私たちは非力な女子、さあ勝つために泥臭くいこうか
六人のメンバーが揃い、栄司との勝負当日、球たちはベンチから栄司のピッチング練習を見ながら、各々がこれから始まる勝負に向けて準備をしていた。
特に気合の入った桜花は栄司が投げるボールを注意深く観察して、自分のスイングとのタイミングを計っている。
一方、誉はベンチで座って右の手のひらに向かってぶつぶつと独り言を言い、どんよりと重い空気を発している。彼女なりにプレッシャーと戦っているのだ。
そんな彼女の様子を見て球は声をかけた。
「誉、緊張しすぎだって。もっと気楽にいこう、ね?」
「無理無理無理無理……だって……負けたら、二人とも退部になっちゃうんだよ! 気楽になんてそんなの絶対に無理!!」
「ははは、誉って意外と頑固だよね。本当にその頑固さはピッチャー向きだよ。この前にも言ったけど、私たちは負けない。たとえ誉が練習通りに投げられなくても大丈夫。私もそうだし、皆がフォローするから。完璧にやろうとしなくて良い。誉は私のサインとミットだけ見てれば良いから」
「でも……皆を信頼してない訳じゃないけど……」
「まあ、気持ちは分かるよ。そうだなぁ、あえて言うなら誉はめちゃくちゃ打たれると思うよ。決め球のソードカッターはそこまで多用できないからストレートとツーシームで組み立てるつもりだし、それにあの先輩から三振を取るのは難しい」
「うっ……そ、そうだよね。私、打たれるよね」
「うん。でも、それで良い。三振で取ったアウトも、打たれて取ったアウトも、どちらも同じアウトなのよ。それにたとえ誉がどんなに点数を取られようとも最終的に一点多い方が勝ちなんだ。最初からゼロに抑えられるなんて思ってない。だから打たれて良いんだよ。その代わり思いきって投げてね」
球が丸くなった誉の脇に手を突っ込むと、彼女は短い悲鳴を上げて背筋を伸ばす。
「こういうことを言うのはちょっとあれだけど――この私が認めたんだから、ほら、自信持ちなって。あなたがいくら失敗しようと私が、私たちがカバーする。だから誉は難しく考えなくて大丈夫」
「わ……分かった。やってみる」
「じゃあ皆が打ってる間に軽くキャッチボールでもしようか。じっとしてると気分も上がらないし」
球はそう言って誉の手を引いて無理矢理ベンチの外へと連れ出すと、栄司の投球練習が終わり、紬がバッターボックスへと向かう。試合が始まった。
「ごめんなさい。何も出来ませんでした」
三球三振に斬られた紬がとぼとぼとベンチへと帰ってきた。栄司のボールを掠ることすらできず、彼女が振ったバットは三回とも空を切った。
「うーん。やっぱり元々ベンチ入りしていただけはあるね。それに問題なのは、完全に見下ろして投げてるよね。全然本気じゃない」
バッターボックスに立っている唯を見ながら球はそう言った。
「でもそれって隙がある、油断してるってことじゃないんですか? 何が問題なのですか?」
紬がヘルメットを脱ぎながら言った。
「逆だよ。油断は少なからずあると思うけど、それ以上に相手に余裕がある。余裕があるってことは色々なことに対応できるリソースがある訳だから、付け入る隙はあまりないね」
「所詮私たちなんてその程度の力で抑えられるって思われてるんですね。まずはあの先輩の本気を引き出さないと。何か前みたいに作戦はないんですか?」
「うん。そうっちゃそうなんだけど。まあ、今はこのままで良いよ。まだ序盤だし、その時になったら私から昨日決めたサインを出すから」
「そ、そんな悠長にしてて良いんですか? 五イニングしかないのに」
「前にも言ったけど、必ず勝つから。私のチームが負けることはない。負ける時は私が野球をあきらめた時だから――それにしてもやっぱり強いね。唯まで三振だよ。唯なら前に飛ばせるかなって思ったけど」
唯が紬と同様にベンチへと帰ってくる。
「どうだった? 甲子園レベルのピッチャーは?」
球がそう聞くと唯は珍しく困った笑顔を浮かべた。
「うーん、やばいねあれ。あんまり情報も引き出せなかったし。辛うじてバットに当てれたけど。なんだろ、その、やばいしか言えないわ」
「次は当てれそう?」
「うーん、分かんない。この前の、能代とは比較にならないし、レベルが違いすぎて色々と測れない」
唯はお手上げだよ、と言いながらスポーツドリンクを流し込んだ。
