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扇の偉才は逆襲する  作者: one reon
清流高校野球部編
43/68

コリジョンルール

「あーお願いします」

 唯は独特なリズムと構えで右打席に立つ。その相手に合わせようとしないマイペースな彼女に能代はペースを崩され、苛立ちを表す。加えて一塁ランナーである紬があまりにベースから離れた大きなリードを取っているため、セットポジションに入った彼は二方向から嫌がらせを受けていた。

「能代! ちゃんとサインを見ろ!」

「分かってんだよ! 俺に指図すんじゃねえ」

 能代は一塁に向かって牽制球を投げようとするが、そのモーションを察すると瞬時に紬はヘッドスライディングで一塁へと投げる間もなく帰塁する。そして能代が再びセットポジションに入ると紬は元の大きなリードを取る。そしてもう一度、繰り返す。

 能代は完全に翻弄されていた。最早、打席に入っている唯など視界に入っておらず紬に釘付けになっている。彼女の異様に大きなリードはピッチャーとしては意識せざるを得ない。一度打者に向かって投げてしまえば次の塁へと進まれてしまう恐怖がある。先ほどの彼女の走力を目の当りにしたら尚更だ。そして二塁へと進まれてしまえば得点率は非常に高くなる。

 能代としては紬の盗塁を何とか阻止したいのだ。

「能代! まずはバッターだ!」

 敦也の言う通りだ。いくら気になったとしてもアウトにならない牽制球を何度放っても何も始まらない。こうなってしまえば、もう打者へ投球するしかないのだ。

 能代は納得のいかない様子で唯へと投球をする。先ほどのボールとは打って変わって球速は落ち、敦也の構えた位置とは逆、ストライクゾーンから外れた場所へボールは放られた。もちろん唯はそれを見送る。

 ベンチにいた球はその様子を見て笑みを浮かべると、唯と紬に向かって視線を送る。二人は軽く頷くと次のプレーに備える。そして能代が投球モーションへと入った瞬間、唯はバントの構えをして、紬は二塁へと向かって地面を蹴った。

「走ったっ!!」

 ファーストを守る一年生がそう叫ぶ。

 内野陣が盗塁をした紬とバントの構えをした唯、それぞれに対応して動き出す。その動きを見た唯は構えたバットの角度を調節し、内野が処理しにくいショート方向へと強めのゴロを転がした。

「ちっ! 今度はプッシュバントかよっ!」

 普通のバントとは異なりプッシュバントで強く転がされたボールを能代は慌てて処理する。紬の時に自らの処理で出塁させてしまったことから、絶対にアウトにしようと捕球してからすぐに唯が向かう一塁へと送球してしまった。その後ろで二塁ベースを蹴り、猛スピードで三塁への進塁を狙う紬に気づかずに。

「三塁だっ!」

 敦也がそう声をかけるもすでに遅い。一塁で唯がアウトになるも、一切のブレーキをかけずに三塁へと向かった紬は、スライディングで付着したユニフォームの土を払いながら悠々とベース上に立っていた。

 グラウンドにいる一年生男子が紬の足の速さと走塁技術に驚いていたが、それを演出している、それを活かした状況を作っているのが球であるということを理解している者は敦也しかいなかった。だからこのワンアウト三塁の状況では守備側は当然スクイズを警戒する。一点が勝敗を分ける場面、バントでボールを転がしてしまえば紬の足ならほぼ本塁へと生還できる。攻撃側として成功確率がかなり高くセオリー通りであるため、守備側もそれを阻止しようと普段守っている位置より前へ、前進守備を敷く。

「玲、待って」

 バッターボックスへと向かう玲を球は呼び止めた。

「何だー! 作戦か⁉」

 玲はバタバタと元気よく球の下へ駆け寄ってくる。

「うん、ちょっと耳貸して」

 球は手で覆い隠した口元を玲の耳の傍まで持っていく。

「三球目、インハイのストレート」

 球はそう呟くと耳から口を離して笑顔を浮かべる。

「一、二球目も完全無視で……バットを振るのもそこだけで良いから。内野フライだけはだめだからね」

「オッケー!」

 球は三人とも一切バットを振らなかった一巡目で配球に関係する情報をすべて得て、三巡目の玲の打席で確実に一点を取るために配球の予測をしていた。それでも紬や唯でもなく玲にだけそれを教えたのは、二人ではコースや球種が分かっていても単純に力負けして打てないという判断を下したからだ。反対に玲なら、女子とは思えない異常なパワーと瞬発力を持つ彼女なら能代と対等に渡り合える。それにこの状況なら外野フライならタッチアップで勝ち、最悪内野ゴロでも紬の足なら本塁へ帰ることができる。球はそう確信していた。

 しかし、彼女としては懸念点が一つだけあった。それはキャッチャーが敦也であることだ。お陰で配球自体は読みやすかったが、反面こちらの手の内を知っているため考えを読まれてしまう危険性は大いにある。球も全球を予測できるわけではない。あくまで可能性が高く、玲が打ちやすい予測だけを伝えた。そのため考えを透かされて狙いを外されてしまえば、ほとんどの確率で負ける。

