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扇の偉才は逆襲する  作者: one reon
清流高校野球部編
47/68

人の話はちゃんと聞きましょうね、先輩?

 困った。

 決して表情や言葉には出さないが球は内心焦っていた。どこかでチャンスメイクできるとタイミングを伺っていたが、残す球たちの攻撃は五回の表のみ。フォアボールで出塁することができても、その後が全く続かない。ヒットはおろか、まともに前へ飛んだ打球は一打席目の桜花だけだった。

 予想以上、データ以上に栄司の地力が高かった。球は自分の見通しの甘さを悔やむ。

 この回に最低でも一点を返して同点に持ち込めなければ球と桜花は退部となる。勝負が始まる前から分かっていたことだが、敗色が濃厚になってきたこの状況で、それが徐々に現実味を帯びてくる。ベンチの雰囲気は非常に重かった。

 だから球は笑いながら、内心強がりながらあえて言った。

「さあ、二点取ろうか。んで、裏を抑えてポイントゲットだね」

 けれど、誰一人としてそのノリにはついてこれなかった。誉はホームランを打たれたことを引きずってベンチの済みで膝を抱えているし、いつも能天気な玲ですら深刻な表情を浮かべている。

「あなたねえ……馬鹿だと、頭のネジがだいぶ外れてるとは思ってたけど、さすがに神経疑うわよ。この状況でそんな薄っぺらい言葉をかけられても意味がないことくらい分からないの?」

「いやいや、桜花だって人のこと言えないでしょ。それに私はやるべきことを口にしただけだよ。二点取って逆転、それからゼロに抑えて勝ち。めっちゃ簡単でしょ?」

「そんなことは皆分かってるのよ! 馬鹿! それが現実的じゃないのよ。それにこのままだとあなたも退部なのよ。もう少し真剣に、現実的に考えなさいよ」

「現実的な、具体的な作戦があれば良いの?」

「何よ今更、今の今まで任せてって言ってた割に攻撃面では何もしてなかったじゃない」

「それはちょっと違うかな。何もしなかったんじゃなくて何もできなかったが正しい。でもやっと筋道が立った」

「まさか、この状況から勝てる作戦があるっていうの?」

 桜花の言葉にベンチで沈んでいたメンバーの注目が一気に球へと集まる。皆、もしかしたら球ならこの状況を打破してくれるのではないかと期待している。

「あるよ」

 あるにはある。ただ以前の、能代との勝負時に立てた作戦のような確実性はない。むしろ失敗して負ける可能性の方が高い。それ程までに栄司と球たちの実力に差があるのだ。

 けれどその事実を隠して球は自信満々に言った。

「大丈夫、私のチームが負けることはないの。絶対勝たせる。それが私の存在価値だから」




「まったく……本当に信じていいのかしら……」

 ヘルメットを被った桜花は愛用のバットを地面に引きずりながら、うんざりした様子でバッターボックスへと向かっていた。球から聞かされた言葉がにわかに信じられなかった。

『初球、インコース低めにストレートが来る。打ってもファールにしかならないコースだけど、桜花ならヒットにできるでしょ?』

 球は玲と能代の対決の時同様に配球を予言したのだ。四回までのバッテリーの配球からの予測であるため確実性には欠けるが、敦也のようにこちらの考えを読まれる心配がないから桜花には断言した。

「これで打てなかったらどれだけ下手なのよ私……」

 バッティング手袋越しに両目を指で押さえて、桜花はスイッチを入れる。

 打席に入った桜花には無駄な所作がない。一挙手一投足が綺麗で無駄な力が入っていない。極限までにリラックスした状態と集中状態が混ざり合う。彼女の目には栄司と彼の持つボールしか映っておらず、余計な情報がない。

 栄司が投球モーションに入るとタイミングに合わせて、桜花もバッティング動作に入る。

「うらあぁっ!!」

 豪快なフォームから放たれる百四十後半のストレートは球の読み通りにインコース低めへと向かってくる。

 桜花はそれを理解すると目を鋭く光らせる。踏み込んだ左足で体の開きを極限まで抑え、その体を押し出すように右肘を畳んでバットを下向きに立てる。ボールを懐まで呼び込むと、左足から全身を一気に解放させる。

 栄司はニヤリと笑う。バットに当てたとしてもファールにしかならない。そう考えるのが普通だ。しかし、打球の行方を追うと彼の顔から余裕が消えた。鋭いライナーがレフト線上でバウンドをする。フェアだ。

 センターと三遊間を守る二年生が必死にボールを追うも、桜花は悠々と三塁ベースまで辿り着いた。この桜花のスリーベースが球たちの初ヒットとなった。

「ナイスバッチー!! 桜花ぁ!!」

 玲がネクストバッターズサークルから大声を上げる。興奮しているのは彼女だけでなかった。紬や唯、誉もベンチで彼女のヒットに歓喜していた。ついに反撃の糸口を掴んだのだ。無理もない。

「やっぱすごいわ」

 それは次打席の準備をしていた球も例外ではなかった。一番狙いやすく、予測が的中する可能性が高いボールを伝えたつもりだったが、それでも栄司のあのボールをヒットにするのは分かっていても難しい。桜花はそれを一発で仕留めてみせた。彼女の勝負強さと理不尽に負けず積み上げ、磨き上げてきたバッティング能力に球は素直に感心していた。




