本当にこれでいいの?
このまま抑えて勝ちだと桜花たちは思っていたが、そんな上手い話はなかった。誉の投球数が八十を越えたこの回から彼女は制球を乱し始めた。
バックの助けもあり何とか失点せずに済んでいるが、ツーアウト二、三塁という最悪のタイミングで栄司に打席が回ってくる。
「てめぇ、やっと思い出した。練馬第一シニアの二木か。偉才とかって呼ばれてた」
「よくご存知ですね。もうすっかり忘れられてると思ったのに」
「当たりめぇだ。三年前の選手権でてめぇ一人に俺らはボコボコにされたんだ。一年の女がキャッチャーやってる、ふざけたチームだと思ってたがとんでもねえ。あん時は寒気がしたぜ。こんなやつ倒せんのかって」
「そうだったんですね。全然覚えてないですよ。そんなに手応えなかったんですかね。当時のヤンキー先輩って」
「その減らねえ口はあれから悪化してんな。まああれからクソみてえに練習して、てめえに私返すつもりだったんだが、次の年にてめぇは消えてたがな。あの特待の何つったっけか、古橋か? あいつにスタメン取られてやめたって噂は聞いたがな」
「噂じゃなくて事実ですよ」
「まじかよ。がっかりだぜ。あの時の、最盛期のてめぇとガチでやりたかったぜ。まあ所詮は女だ。期待した俺が間違ってらぁ」
「がっかりするのは勝手ですけど、良いんですか? このままだと私たち女に負けて、今まで必死に貯めてきたポイントのほとんどを、その女に奪われるんですよ?」
「はっ! この状況で負けるだと? ヒット一本で逆転サヨナラのこの場面で、俺があのヘボピッチャーから打てねえとでも思ってんのか? さっきホームラン打たれたの忘れちゃいねぇよな?」
「打てねぇと思ってるんですよ先輩。それに誉はヘボじゃあない」
「は? てめぇのお陰で何とか試合になってるようなもんだろ? あのチビだけじゃねえ、他の五人も多少能力はあるみてえだが、てめえがいなきゃ何もできねえじゃねえか。ヘボじゃなかったら何だ? カスか?」
「あの子たちはヘボでもカスでもないですよ」
「いらねぇんだよそういうの。出せよ本音。本当は自分に合った実力でやりてえんだろ? てめぇがどうしてもってんなら、てめぇからポイントを奪わないでやっても良いんだぜ? 清流のスタメンでならてめぇの願いも叶う」
「あはははっ! それは良い考えですね」
「だろ? なら……」
「でも遠慮しときます。上には自分の力で行くので」
球が笑顔でそう言うと栄司は心底意外そうな顔をしてから残念そうに言った。
「そうかよ。じゃあさっさと負けて退部しな」
「負けませんよ、絶対に。あなた程度に私は負けない。証明しますよ。あなたと私の差を」
「はあ? 何言って……」
「初球、先輩の好きなインハイに来ますから、是非打ってください」
「おい……」
球は栄司を無視して誉にサインを出してから静かにミットを宣言通りインコース高めに構える。誉は流れるような投球モーションからボールを放ると、それは球の要求通りのコースへと向かう。
インコース高めのツーシーム、栄司はそれを理解すると目を見開く。
「なめるなぁぁああっ!!」
栄司がフルスイングをすると甲高い金属音とともに白球が空に舞い上がりレフトスタンドへ吸い込まれていく。
栄司はホームランを確信して、バットを放り打球の行方を打席から追う。彼だけじゃない。グラウンドにいたほとんど全員がホームランを確信していた。逆転サヨナラのスリーランだ。
しかし、球と紬だけは違った。右中間に上がったボールを紬は追いかける。迫るフェンスなど気にせず、彼女の目に映るのは白球のみ。
「走らないんですか?」
球が栄司の肩を叩く。
「は? 何言ってんだ?」
「分からないのなら教えてあげます。あなたのスイングスピード、フォーム、インコースの打ち方、今日の風向きと風速、あのコースの誉のツーシームをホームランにするのは不可能なんですよ」
右中間のフェンスギリギリで紬がダイビングキャッチに成功をすると、審判のアウトを宣告する。
「そしてあそこがあの子の守備範囲の限界――分かりました? あなたと私の決定的な差が」
栄司はヘルメットを地面に叩きつける。
「クソがぁぁああっ!!」
そんな先輩の肩に手を置いて軽く笑って言った。
「それじゃあ、あなたのポイントいただきますね」
栄司はマウンドへと駆けていく球を鬼のような形相で睨みつける。そんな視線には気づきもせず彼女はマウンドで皆と喜びを分かち合う。
「やったよ、球ちゃん」
誉の弾ける笑顔に球も思わず笑みが溢れる。
「うん。誉のお陰で勝てたよ」
「そ、そんな! 球ちゃんが教えてくれたから」
「いや、こんな短期間で頑張ったのは誉だし、それに皆がついてきてくれたからだよ」
内外野を守っていた四人も嬉しそうにマウンドへと集まってくる――桜花以外は。
「あなたたち本当にこれで良いの?」
桜花は険しい表情で言った。