 それを球は非常に心配していたのだが玲にそれが伝わらないようにあえて自信たっぷりに言った。

 右打席に立った玲は球の指示通りに一、二球目をタイミングだけ取って、一切バットを振らなかった。

 カウントはワンストライク、ワンボール。勝負の三球目、能代から指先から放たれたボールは球の読み通りインハイへと向かうが、球はここで自分がやらかしたことに気づく。真っ直ぐに玲へと向かっていくボールは彼女の手前でブレーキがかかり急激に横方向へと変化した。能代の決め球である高速スライダーだ。

 玲は球の指示通りストレートが来ると確信していたため、完全に頭にない、死角からの一投だった。フォームは崩されバットの軌道からボールが離れていく。このままでは空振ってしまう。そう確信した玲は諦めず、持ち前の反射神経とパワーで自ら決めたバットの軌道を無理やり変えて何とかボールを捉えることができた。

 しかしバッティングフォームは崩され力のないスイングとなってしまったため、打球はフラフラとセカンドの後方へと高く舞い上がった。

「あぁっ!!」

 玲は自ら放った打球に一塁へと向かいながら思わず肩を落とした。一番やってはいけない内野フライを上げてしまったのだ、気を落とすのも無理はない。グラウンドにいた誰もがツーアウトを、そして能代チームの勝利を確信した。ただ一人、球を除いては。

 玲の放った打球はセカンドが取ることの出来るギリギリであると球は理解をすると、紬の名前を呼んでから本塁を指さした。紬はその意図を理解して頷く。

 セカンドが後方の落下してきたボールをダイビングキャッチで捕球して、審判がツーアウトを宣言するのと同時に紬は三塁ベースを蹴って本塁へと突っ込む。タッチアップだ。

 内野フライでタッチアップはないという決めつけ、いわゆる隙を突く紬の走塁にセカンドは慌てて本塁にいる敦也へ送球するも一歩遅い。タイミング的には際どいが紬が本塁へ滑り込む方が僅かに早かった。

 本塁へと帰還した紬はアウトになって帰ってきた玲と勢いよく抱き合う。

「はあ、良かった……」

 喜びを分かち合っている二人とは対照的に球は大きく息を吐いてベンチに座り込む。最後の一読み、敦也には見透かされていた。本当は玲のパワーでボールを外野まで持っていく筈だったが、そうできたならもっと余裕を持って勝つことができた。本当に勝てて良かった、あれだけ必ず勝つと言って負けたらシャレにならなかった、と心底安心した。

「唯、ありがとう」

「いや、私は何も……言う通りにしただけ。勝てたのは球の作戦があったからだし、あの二人の活躍があってこそ」

「ううん。唯が勝ちに徹して二人を繋いでくれたからこそ勝てた。唯がいたから成立したんだよ」

「ふふ……そう言ってくれるなら、ありがと」

 球と唯は玲たちの下へ向かった。

「おい! 敦也ぁ!! てめぇふざけんじゃねぇよ! てめぇのせいで負けたじゃねぇかよ! まさかわざとやったんじゃねぇだろうなっ!!」

 能代は本塁前に立つ敦也に飛び掛かる。

「何のことだ?」

「とぼけんじゃねぇよ! 今のプレー! てめぇがちゃんとホームであいつをブロックしてればタイミング的にはアウトじゃねえか!! あれだけ言っときながら最後で手ぇ抜きやがって、ふざけんな! 責任取りやがれ!」

「ホームでブロック? お前は何を言ってるんだ? あのタイミングではブロックできないだろ? コリジョンルールだ。自分の失態を、敗北を人のせいにするなよ。負けを認めろ能代。お前はまんまとやられた。相手の方が上手だったんだよ、それも何枚もな」

 敦也の正論に能代は何も言い返せず、手に持ったグラブを思い切り地面に叩きつけた。

「クソがっ!!」

 能代は砂を蹴り上げて、そのままグラウンドを去る。敦也は放置されたグラブを無言で拾い上げるとベンチへとゆっくりと歩く。

「球―!! やったー! 勝ったぞ!!」

 玲が球へと抱き着く。

「うん、勝った。よく最後、バットに当てたね。私、予想を外しちゃったのに」

「あはは……コースは球の言う通りだったから。むしろ悔しいよ。そこまでしてもらって、あれが精一杯だった……でも! 皆のおかげで勝てた! だから次はもっと頑張る!」

「はは、うん。そうだね。一緒に頑張ろ」

「あの……」

 紬は球の袖を掴んだ。

「その……ごめんなさい! 信用してないなんて言って」

 紬は深く、それも頭が膝に付くくらい深く謝罪した。

「いや、謝る必要なんてないよ。結局、なんだかんだ言って私の言う通り全力でやってくれてたし、紬はあれでしょ? 古式ゆかしいツンデレってやつでしょ? 知ってたよ」

「なっ⁉ やっぱ球ちゃんは信用できません!! ……でも、ありがとうございます。私を、私の足を信じてくれて」

「当たり前だよ――そうだ、三人に頼みたいことがあるんだった」

 球は三人に向かって手を差し出した。

「私のチームに入ってくれない?」

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