 ノーアウト三塁の状況で打者は四番バッターの玲だ。

 今日ここまで二つの三振と全く良いところがないが、桜花のヒットを目の当たりにした玲は打ち気満々でバッターボックスへと入る。

 彼女はもちろん球からの予測は聞かされている。

「これで二度目、能代の時は打てなかった……ここで打てなかったら四番失格……絶対打つ!」

 玲はバットを栄司に向けて宣戦布告する。

「てめぇごときに打てると思ってんじゃねぇぞ! クソがぁっ!!」

 栄司はギアを一段階上げると、アウトコースの低めに高速スライダーを投げ込む。ストライクになるか際どいコース、まだ初球だ。見送るのがセオリーなのだが、玲はホームベース側に左足を思い切り踏み込む。球に聞かされた、狙い通りのボールが来たのだ。

「……っ!! 今度は絶対打つ!!」

 玲はロクにボールを見ずに、球の予測を信じて思い切りフルスイングをすると、金属バットから発された音とは思えない爆音が学校中に響く。そしてグラウンドにいる誰も彼女の放った打球を目で追うことができずに、行方を捜しているとライトフェンスからボールの激突した鈍い音が響いた。弾丸ライナーがライトフェンスにダイレクトで突き刺さった。

「はあ?」

 その有り得ない、到底理解できない事象に栄司は間の抜けた声を出してしまった。右バッターが逆方向にあそこまで飛ばしたのだ。男子選手でもこれを成しえることができるのはほんの一握りだ。それを女子である玲が打ったとはにわかに信じられない。目の前で起こったとしても受け入れられなかった。

 全力でダイヤモンドを周る玲は嬉しさのあまり三塁へとヘッドスライディングをする。

「しゃぁぁああ!!」

 桜花同様にスリーベースヒットだ。もちろん三塁にいた桜花はすでに生還しており、一対一の同点となった。




 再びノーアウト三塁、同点として状況は勝ち越しのチャンスだ。球の言った通り二点目を得点する絶好の機会なのだが彼女は内心不安でいっぱいだった。ここで自分が得点しなければ、次の打者はバッティングセンスの絶望的な誉である。何としても球自身で決めたいところだが、そんな球もあまりバッティングが得意ではなかった。

 バッティングの理論や技術を頭では理解しているし、相手バッテリーの配球を読むことはできても、その技術に体が追いつかないのだ。理解していても実践できない。球に桜花たちのような身体能力はない。もちろんトレーニングはしている。それでも並の女子以上に身体能力を向上させることはできなかった。

 それ故に今の異質なプレースタイルへと行き着いたのだが、身体能力の低さが彼女の弱点であることには変わらない。彼女自身が決めなければならない場面でそれが露呈してしまう。

 けれど、それでも、それを十分理解した上で彼女は現実へ立ち向かった。ここで引くわけにはいかない。ここで負けてしまったら自分の価値がなくなってしまう。彼女は勝つことで、勝ち続けることで自らの価値を証明し続けてきた。

 それにここで負けてしまえば、ずっと憧れていた甲子園をほとんど諦めなければならないし、自分についてきてくれた皆の信頼を、期待を裏切ることになる。桜花と玲が作った絶好の機会を潰す訳にはいかない――だから、彼女は覚悟を決めて打席に足を踏み入れる。そこに入ればもう逃げられない。弱い自分と理不尽な現実と向き合わなければならない。

 球は三塁上にいる玲にサインを出してからバットを構えた。

 栄司が一球目を放るのと同時に球はバントの構えを、玲はスタートを切った。スクイズだ。

「走ったっ!」

 サードを守る二年生がそう叫ぶと、栄司はニヤリと口角を上げた。

「そんなの読んでんだよっ!」

 栄司が投げたボールは球の立つ打席とは反対側の打席へとストライクゾーンを大きく外した。スクイズの典型的な対処法である。ファーストとサード、それから栄司は球のバントに備えて前進するが、彼女はすんなりとバットを引いた。

「ボールッ!」

 キャッチャーがランナーの玲を警戒するも彼女はすでに三塁へと帰塁していた。スクイズをすると見せかけた揺さぶりだ。

「やるならやりやがれやっ! どうせ打てねぇんだからよ。てめぇの出来ることはそれしかねぇだろうが」

「さあ、そうとは限らないですよ」

 球は玲にサインを送ってから再びバットを構える。

 栄司が二球目を放ると球と玲は先程と同様にスクイズの動きをする。

「だろうなぁっ!! ぜってぇ殺すっ!!」

 栄司も同じように対応するが今度は外しが甘かった。ボール球であるがバットが届く。球はこれを待っていた。バントの構えからバットを引いて、それを思い切り振り抜いた。

 わざとボール球として外したストレートなら彼女にも打つことが可能だ。打球は前進守備のサードと栄司の間を転がり抜ける。本来ならただのショートゴロだが、三塁のベースカバーに走るショートは定位置にいない。打ち損ないのゴロが誰もいない場所へと行き着く。

 慌ててセカンドがカバーしに行くが遅い。ランナーの玲は栄司が投げたタイミングで本塁へ向かいスタートを切っている。ボールを拾い上げる頃には二点目が入っていた。

 一塁上に立つ球はマウンドでグラブを叩きつけている栄司に向かって言った。

「だから言ったじゃないですか。そうとは限らないって、人の話はちゃんと聞きましょうね、先輩?」


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