再起 その3
「……ん?」
目が覚めるとそこには白い天井だった。
「目が覚めたのね」
「桜花先輩?」
体を起こすとそこには桜花と龍一、それから白衣を着た若い女性がホッとした風に球を見ていた。
「君、頭に痛みはない?」
「特にないです」
「自分の名前、今日何してたか言える?」
「二木球。今日は……あ! 試合はどうなったんですか?」
「記憶に問題はなさそうね。一応後でうちの病院で診てもらった方がいいよ」
白衣の女性は恐らく医師なのだろう、球の状態を客観的に判断して桜花に今後のアドバイスをする。
「ありがとうございます卜部さん」
「あの、何が起こったんですか?」
球のその質問に桜花と龍一は目を合わせる。
「振り抜いたバットが一周回って球ちゃんの後頭部を直撃したのよ。たぶんビビらせるために少し当てるつもりだったんでしょうけど、球ちゃんが捕球の際に少し後ろに下がったでしょ? あれで計算が狂ったようね」
塔樟の選手はわざわざボール球を振ってまで球をビビらせようとしたのだ。
その事実に球は言葉が出てこなかった。
それでも球はもう諦めていた。なぜなら自分が女だから。
「おい、何で黙ってんだよ」
そんな球の心中を龍一は見抜いていた。
「何でそうやって受け入れようとしてる? 散々女だから女だからって、前にも言ったけどよ悔しくねえのかよ!」
「龍一君……」
球がどれだけ悔しいのかは龍一にも分かっている。ただそれでもここで言っておかなくてはならないと思ったのだ。
「お前馬鹿にされてんだぞ! いい加減に目ェ覚ませやあ!」
「私だって……私だって……!」
それは涙だった。昔から負けず嫌いで、意地っ張りだった球が初めて人前で流した涙だった。龍一の言う通りだということは重々承知している。それでも女だからと馬鹿にされる度に自分の中でこう思ってしまうのだ。自分のやってきたことは無駄だったのではないかと。自分が積み重ねてきた研鑽は偽物だったのかと。
「ははは……本当に女なんかに生まれてこなければよかった……今までの努力も全部、全部無駄だった。野球なんてやらなきゃよかった……」
涙を流しながら今まで自分の中で抑えていた感情を漏らす。
「そんなのかんけーねえ」
「関係あるっ!! あんたに分かるの? 女だからって馬鹿にされる気持ち。女だからって血反吐垂らしながらやってきたことを全部否定されるのよ! それがあんたに分かるのかってきいてんだよっ!!」
「そんなもん分かんねえよ!」
「だったら……!」
「でもよ……これだけは分かる。お前が必死になって積み上げて来たものは、それは本物だ。紛れもねえ本物だよ……」
「なんであんたに分かるのよ!」
「そんなもんお前のプレーを見てれば分かんだよ! 悔しいけどよすげえよ……どんだけ練習すればああなれんだって……だからよ誰が何と言おうとお前のやってきたことは本物だって思うぜ」
自分で言っておきながら少し気恥しくなる龍一だったが、そのまま続ける。
「だからよ……あんなやつらの言うことなんて気にすんな。お前はお前のやりたいように野球をやればいいんだ。――なあ、お前はどうしたい?」
――お前のやりたいようにいやれ……
「……今まで」
「あ?」
「今まで私を馬鹿にしてきたやつ全員ぶっ潰すっ!!」
球は涙を拭い、そう宣言する。
「は、ははは! そうだな! そうこなくっちゃなっ! でもよ野球は一人じゃできねえぜ、ですよね桜花先輩?」
「ええ、そうね」
龍一と桜花が目を合わせてニヤリと悪だくみをしているかのように笑う。
桜花は医務室の入り口の方へと歩き扉を開ける。
「「「うわーっ!」」」
