私に指図するなぁっ!!
球と敦也が出会ってから二年ほど経った。二人は練馬第一シニアに入団すると、球は一年生ながら正捕手として抜擢されチームを全国選手権大会において優勝に導いた。
それまで大した実績を残していなかったチームを優勝に導いた立役者として、中学野球界で非常に注目され当時、偉才の名を知らない者はいなかった。高校のスカウトからいくつもの声がかかった。しかし、どれも女子野球部への推薦だった。世代ナンバーワン捕手とまで言われていた球ですら性別の壁は越えられない、それが彼女に対する世間の評価だった。
だから球は満足することなかった。勝ち続けていれば、いつか誰もが認めてくれる筈だ。女の私だって高校野球で十分にやっていけると。誰にでも認めさせてやる。そうやって心の内に秘めながら、一歩一歩確実に前進していたのだが、この頃になると球に焦りが出てくる。
周りとの身体能力に差が生じ始めた。男子の第二次性徴は女子のそれより遅い。段々と周囲の男子に力で劣ることが多くなったのだ。
仕方のないことではあるが、高校野球で生きていくためには彼らと同じ土俵で戦わなくてはならない。
身体能力の劣る自分に何ができるか、自分にできる唯一無二は何だ。そう考えているうちに彼女は原点に回帰した。それはチームを勝たせることだった。徹底的に磨いてきた技術と圧倒的な知識量を活かしてチームの指揮を執る。チームメイトの長所を伸ばし底上げをして、相手チームの分析も漏れなく行うことで勝利への道のりを徹底的に整備した。彼女一人で。
そうしていくうちに、監督は試合における采配やサイン出しを球に丸投げするようになった。異例のことだったし、ベンチから女子中学生がサイン出しをしている光景は周りから見れば異様だった。ただ監督は職務を放棄した訳ではなく、球に任せた方が勝てる可能性が高いと判断したのだ。それほどまでに球は野球を突き詰め過ぎていて、勝つこと以外に考えられなくなっていた。
お陰でチームは順調に力を伸ばしていき、練習試合では負けなしでその年も全国優勝確実とまで言われていた程だった。しかし、球はそれでも満足することはなかった。あくまで目標は高校野球で甲子園だから。踏み台である中学でいくら賞賛されようと、彼女にとって何の意味もなかったのだ。
だから彼女は更なる高みを目指した。心に秘めた焦りを肥大化させながら。
しかしただでさえ群を抜いた球が更に上を目指して、それをチームメイトにまで要求してきたらどうなるだろうか。そう、誰もついてこられなくなる。案の定だった。
彼女のチームメイトに対する言動は次第に強くなり態度は悪化していった。それでも誰も何も言えなかった。彼女のお陰で勝つことができるし、今の自分たちの地位があるのだ。すでに強豪校からの推薦を手にした者もいる。彼女がいなかったら今の自分たちはいないと、全員が分かっていたのだ。
けれど彼女は止まらなかった。焦りの肥大と共にチームの雰囲気は指数関数的に悪くなっていった。
このままではいけない、何か起こる前に球を止めなきゃ、と立ち上がったのは敦也だった。一番彼女に恩義を感じている彼だからこそ、彼女の孤独に進む姿をこれ以上痛々しくて見ていられなかった。
放課後、地元の中学校の教室で敦也は自主練に出ようと机周りを片付けている球を呼び止めた。
「球、もうちょっとペースを落とさないか? これじゃあ皆ついてこれないよ。現に何人もやめちゃってるじゃん。良くないって。それに少し休んだ方が良いって誰がどう見たってオーバーワークだよ。授業中もずっと寝てるし、そろそろ先生に呼び出されるよ」
ただ彼の配慮が裏目に出るなんて、本人は思いもしなかった。チームで誰よりも一緒に時間を共有して、時には喧嘩なんかもして敦也にとって球は親友であり、師匠であり、ライバルだった。だからそうなるとは微塵も思っていなかった。
「……さい」
球は立ち上がり全身を震わせて、真横に立つ敦也を親の仇のように睨みつけた。
「うっさいんだよっ!! 私に指図するなぁっ!!」
その怒号に教室に残っていたクラスメイトの視線が二人に集まる。
球はそんなことはお構いなしに敦也のブレザーの前襟を掴み捻り上げると、ボタンが弾け飛んだ。
「おい、落ち着けって。別に指図しにきたんじゃ」
「これを指図って言わねえで何て言うのよ!! 失せろっ!! あんたは自分にできることをやりなさいよっ!! 私は……私にはこれしかないのよっ!! 私にはあんたたちみたいな身体能力がないの……チームを勝たせること、私の価値はこれしかないのっ!! それができないのなら野球なんてやる意味がないっ!!」
「良いから聞けって、俺はただチームのために良くないって言ってるんだよ。このままじゃ崩壊しちゃうって」
「じゃあ今のままで良いって言うの? あの程度のチームで良いって言うの?」
「そうだ。このまま崩壊するよりは良い」
「おまっ……えぇ……私は……私は良くないんだよぉ……」
球は涙をポロポロと落とし、項垂れながら言った。
「いや、今のままでも十分実績が」
「実績があったら推薦が来てるのよっ! それにあなたに言われたくない! 私が一番行きたい学校の推薦を貰ってるあんたには十分だとか言われたくないわっ!!」
球の言う通り、すでに敦也は清流野球部からの声もかかっており、ほとんど正式に推薦を確約されていたのだ。二番手の捕手であるにもかかわらず、敦也は少ない機会で確実に実績を残していた。
「そ、それは……」
「つまりはそういうことなのよ。私は女だから、あんたより実績を残していようがそれじゃあ足らないのよ」
そう言って球は机の横にかけてあった鞄を持って教室を出ていった。
注目の中に一人残された敦也は小さく呟いた。
「くそ……何で分かってくれないんだ……」