてくれますか?」
栄司は一瞬だけ固まるが、すぐに下品に大笑いした。
「あぁ! やれるもんならやってみろやっ!! ただし八百長でもしてみろ。すぐ上に報告してやるからな。この意味分かってるだろ?」
清流野球部のルールによれば、勝負における八百長の発覚は両者もしくは一方の全ポイントを剥奪し、退部処分とする。つまり八百長はできない。敗北を重ねるか、ポイント差が大きい相手に八百長なしで敗北をしなければならない。
「本当に受けてくれるんですね?」
「しつけぇなぁ! 一回言えば分かるだろっ!」
「あなたみたいな人の口約束を信用する訳にはいかないんですよ。書面でも録音でも良いので証拠を残してください」
「てめぇ……っ! 良い加減にしろよっ!!」
栄司が立ち上がって球に詰め寄る。
「栄司さん、待ってください」
自販機の陰から現れたのは敦也だった。球は思わず目を細める。
「敦也……」
「俺が証人になりますから。一旦落ち着いてください。球もそれで良いな?」
「何であんたなんかに……」
「そりゃ良い。あぁそうだ。お前さ、万が一こいつと勝負することになったら俺のチームに入れや。他の二年より使えそうだ」
「俺がですか? まあ良いですけど」
「て訳だ。この条件以外で俺は勝負を受けねえ。まあ、俺よりポイントを低くできたらだがな」
栄司は再度ベンチに腰を下ろす。
「そういやぁ今夜だなあ。あのチビよぉ、ポイントゼロ手前だろ? 楽しみだなぁ……あいつ、どんな表情するんだろうなぁ。俺にポイント奪われた時は泣くの我慢してたからよ。今度こそあいつの不細工な泣き顔拝みてえな」
「何のことですか?」
「あぁ? 時期に分かる。てめぇと話すことなんてもうねえよ。さっさと失せろ」
今夜が楽しみ、そんな栄司の言葉が球の頭に引っかかっていた。今夜何があるのだろうか、嫌な予感しかしなかったし、練習にも身が入らなかった。それでも時間は過ぎて午後七時を回った。
大会議室に集合せよ、と寮内にアナウンスが響く。
球たちは事務棟にある大会議室へ行くと以前のようにすでに席は埋まっており、彼女らは最後列で立っていることにした。前方の寺園がスクリーンとプロジェクターを起動させると星村監督の顔が大きく映し出される。
「やあ、一週間くらいぶりですね。ポイント制度の導入から毎日、君たちの勝負映像や報告書を見るのが楽しみでね。あぁ皆、頑張ってるなあって。でもね、頑張るなんて当たり前ですよね? 口うるさく言っていますけど、うちは実力主義。頑張っていようが負けてしまったら意味がない。勝てるように、勝つために頑張りなさい」
星村は手を胸の前で軽く打った。
「さて、君らの貴重な練習時間を奪う訳にはいかないので、さっさと本題に入りましょうか――今日皆さんに集まってもらったのは毎年恒例、一回目の足切りの告示をするためです。三日後、下位十名を強制的に退部とします」
球が目を見開く。頭に引っかかっていた栄司の言葉の意味がようやく理解できた。
会議室内の一年生がどよめく。
「おっと、ざわめいてますね。まだ正式な入学前なのにって感じですか? それとも時間が足りない、早すぎるとか? 良いですか? 一週間あったわけです。その期間に成果を出せなかったのは高校野球では致命的なんです。試合では一打席、一球で勝負が決まるんです。一週間のチャンスをものにできない人が試合の切迫した場面で、その一球をものにできますか?」
星村の言葉に会議室を静寂が支配した。
「まあ、そういうことです。現時点で対象者の端末にはアラームが表示されています。期限は明後日、その時点で下位十名を強制退部とします――では、私は明日の二回戦の打ち合わせがあるので」
スクリーンに映し出された通話アプリの画面が落ちると、重々しい空気の中、会議室から続々と部員が出て行くが、誉は口を半開きにして膝を抱えていた。虫の抜け殻のように動かない。
「誉……」
足元には支給された端末が放られており、画面には退部警告と無機質に、そして厳かに表示されている。
「誉、戦おう。まだ期限まで時間はある。あの先輩から奪われたポイント取り返そ」
球は正面から誉の肩に両手を置いて呼びかけるが、彼女にそれは届かなかった。
「んぐぐぐぐっぅ……あいつぅっ! あいつのせいでぇ……っ!」
その様子を見て玲は怒り心頭に発していた。そんな彼女の頭を紬は軽くはたいた。
「こら! そんなことは皆分かってるんです。玲ちゃんがそんな風に怒っても意味がないでしょ?」
「でもっ! あいつ許せないっ! 誉が一人のところを狙いやがってっ!! こんなの卑怯だよっ!!」
「分かってます! 私だって……こんなの許せません……」
紬がテーブルに拳を立てると打撃音が会議室に虚しく響く。
静寂の中、辛うじて誉が口を開く。
「わ、私……やっぱダメだった。球ちゃんのお陰で強くなれたって思ってたけど……勘違いだった……自惚れてた……やっぱり私なんかが高校野球なんて無理だったんだ……」
誉の頬を一筋の涙が伝う。
彼女以外の五人は何とかしたい、してあげたい、そう思っていたがどうすることもできない。彼女自身が諦めてしまっては、何かをしてあげようにもできない。
ポイントを奪われ、退部寸前まで追い詰められた。勝負に負ければ死、何もしなくても死、残された生存の道は勝負に勝つのみ。それが分かっているからこそ、誉は何もできない。彼女はこんな時だからこそ尻込みしてしまう。
一方、球は内心うんざりしていた。何故、こんなにも良くないことは重なるのか。何故、こんなにも思い通りにならないのか。苛立ちを覚えた。
ただ、そんなことを考えていても何も解決にならないことはすぐに理解した。
さて、どうする。どうすれば誉を助けることができるのか。自分よりポイントが高い相手、球が勝負を挑める相手はいない。八百長も使えない。誉自身で勝負を申し込めれば問題ないのだが、肝心の彼女自身がほとんど諦めてしまっている。いっそのこと彼女をここで見捨てて諦めてしまおうか。彼女が諦めてしまっているのだから、それも仕方のないことではないか。
桜花の言葉が再度フラッシュバックする。本当にこのまま助けて良いのだろうか。私が助けることは彼女にとってためになるのか。
球は自問自答した。
それでも、球には誉を見捨てることなんて出来なかった。球を信じる。誉はそう言ったのだ。自分のことは信じられないけど、球のことなら信じられる。
誉だって本当は諦めたくないはず。彼女の勝ちたい、という言葉が球の頭の中でフラッシュバックする。
その瞬間、球は誉を見捨てるという考えをさっぱりと捨てた。
「大丈夫だよ誉。あなたを勝たせる、あなたにはそれだけの力があるって、前に言ったよね。その言葉に二言はない。だから、絶対に誉を退部になんかさせないから安心して……大丈夫だから」
球は柔和な笑顔を誉に向けた。