立場? 女に未来はない? そんなことより練習
「ふざけんじゃないわよっ!!!」
桜花の怒声が室内練習場に響き渡る。それは先ほど誉が洗濯物を落とした時より数倍大きい声量で、そこに込められた怒りと熱量は比にならない。桜花の脳内が怒で埋め尽くされていることは彼女の様子を見ただけで、誰にでも見当がつくだろう。
無理もない。あれから進行が遅れていた雑用を最高率で終わらせ、朝食を掻き込んでまでここに来たのに使えないときた。それも雑用の進行を最も妨げている男連中の無茶苦茶な論理によって。
対して、彼女にここまで感情をぶつけられているにも関わらず、当の男たちは悪びれもしない。まるでそれが当たり前であると、ここはお前らが使う場所ではないと、そう態度で主張しているようであった。
その中の一人、能代傳がせせら笑いながら言った。
「おいおい、待ってくれよ。こっちは大まじめだってぇの! ふざけてるのはそっちだろ? そもそも何で女が野球部に入ってきてるわけ? いくら甲子園に入れるようになったからって、マジで入部するやつがあるかよ!」
「あのねえ! 別にあんたたちに退けって言ってるわけじゃないのよ! そっちの余ってるスペースを使うってだけなの! 理解できますっ⁉」
「いいや! 全く理解できないね! いくら練習したってスタメンはおろか、ベンチにすら入れないのは目に見えてんじゃん! 無駄なんだって! なのに練習をしたいなんて言い出すんだから理解できるわけないじゃん! それにそこは後から来る奴が使うことになってんの。だからダメー。大人しく雑用でもしてるんだな!」
「はあっ⁉ あのねえ……あんたが無駄だと決めようが知ったこっちゃないわよ。私たちが練習するのを止める権利はあなたにはないし、あなたの論理に正当性もないのよ」
「たしかに、俺に止める権利はないね。けどよ、正当性は大いにあるね! 今後、甲子園を沸かしてプロ入りの可能性がある俺たちに対して、お前ら女子はどうよ? 未来があるようには見えないのは俺だけか? いいか? 俺が言ってることは客観的事実なんだよ! お前らだって本当はそう思ってるんじゃねえの?」
「話になんない! そんなのあんたの主観じゃない! 私たちに未来がない? 笑わせるんじゃないわよっ! 身体能力で劣っていようが、そんなの関係ないわ!」
桜花の言葉を聞いて傳が大爆笑する。一連のやり取りを聞いていた室内練習場にいた一年男子は皆、例外なく彼女へ冷ややかな視線や嘲笑を送っていた。
「おいおい、それこそお前の主観だろ。何のために女子野球部があると思ってんの? 身体能力的に女子が男子の中で野球をやるのはフェアじゃないから、それに危ないからだろ? 皆が客観的にそう判断してんの! それなのに甲子園の女人禁制解除を真に受けやがって! あんなのはコンプライアンスにビビった高野連がした形だけの対策なんだよ! てめえらは痛い目に合う前に黙って女子野球部に行くんだな!」
高野連は日本高等学校野球連盟の略称で、日本の高校野球の統括組織である。甲子園大会と呼ばれる、全国高等学校野球選手権大会は高野連が運営している。
「あんたねえ……っ!」
傳に殴りかかろうとする桜花を球が止める。
離しなさい! と暴れまわる桜花をなだめていると、敦也が入口の扉から入ってくる。
「どうした?」
「……ちっ!」
球は敦也と目が合うと、反射的に目を背け思わず舌打ちをしてしまう。
「あ? こいつらがよお! お前の場所使うって言うから、止めてただけよ!」
「ん? 使うのなら、先にウエイトやってくるから俺は別に良いんだけど。何か問題でもあるのか?」
「はあ? ほんとお前、野球以外の頭回んねえな! 空気読めってえの!」
「お前がどうしたいのか、俺にはさっぱり分からん。それで、俺はどうすれば良い?」
「もちろん私たちが先に来たんだから、そこは使わせてもらうわよ」
「はあ⁉ ふざけんな! お前ら女子に使わせるスペースなんてねえんだよっ!」
桜花は再度黙って飛び掛かろうとする。球が抑える。
「もっ! もういいよ桜花ちゃん!」
誉が意を決して意見する。
「はあ⁉ 何言ってんの?」
球の拘束を振り切って桜花が誉に詰め寄る。するとビビった誉が球を盾にして後ろに隠れる。
「ビビってんじゃないわよっ! そもそもねえっ! あなたが自分の仕事をもっと……」
桜花の言葉に被せるようにして球が提案をする。
「私も誉に賛成だなぁ」
「はあ?」
「いや、だってさ。この人たちまともに会話する気ないでしょ? もちろん桜花の気持ちは分かるけど、こんなことしてても時間の無駄じゃない?」
「けどっ! ここ以外のどこで練習すればいいって言うのよ! こいつらのせいで私たちが割を食うじゃないっ!」
もっともな意見だ。
球が桜花に肩を組み、耳元で言う。
「大丈夫、ここじゃなくても練習はできる。それに、割なんて多少食うくらいが丁度良いハンデとは思わない?」
そう言ってから、桜花にヘッドロックを決めて口を塞ぐ。
「そういうわけで、お邪魔しましたー。次からは立場をわきまえますのでー」
球は心にもないことを言って、去り際に敦也を思い切り睨みつけた。