私は信じてませんから! 喧嘩は買わない方がいい
球は誉を説得して連れ戻してから、束の間の睡眠をとっていたのだが、あまりの寝苦しさにアラームが鳴る前に起きてしまった。
「んん……何、これ……」
目覚めても眼前は暗闇、顔を何か柔らかい弾力のあるものに押し付けられており、何も見えない。それに頭部をガッチリと固定されている。球は何とかその拘束を引き剥がそうとするが、やっぱりビクともしない。
徐々に頭が覚醒してくると、この状況が誰かに抱きしめられているのだと理解できる。
球はその人物の身体を弄り、脇腹に思い切り手を突っ込んだ。
「うーん」
そんな弱々しい唸り声と同時に球への拘束が緩む。
「ふぅ……玲、何でこんなところに」
球が起き上がると布団の中には、彼女より一回り大きい体躯で透き通った黄金の髪を広げた少女、賀状玲がいた。
人の布団に忍び込んでいるとは思えないほど気持ち良さそうに寝ている。球は少し憚れたが仕方なく声をかけると、玲はゆっくりと目を覚ました。
「あ、おはよー球」
「おはよう。で、何で私のベッドに? しかもこんな朝早くに」
時刻は午前五時前。朝の雑用がなかったため、まだ起床予定前だった。
「球、良い匂いー」
寝ぼけた玲は球の問いかけを完全にスルーして、腰に両腕を回すと頭を太腿に乗っけてから二度寝を始める。球は叩き起こそうとも考えたが、玲の寝顔があまりにも幸福感に満ち溢れていたため考えを改める。
「……私も寝るか」
そう言ってから上半身を倒して二度寝に入ろうとすると、扉の向こう側から何やら騒がしい、誰かが廊下を全力で走る音が聞こえてくる。そしてそれが球たちの部屋の前で止まると、扉がものすごい勢いで開かれた。
「あっ! やっと見つけました……って!! 何やってるんですか玲ちゃん!!」
部屋の入り口に立って球の懐で寝ている玲を指さす少女、一尺紬はジャージ姿でポニーテールを揺らしていた。誉と同じくらいの低い身長で全体的に幼く見えるが、反対にその表情や態度は堂々しており幼さを感じさせない。
「んー? つー、おはよう」
「おはようじゃないですよ。何で球ちゃんのベッドに、てか何で抱きついてるんですか! もう高校生なんだからそういうのやめてって言ってるじゃないですか⁉」
「だって寂しかったんだもん」
玲はそう言ってから球を更に強く抱きしめる。
「だったら私が一緒に……じゃなくて! 球ちゃんたちに迷惑ですよ!」
「え、そーなの? 球は迷惑?」
腰に巻きついた玲が上目遣いで純粋無垢な眼を向ける。そんな様子を見た紬は慌てて言った。
「そんなの迷惑に決まってます!」
「つーには聞いてないー。球に聴いてるの。ねぇ球、ダメ?」
「別に迷惑では……」
そう言った刹那、球は紬から殺気のような圧力を感じ取る。彼女の方へ向くと案の定、歯軋りをしながらこちらに厳しい表情を向けていた。
「あー迷惑ではないけど。先生に見つかったら怒られちゃうから自分の部屋で寝よ?」
「むー球がそう言うなら。じゃあ、代わりに写真撮って!」
「何で写真?」
「夜寝れない時に見るから!」
「え? まあ良いけど」
玲がスマートフォンを構えると、紬がそれを無言で掴んだ。
「つー、離してー撮れないよ」
「やです!」
「えーじゃあ、つーも一緒に撮ろうよ」
「それでもダメなんです!」
紬がどうにかしてそれを取り上げようと強く引っ張ると玲もそれに対抗して引っ張り合いになる。しかも互いに諦めようとしない。
「ねー、はーなーしーてー。何でダメなのー?」
「ダメものはダメ!」
「あ、誉起きたー」
この騒ぎの中、ずっと爆睡していた誉が目覚めて、紬の後ろで上半身だけ起こす。
その瞬間、玲の手からスマートフォンが滑り抜け、目一杯引っ張っていた紬がそれを背後に向かって放ってしまう。
「どうしたの? まだこんなに、ゔぇっ!!!」
そして、それが誉のおでこに直撃すると、彼女はパタリと倒れ込んでしまった。
「「あ……」」
「はい、コーラ」
再び眠りについた誉を残して三人は事務棟の側にある自販機が並んだ休憩所に来ていた。
玲が球に缶を投げ渡す。
「ちょ、投げないでよ。吹き出すじゃん」
「えへへへ、ごめん」
「それで、寂しかっただけじゃないんでしょ? 何かあった?」
球は缶の栓を開けながら言った。
「へへ、バレちゃったかー。あのね、お願いがあってきたんだけど、良い?」
