再起 その2
「お! 試合始まりましたね」
「だな、塔樟学園が先攻か」
「見てくださいよ! あの金髪の子ピッチャーですよ! ぷぷ、ウケる(笑)」
塔樟の一番バッターに対してストレートを中心に押しまくる龍一。
「いや、笑い事じゃねーぞありゃ。相当速いぞあの金髪。一体何キロ出てるんだ」
「あれ、でもいきなりフォアボールですよ」
「まあ、ああいうタイプのピッチャーは特に立ち上がりに問題があるやつが多いからな」
そう言っている間にもなかなかコントロールが定まらず連続のフォアボールでノーアウト、一二塁。バッターは三番、先制点を加えるチャンスだ。
「先制点は塔樟だな。塔樟のクリーンアップは特にチャンスに強いからな。最低一点、もしかしたらこの回で大量得点もありえるな」
・クリーンアップ――主にチームの三、四、五番打者を示す用語。
「そんなに簡単に野球って点数入るんですか?」
「ああ、野球は良くも悪くも流れのスポーツだからな。面白いほど点が入るときもあれば、閑古鳥が鳴くほど点が入らないときもあるのさ」
「へ~、あ! 打ちましたよ! すごい速い打球ですね」
「甘く入ったストレートを打たれたな。これは先制くるか」
一二塁間をすさまじい速さで抜けていくボール。ライトの優菜が捕球すると二塁ランナーを返すまいと、ホームベース手前にいる球へ思い切り返球する。すると無理だと判断したランナーが三塁ベース上でストップ。これでノーアウト、満塁になった。
・一二塁間――ファーストとセカンドの間のこと。
「今のって、打球が速すぎたからランナーが帰ってこれなかったんですか?」
「まあそれもあるけど、今のはあのライトの子が上手かったよ。女子選手とは思えないな」
「へ~女の子もやるじゃないですか! それにしても清龍の方は可愛い子ばっかですねー!」
応援席からだと選手の顔まではっきりと見ることが出来ないので、取材用のカメラのレンズを覗き、守備位置に就いている清龍ナインを物色する。
「一応写真撮っておこ! うわ! 今の銀髪の子めっちゃ可愛いですよ! ほら見てください!」
「まったく! ちゃんと試合に集中しろ……ってこいつは! 大黒シニアの佐藤優菜じゃないか! 何でこんなビッグネームがこんなところに!」
そう言いながら中年記者は女性部下からカメラを取り上げると、レンズを覗き込みながら清龍女子のメンツを確認する。
「ちょっとー先輩! 何するんですか!」
「セカンドの子は同じ大黒シニアの御手洗芽衣! それに桜木バルカンズの『怪物』に『神速』。極めつけは江戸川ジェッツの『悪魔』……何でこんなに……」
中年記者はカメラから目を離し、信じられない光景を見たと唖然。
「あの女の子たちってそんなにすごいんですかー?」
「ああ、凄いも何もシニアとボーイズのスター選手だった子たちだよ。音沙汰なしと思っていたがこんなところで出会えるとは」
「そういえばキャッチャーの子も女の子ですね。先輩は知ってますか?」
「お、ちょうどバッテリー間でタイムをとるみたいだな。どれどれ」
・バッテリー――ピッチャーとキャッチャーのペアを指す用語。
「……」
「どうしたんですか? さっきまでうざいくらい喋ってたのに急に黙り込んで」
「いや、ちょっとまて。幻覚かもしれん」
「まさか娘さんだったり?」
「それより信じらんねえよ」
「え?」
「さっきまでは塔樟がコールド勝ちすると思ってたけどよ。こりゃいよいよ分かんねえぞ」
・コールド――審判が試合続行不可能と判断した際に試合を打ち切ること。判断要素は二つ
あり、天候と得点差である。コールドと会話で出てきたら得点差によるコールドのことである。
「何ですか一体。もったいぶらずに教えてくださいよ」
「喜べ! この試合観に来て正解だぞ!」
「だから何なんですかって!」
「まさかあの――『偉才』が野球をやっていたなんて!」
――ノーアウト、満塁でバッターは四番の島田。一点はしょうがないわね。
甘く入ったストレートをあっさりとヒットにされ球はそう腹を括った。