するとずっと扉に張り付いていたのか、紬や清彦などベンチで待機していたはずの二、三年生たちが医務室へ一気に流れ込んできたのであった。
「よー! 話は聞いたぜ! あいつらにお礼参りをすんだろ? 手伝わせろよ!」
「あ、玲ちゃん……お礼参りって、そんな物騒な」
「いいじゃない芽衣。お礼参り、わくわくするじゃない!」
「優奈ちゃんまで……」
「私もお手伝いしますっ!」
「……血祭」
「もう……こっちの方が不良だよ……」
ぞろぞろと球のもとへと駆け寄ってくる先輩たち。
「球ちゃん」
「桜花先輩?」
「私たちに力を貸してくれないかしら?」
柔らかな笑顔で球に手を差し伸べる。球はその手を取り笑顔でこう言った。
「こちらこそお願いします!」
「おいおい、あいつ戻ってきやがったぜ。大人しく病院送りになっておけばいいもの」
ベンチ裏から出てきた清龍ナイン、その最後尾に球がいることを確認するとお得意のヤジを飛ばす工藤。
それでも球はもう動じない。
「あなた、私によくそんな口を利けるようになったわね」
「……っ!」
それは数か月前の、球の全盛期の雰囲気と同質のものだった。星刻シニア時代を思い出した工藤、それから島田はそれを感じ取っていのである。
「出世したわね。あんなへぼピッチャーが先発でなんて塔樟もたかが知れてるわ」
「なっ! あいつ、ちょーしこきやがって! 先輩頼みます! かましてやってください!」
打席には塔樟の五番バッター、1アウト、二塁三塁、1ストライクから試合が再開される。
「おめえ、偉才だが何だか知らねえけど、あんまちょーしのってんじゃねえぞ! また痛い目あっても知らねえからな」
「あー怖い怖い。そんなこと言われたら私ちびっちゃう」
「て……てめえ! このガキャなめくさりやがって!」
「ボール来ますよ」
「なっ!」
「ボール!」
龍一が投げたボールが五番バッターの顔付近を通過する。大げさに尻餅をついてしまった相手バッターは球へ怒りを向けていた。
「おい! てめえ! やんのか! あぁ!」
「やだなあ、人聞きの悪い。ただのすっぽ抜けですよ。あのバカのコントロールの悪さをご存知でしょう?」
「テメェ……」
ホームベース上で言い合いをする選手を見逃す審判はいないだろう。
「ちょっと! あんまり小競り合いすると没収試合にするからね」
「ちっ! 命拾いしたな」
「すみませーん」
――よし、これで打席からあからさまに攻撃できなくなった。私を潰したいのなら、次の策は単純。さっきと同じ手よ。
カーンっとふらふらと上がったフライはライトの優菜のもとへ。
「よっしゃ! これで二点目! ざまあねえぜ! あの女!」
「今日はよく飛んでくるねぇ~」
捕球態勢に入った優菜は呑気にそう言った。落下地点より三歩後ろに下がり、助走を付けながら捕球するとそのままの勢いで球へ送球する。
「おーりゃぁ!!」
もちろん三塁ランナーもスタートを切り球へと突っ込んでくる。優菜の返球も先ほどよりいい、完全にアウトだ。それでも三塁ランナーはそのまま突っ込む。両腕で頭をガードしながら先ほどのように球を吹っ飛ばすのだろう。
「いけや! そんな女潰しちまえ!!」
ドンッ!!
再び鈍い音が球場に響き渡る。
「なっ!」
タックル同然の飛び込みを球は真正面から体全体で受け止めランナーを沈黙させる。ランナーは衝撃からかその場に倒れ込んでしまう。
「あのね……私を誰だと思ってるのよ。世界大会でもそんな手を使ってきたやつはたくさんいたわ。もっと筋肉付けてきた方がいいわね」
もちろん判定は――
「アウトッ!!」
「おしゃー! ナイス球!」
「あなたもやっと調子出て来たわね」
「ああ、こっから反撃だ!」