清流高校野球部ポイントシステム 実力もねえのにしゃしゃってんじゃねえ!
先ほどのスペースを何とか最低限練習できるように整えた三人。夕飯を終えたタイミングで一年生全員、大会議室に集合との放送が入る。男子寮と隣接している事務職員棟のそこへ球たちが入室すると、百を超える席はすでに埋め尽くされていた。
そのため三人は後方で立っていることにした。
「えー時間になったので始めます。自分は二年の寺園金治です」
前方の会議デーブルにいた二人のうちの一人が立ち上がる。
「ほら、挨拶して」
寺園は隣のパイプ椅子に浅く座り、悪態をついたガラの悪い男の肩を叩いた。
「……鰐淵栄司」
栄司はそれだけ言った後、ポケットに両手を突っ込んで首を鳴らす。
その様子に会議室の緊張感が高まる。威圧的な先輩には皆慣れているはずだが、栄司からは何かもっと危ないものを感じ取ったのだ。関わらない方が良い、それが一年生全員の見解だ。
「あー昨日で研修が終了して今日から練習をスタートしてもらったんだけど、実は一つだけ説明していないことがあったんだ。そのために集まってもらった――初めに監督から大まかな説明があるので少々お待ちを」
寺園がそう言うと、前方が暗くなり、プロジェクターが起動するとスクリーンが降りてくる。それからパソコンでビデオ通話を立ち上げると、スクリーンに若々しい美麗さと厳かさが共存した女性、星村監督が映し出される。
彼女は二十代中盤に清流野球部の監督に就くと、三年目で創部初の甲子園出場を果たして以来、チームを十大会連続甲子園出場に導いている名将だ。
野球は何が起こるか分からないスポーツとよく言われているが、こと高校野球ではそれが顕著だ。毎年のように起こる大番狂わせや大逆転劇――いくら名門、強豪と呼ばれている高校でも気を抜く暇などない。そんな高校野球界で清流を最も甲子園に近いと言われるまでのチームにしたのが彼女だ。
「一年生の皆さん、入部おめでとう。清流高校野球部、監督の星村です。本当は入寮初日に挨拶をしたかったのだけど、今年はセンバツの日程が少し早くなったのでこんな形になってしまいました」
センバツは選抜高等学校野球大会の通称であり、年に二回ある甲子園球場で行われる大会の一つで、いわゆる春の甲子園と呼ばれる大会だ。
「センバツが終わったらベンチ入りメンバーの子たちも含めて、改めて挨拶をしますね――さて、本題に入りましょうか。研修で何度も聞いているでしょうが、我が部は徹底的な実力主義を掲げています。ただ、疑問に思った人もいると思います。本当に実力主義なのか? そもそも実力って正確に測れるのか? 結局それって監督の主観なんじゃないのか? ――とかね。その疑問の答えはすべてうちのポイントシステムにあります」
少しドヤ顔気味で言い切ってから、星村は満足そうな顔で十数秒ほど何も言わない。
「あれ? 監督、フリーズしてます?」
「え? してないですよ」
「説明の方は?」
「ん? 以上です。後は寺園くん、お願いねー。私は知り合いの監督と会う約束があるので」
「え、ちょっと待ってください。思ってたより短いんですけど」
「え? ……そうですねえ……そうしたら最後にこれだけ」
星村は真剣な表情で、それに心底楽しそうに言った。
「うちは学年も性別も関係ない。実力がすべて。一年生だろうと女だろうと使える子はどんどん使っていきます。なので頑張って下さい。春季大会と夏の甲子園に向けて下からの突き上げを期待してます。それではまたー」
監督が手を振ってテレビ電話を切ると、寺園が小さく溜息を吐く。
「それでは自分の方から清流高校野球部ポイントシステムについて説明させてもらいます。あくまで概要なので、細かい規定はこれから配布する端末内のルールブックにて各自確認をお願いします」
寺園は全く動こうとしない栄司を横目に、最前列に座った一年生に、スマートフォン端末の入ったダンボール箱を渡して後ろに回すように指示をする。
「このシステムは各々の前年度の実績に応じて配布されたポイントを、規定に則った野球勝負を通して奪い合うというものです。加えて明日からポイントの下位三十名で雑用を行ってもらいます。つまりそこに入らなければ雑用をせずに済みますし、上級生でもそこに入ってしまえば雑用をしなければなりません」
その言葉を聞いて一年が騒めく。雑用にかなりの時間を割かれるため、その分を自分の時間に回せるのは嬉しいだろう。
それに今までおよそ百人でこなしていた雑用を三十人でやらなくてはならない、ということは今までの三倍以上の時間を雑用に充てなくてはならない。練習時間が激減するのは自明の理だ。
「それと試合出場の資格があるのは上位三十名で、その中に入ることができれば専用グラウンドと設備が使えます」
学年も性別も関係なくポイント上位が優遇され、下位は冷遇される。この上なく分かりやすく、合理的なシステムだ。実力主義を謳うのも納得がいく。
