甘えてんの、それは
桜花の放った言葉に全員が彼女へ注目を向ける。まさかだった。今この状況で、退部という最大の危機を回避したこの状況で、張本人である彼女から出た言葉とは誰も信じられなかった。
「何だよ桜花。急に……これで上位三十には入れたし、皆も雑用圏内から脱出できた。これで一日中練習できる。これで良いの? ってどういうこと? 私たちは勝ったんだよ。これ以上があるの?」
「私はこの勝ちに納得してないわ。それに皆が何でそんなに手放しで喜べるのかも分からない」
「何でそんなこと言うの? 私たちでも高校野球で通用することが分かったんだよ。そりゃ皆嬉しいよ」
「高校野球で通用? あんなので通用するなんて思ってるのなら考えを改めた方が良いわ。どう考えても、私も含めてまったく歯が立たなかったじゃない。そんなことも分からないのかしら」
「何言ってるんだよ。桜花だって大事な場面でちゃんと打ってたじゃん。十分通用してるよ」
「は? たしかに打ったわ――でも、それはあなたの助言があったからだわ。それがなければ確実に打てなかったわ」
「いや、そんなこと……」
「それ以上は言わないでちょうだい。そうじゃないってことはあなたが一番理解しているはずよ。それに私も理解しているわ。問題なのは、納得いかないのはこれよ。球がいたから勝てたじゃなくて、球がいなかったら確実に負けていたっていう事実。私たちはまったく通用していなかったの。あなたに通用するようにしてもらっただけ。こんなの手放しで喜べる訳ないわ」
一同は静まり返る。思い当たる節はあるし、彼女の言っていることに同意できたからだ。自分一人じゃあ何一つできなかった、それが球以外の共通認識だった。
ただ、球は桜花の言うことを理解はできるが共感することはできなかった。
「それの何が悪いの? 野球はチームスポーツじゃん。誰かの手を借りるのは当たり前のことだし、それに……それを拒まれたら私の価値がなくなるよ」
「そんな良し悪しの話をしてるんじゃないわ。それに野球は九人の個がそれぞれの役割を果たすスポーツだし、それこそチームプレーだわ。あなたに頼りっきりなこの状況をチームとは言わないわ」
「そんなこと……」
「そんなことあるのよ。いい? 今日はあなたのおかげで勝てたかもしれない。でも今後はどうかしら。もっと上のレベルで戦う時に今日のようにいくかしら? 私はこの球におんぶに抱っこされたままで、これ以上、上に行けるとは思えないわ。甲子園はおろかベンチにすら入れない――だから今のままじゃダメなのよ。こんな勝利に甘んじていちゃ私たちに未来はないわ」
桜花はベンチに置いたタオルと水筒を持ってから続けた。
「言いたいことはそれだけよ」
彼女はそう言って球たちから勝利の喜びを奪い、気まずさだけを残してグラウンドを去った。
「はあぁぁ……」
球は自室でパソコンと向き合いながら、大きな溜息を吐いた。
桜花が言っていたことを理解はできるが、それを受け入れてしまえば、もうどうすることもできない。
皆の長所を活かして、それぞれが現段階における最高のパフォーマンスを引き出し、それで自分たちよりも数段格上の相手に勝利を収めた。あれだけ見下して来た相手の足元を掬って、この女人禁制である高校野球において大きな一歩を踏み出したのだ。
これ以上は求めてはいけない。求めてしまったらシニア時代の二の舞になる。球にとってそうなることだけは避けたい。
今度こそ、失敗しないように立ち回っていたつもりだったが、結果的に桜花を怒らせチームの輪を乱してしまった。
「あぁ、どうすれば良いんだろ」
両腕を天井に向けて上半身ごと伸ばす。
自主練を終えて夕方、昨日の敵味方全員のデータまとめて解析をしていてもイマイチ集中できない。桜花の言葉が頭から離れない。
「ダメだなぁ、また足踏みしてる。そんな暇なんてないのに……」
このまま解析をしていても埒があかない。球は立ち上がり、立てかけてあったバットを持って部屋を出ようとしたところで、扉が勢い良く開いた。
「大変だっ! 球っ!!」
「おっ! びっくりしたぁ、心臓に悪いって」
「いいから早く来てくれ! 誉がっ! 誉が大変なんだっ!!」
球は狼狽した玲の様子に目を細める。
「分かったわ、行きましょう」
球が林の練習場に到着すると、誉は紬の胸の中で泣きじゃくっており、呼吸もままならない様子だった。紬は彼女を落ち着かせるために背中をゆっくりと摩るが、ほとんど効果がない。
一体何があったのか。どうしてここまで取り乱しているのか。そんな疑問が球の頭に浮かんでくる。
「ポイントをほぼ奪われたらしいんです」
紬は少し怒りを表情に浮かべ、そのまま球の疑問に答えるように状況を簡潔に説明した。
「ポイントを? どういうことよ」
「あの栄司っていう先輩に今日勝負を挑まれたらしいんです。もちろんあちらの方がポイントが少ないので受けるしかなかったらしく」
それだけで球は十分に理解できた。球と桜花にほとんどポイントを奪われた栄司が、誉が一人になったタイミングで彼女に勝負を挑み、助けをよばれる前に半ば強引にことを進めてポイントを奪ったのだ。
昨日時点において栄司のポイントはほとんどゼロである。誉が負けた場合、ポイント差を考慮すると両者のポイントがそのままひっくり返ることになる。つまり現在、誉の持ちポイントはほぼゼロということだ。
「ごっ……ごめんなざぃ……折角……皆のお陰で……ポイントが増えたのにぃ……」
誉は嗚咽まみれにそう言ってから、更に大きな声音で幼児のように人目を憚らずに泣いた。
「どうしよう……なぁ球! 何とかできないのか?」
玲にそう言われた瞬間、桜花の言葉が球の頭にフラッシュバックする。
このまま手を差し伸べても良いのか。本当は誉のためにならないのではないか。また次に同じことが起こってその繰り返しなのではないか。そんな考えが頭をぐるぐると巡る。
それでも球は手を差し伸べるしかなかった。だって自分のことを信じる、と言ってくれた友達が目の前で追い詰められているのだ。助ける理由なんて、手を差し伸ばす理由なんてそれだけで十分だった。
球はごめんなさい、と泣きながら連呼する誉を抱きしめてから続けた。
「ごめんなさい。あなたにもうそんな思いはさせない、って約束したのに。約束破っちゃって。でも大丈夫、安心して。私が必ず何とかするから」