困ったな、と球が腕を組み考え込んでいると、グラウンドに甲高い金属音が響く。桜花が打ったのだが……。
「アウトッ!!」
良い当たりだったが惜しくも打球はノーバウンドで栄司のグラブに収まっていた。ピッチャーライナーでアウト、スリーアウトで攻守交代だ。
マウンドを去る栄司は大きな舌打ちをした。まさか、まともにバットに当てられるとは思っていなかったのだ。
「惜しかったね」
球は全身に防具を着けてベンチへと帰ってきた桜花にそう声をかけた。
「あんな手を抜いたボール、打って当たり前よ。嬉しくもないし、ヒットにすらできなかったのが悔しいわ」
「はは、桜花らしいよ。まあ切り替えていこ。桜花には守備で助けてもらう予定だから」
「そんなこと分かってるわ。あなたこそしっかりしなさいよ。あなたがコントロールしないと馬鹿みたいに点数取られるわよ。六人野球なんだからね」
「大丈夫だって。なるべく負担のないように、皆の守備範囲内に打たせるから」
「はあ……打たせる方向をコントロールするなんて本当に出来るのかしら。自分で言っててもおかしなことだって、ありえないことだって思うわよ。しかもそれを信じてあなたに託している私の神経もおかしいって思うわ」
「あはは、まあそう思うよね。正直ね、誉の出来次第なところはあるし、あくまである程度コントロールできるだけだから、外野は紬のバカ広い守備範囲任せで内野は桜花のポテンシャル頼りかな」
「ある程度コントロール出来るだけでもおかしいのよ。まあそうでなければ困るのだけど」
「大丈夫だよ。幸い相手チームのデータは十分に手に入ったし、解析済み。スイングの癖も、考えも把握済み。これでも伊達に偉才なんて呼ばれてた訳じゃないからね。簡単には得点させないよ」
球はニヤリと口角を上げてからマスクを被ってホームベースへと向かった。
攻守交替で球たちは守備につく。六人野球はピッチャーとキャッチャーを除いて、通常七人で守る範囲を四人で守らなくてはならない。球は桜花と玲、それから唯で内野を守り、外野を紬一人で守ることにした。
もちろんこの人数ではすべてのフェアゾーンを守ることは難しい。栄司のように打者を三振に取ることができれば、そういった心配は要らないのだが、誉のように打たせてアウトを取るピッチャーにとっては相当分が悪い。だから球がある程度打球の飛ぶ方向をコントロールしないと楽に得点されることになる。
しかし打球の飛ぶ方向をコントロールするなんて普通は出来ないし、そんなことを言われても信じることなんて出来ない。ただ、彼女は普通じゃなかった。彼女がかつて偉才と呼ばれたのは単に野球が周りより上手かったからではない。彼女は異常に上手かったのだ。それも周囲とは比較にならないレベルで。身体能力が数段劣る男子相手ですら全く寄せ付けない。誰よりも野球を知り尽くして、大人ですら理解不能で置いてきぼりにするレベルのプレーを平気でする。異様なまでに勝利に拘り、そして勝ち続けてきた。そんな彼女を称え、そして畏怖した者たちによって付けられた呼び名が偉才、扇の偉才だった。
だから彼女にとってスターティングメンバーでもなく、ベンチ入りもしていない、学年が一つ上であるだけの男子選手の打球をある程度コントロールするなんてことは造作もなかった。
「ちょっとっ!!」
二塁と三塁の中間を守る桜花は一番打者が放った三塁側へのゴロを全力で追いかけて、ギリギリで体勢を崩しながら捕球する。走者の位置を確認し、体勢を整えていたら間に合わないと一瞬で判断をすると、転倒覚悟で身体を無理やり捻じり一塁で待つ唯へと送球する。
唯が一塁から目一杯身体を伸ばしてそのワンバウンドしたボールを捕球すると、審判のアウトのコールが響く。辛うじてワンアウトを取ることができた。
「球ぁっ! 何がコントロールするよっ! 何が大丈夫よっ!! ギリギリにも程があるわ! コンマ数秒遅れてたら長打じゃないっ!!」
桜花は立ち上がり、ユニフォームと顔に付いた土を払いながら一塁のカバーかプレーから本塁へと戻る球に向かってそう叫んだ。
「ははは、だから言ったじゃん。守備範囲には打たせるよって、あそこが本当にギリギリでしょ? 嘘は言ってないよ」
「だからってギリギリ過ぎよっ! あなたこんなこと続けさせる気ぃ⁉」
「もちろん。勝つためだよ。さあしまって、泥臭くいこう!」
「おー!!」
球の呼びかけに元気よく応じたのは玲だけだった。