それに球たちにとってこのシステムは光明だ。評価において人の意見や考えが介入する余地がないのだ。周りがいくら女だからと揶揄しようが、ポイントを稼ぎさえすれば試合にでることができる。
「ちなみにポイント下位の者から上位者への勝負は絶対に断れないので注意してください。その逆は両者の同意がないと成立しません――こんな感じで大丈夫ですかね。皆さん雑用もありますし、後は自分で確認して、やっていくうちに慣れていくと思うので」
寺園と栄司が立ち上がろうとした瞬間に桜花が挙手をする。
「あのー質問してもよろしいでしょうか?」
その刹那、栄司が大きな舌打ちをするが寺園は様子を少し見てから応じる。
「……どうぞ」
「持ち点がなくなる、つまりゼロになった場合はどうなるのでしょうか?」
たしかに気になると一年生の興味が向く。
だが突然、今まで興味のなさそうに、倦怠感を全身で表現していた栄司が大笑いした。
「そりゃあ、気になるよな! どうせすぐに負けてゼロになるんだからな!!」
そう言ってからさらに笑う。
「……何がおかしいのでしょうか?」
桜花は静かに、そして低い声で言った
「そりゃ、おかしいさ! きっとお前は……いや、違う。お前だけじゃないな――ここにいる女共はきっと甲子園に出たい一心でうちに来たんだろうよ――けど残念だなあ、お前らはここにいることすらままならねえんだよ!」
「それはつまり、ポイントがなくなると退部になるということでしょうか?」
栄司の言葉が足らないものだから桜花が予測をする。
「あぁ? だからそう言ってんじゃねえか。それくらい分かんだろ。そもそもそこら辺の野球部に入るならまだしも、うちに入ってくるなんて場違いなんだよ!」
唇を噛む桜花。
二人が対峙する様子を見て、寺園が栄司を止める。
「栄司、その辺にしときなよ。たしかにうちは実力主義だけど、それは選手の能力をより客観的に判断するためであって……」
「うるせえ、俺よりポイント低いくせに、俺に指図してんじゃねえよ! ポイントが高けりゃここじゃなんでも許される。雑用しなけりゃならないのも、試合に出れないのも、やめなきゃならねえのも全部実力がないのが悪りいんだよ! 特にそこの女ぁ!」
桜花を指さす。
「実力もねえくせに、一丁前に発言してんじゃねえ! それくらいルールブック読めやぁ!」
寺園が額に指先を当てて溜息を吐く。
「……訂正してください」
「はぁ⁉ 何言ってんの? 訂正するも何も事実を言ってんだから訂正も何もねえだろ」
「してくださらないのですね……分かりました……」
桜花の覚悟を決めた目を見て球が止めようとする。
「ちょっと桜花やめ……」
「私と勝負してください」
球は遅かったと、大きな溜息を吐く。
室内が凍ったように静寂で包まれると、対照的に栄司は笑い転げた。
「おいおい、こりゃ滑稽だな! 本気か?」
「当たり前です。どうせ私の方がポイントは低いのですから、あなたに断る権利はないはず。この勝負、受けてもらいますよ」
栄司はにたにたと笑う。
「何がそんなにおかしいのでしょうか?」
「何がって……なあ? ……教えてやれよ」
栄司が寺園を首で使う。
「えっと、君は一般での入部だよね?」
「はい」
一般とは一般入試で入学した部員のことであり、ここ清流では過去の実績を評価された推薦生や特待生がほとんどである。
「そうしたらその勝負は受理されないんだ。君と栄司ではあまりにポイントが離れすぎていてね。栄司が勝った際に君の持ち点の二倍以上を彼に払わないといけないから、ルールに抵触することになる」
「そういうことだ。てめえは俺に挑む資格すらねえんだよ!」
桜花は拳を痛いほど握り、全身を震わせていた。自分ではこいつに挑むことすらできないのかと。会議室のどこからか聞こえてくる小さな笑い声が桜花を更に惨めな気持ちにさせた。
そんな彼女の様子に強く共感した球は考えるより先に行動に移していた。
「二人」
「は?」
全員の頭に現れる疑問符、急に立ち上がった球に一同呆気に取られた。
「私もその勝負に乗ります。二人ならポイント足りますか?」
球の問いかけに、寺園は焦ってパソコンを再起動させる。
「ちょ、ちょっと待ってね。えーっと君も一般だよね?」
「はい」
「うん、規定の範囲内だね。勝負は成立するよ」
桜花の表情が一気に晴れる。
「……誰だてめえ」
「あなたが言うところの、実力もないただの雑魚ですよ。別に良いですよね? それとも二人で挑んじゃいけないってルールがあったりします?」
栄司が舌打ちをする。
「そういうことで受けてもらいますよ先輩。えっと勝負内容は……」
球は寺園に視線を送る。
寺園が補足する前に栄司が言う。
「六人野球だ。それ以外は認めねえ。足りねえ人数はてめえらで集めろ」
それだけ言って彼は会議室を後にした。
「……だってさ、桜花」
「えぇ、臨むところだわ。絶対にあの言葉、訂正してもらうわ」
二人は顔を合わせてニヤリと笑った。