「うん、私にできることなら」
「そのー私たち二人で勝負することになったから助っ人になってほしいの」
「それは構わないけど、どういう内容なの?」
「うんーっとね、あの……その……内容、内容は」
どう説明しようか、とあたふたしていると見かねた紬がいつもの丁寧な言葉遣いで説明を始める。
「勝負は攻守交代なしで、私たちが攻撃。こっちの人数は三人でスリーアウトを三回以内に一点でも取れれば勝ち。ゼロに抑えられたら負けです」
「なるほど、三人ね。だから最後の一人を私にか。そもそも相手は誰なの? 玲と紬を相手にこの内容とかかなり舐めた、というか浅はかな考えのような気がするんだけど」
玲も紬も身体能力が極めて高く、並の男子では勝負にならないというのが球の見解だった。
「能代ですよ」
紬の口から出た名前に球は納得した。
「あーなるほどね。たしかにあいつならやりかねないね。でもどうして勝負することになったの?」
能代はシニア時代に全国大会での優勝経験があり、清流野球部には敦也と同じ特待生枠で入学している。そんな彼が一般組の玲たちよりポイントが低い訳はないため、強制的に勝負を受ける義務はない。つまりは……。
「勝負を申し込んじゃったんですよ、玲ちゃんが」
二人の視線が玲へと集まる。
「だってぇ、あいつが球はもう退部だなって、すっごい馬鹿にするからぁ……」
「はは、そっか私のために……ありがとう」
涙目になっている玲を球は抱きしめて頭をそっと撫でる。
「気持ちは嬉しいんだけど、現実問題として、いくら二人でも能代相手だと私が入ってもかなり分が悪いよね。私もあまりバッティングは得意じゃないし。それに能代はあんなんだけど、もう高校野球でも通用するって言われてるし」
これはもう短期で効果的な練習をして付け焼き刃的に身体能力と技術を上げるしかないかな、と球は考えた。
「日程は?」
あと何日残されているだろうか、少なくとも一週間はあるだろうか? そんな球の予想は呆気なく覆されてしまう。
「……明日です」
「え? 待って! 明日⁉ ――それだと私、助っ人に入れないよ」
「「え?」」
「ほら、あの先輩と勝負するじゃん。その申請しちゃってるから、勝負が終わるまで他の勝負に介入できないの。助っ人としてもね」
「ど、どうしよう……人数揃わなかったら不戦敗? 球を助っ人にってしか考えてなかったよぅ」
「負けてもポイントはゼロにはならない?」
「はい。でも、ほとんどゼロですね」
紬か細い溜息とともに答えた。
最悪の場合、人数が揃わなくても退部にはならないが次の勝負で負ければ退部だ。初期ポイントの低い一般組は一回目を確実に勝ちたい。
どうしよう、と球は頭を抱えた。敵は数段格上で人数は足りないし、ただでさえ雑用で練習をする時間がないのに勝負は明日で、更に自分は直接参加することができない。圧倒的に不利な状況だ――それでも球は諦めてはいない。自分のために無茶をした友達のために、何とか打開策を考える。
その様子を見て紬が切り出した。
「まぁ、しょうがないですよね。もう行きましょう玲ちゃん。そもそも誰かに期待することが間違ってるんです。そんなことするから失望するし、落ちぶれていく。これは私たちの問題なんだから私たちで解決しましょう」
「えー間違ってないと思うけどなー。球なら私たちの力を引き出してくれると思うし、別に期待することは間違ってなくなーい? つーだって球に期待してたんじゃないの?」
「別に私は期待してなんかしてないです。あなたが球ちゃんに頼るって言うからついてきただけ。それにそもそも自分の力なんて自分で引き出せますから」
「嘘だよー最近調子悪いって言ってたじゃん」
図星を突かれた紬は表情を曇らせ、少し苛立ちを露わにする。
「二人ともストップ。思いついたよ勝つ方法」
「おぉーさすが球ぁ!」
玲は勢い余って球に抱きつく。
「私は信じないですから。本当に勝てるかどうかなんて分からない。そもそも野球に絶対はないです」
「いや絶対に勝てるよ」
「そもそもそれが怪しいんです! 根拠がないですもん」
「大丈夫」
「だからっ!!」
「大丈夫、絶対に勝たせる――それが私の存在価値だから」
球は紬をじっと見つめる。すると彼女は困った様子で続けた。
「わ、分かりましたから。そんなに見つめないで下さい!」
紬は分かったと言いつつ、その表情は納得しているものではなかった。