「やっぱりそうだ、お前は腑抜けたよ。あのピッチャーもしょうもねえけどよ、定石通りのリード、心まで女になっちまったかよ!」
「前見たら?」
「は! さっさとコールドで終わらしてやんよ」
球のサインはアウトコース低めのストレート。というよりほかに選択肢がないのである。今のところ龍一が塔樟の選手相手に武器になるのはストレートだけなのである。
その球の選択はほぼ正解だった。予想以上に球威のある龍一のストレートに島田は力負けしてライトへ浅いフライを上げてしまう。
「くそっ!」
――これならタッチアップは無理そうね。ラッキーだわ。
・タッチアップ――バッターがフライでアウトになった直後、ベース上にいるランナーが次
の塁へ進むこと。基本的にランナーが三塁にいる場合、大抵外野フライを飛ばせることが
出来ればタッチアップで一点取ることができる。ただし今のような浅いフライではホームベース手前で刺されてしまう可能性が高いためタッチアップはしない。
「心配すんな! 島田! 先制点は俺らだ!」
三塁ランナーである工藤はあっさりと凡退してしまった島田に声をかける。
「ゴーッ!!」
ライトの優菜が捕球したのを確認すると、三塁コーチャーが工藤に指示を飛ばす。
・ゴー!!――スタートを切れという指示。
・三塁コーチャー――三塁側にいるベースコーチのこと。主にランナーに対しての指示出し
を行う役割を担っている。
――タッチアップ⁉ ありえない! さっきの優菜先輩の送球を見たでしょ⁉
「舐めないでよね!」
優菜が球めがけて送球、それはとても正確であった。すばらしい送球を受けた球は完全に舐めた走塁をしている工藤を軽蔑した。一歩手前、いや三歩手前で確実にアウトだ。
しかし突っ込んでくる工藤の顔を見て球は気づいてしまったのだった。舐められているのは優菜ではなく自分だったということを。
「うおぉぉぉぉおおお!! どけや! クソ女!」
このまま突っ込んできても確実にアウトなのだが、諦めない工藤のその形相に球は少し腰を浮かせてしまう。
――うっ、まずいっ!
ドンッッ!!!
そう思った時には遅かった。球場中にそんな鈍い音が響き渡る。
明らかに間に合わないタイミングでのタッチアップ。工藤へタッチに行こうとした球だったのだが、彼はそのまま強行。ホームベース体全体で守る球にそのまま突っ込む、いわゆる体当たりだ。男子選手の体当たりに耐えられるはずもなく後方へ吹っ飛ばされてしまう。
その結果、衝撃でキャッチャーミットに入っていたボールを落としてしまった。それがなにを指すかというと、
「セーフ!」
「しゃぁぁあああ!!」
タッチアップに成功した工藤を皮切りに盛大に盛り上がる塔樟ベンチ。
「おい! 球! 大丈夫か? しっかりしろ!」
「……大丈夫よ」
ユニフォームについていた土を払いながら立ち上がる球。そんな姿を惨めに思った工藤がさらに追い打ちをかける。
「ほらな! てめえはさっきビビって腰を浮かしちまった! まあしょうがねえよ。女だもんな! 本能的に男にビビるのはしょうがねえよな! あーあ、お前が男だったらなー今のもアウトだったのになー」
「ざけんなよ! あんなの野球じゃねーよ! 反則だ!」
「は? 何言ってんだ? これが野球だ! 俺は悪くねーんだよ! 強いて言えばその世界に女の分際で入ってきたこいつが悪い! 後のやつらもそうだ! 女の分際で俺ら塔樟に勝てると思うなよ!」
「おい! 待てって!」
「待つのはあんたよ」
「止めんじゃねえ球! いい加減にしろよあいつら!」
「いい加減にしなさいっ!」
「ガッ!!」
球は工藤にとってかかろうとする龍一の顔面を左手の拳で殴り飛ばしていた。
「な、何すんだ!!」
「うるさい! 元はといえばあんたのコントロールが悪いからこうなったのよ! 喧嘩売ってる暇あったらちゃんと投げろ!」
「あ? それはこっちのセリフだ!お前だってさっきから弱気なリードばっかしやがっ
て! いつもの強気はどこへいったのやら」
「はぁ? こっちは色々と考えて工夫してんのよ! あーあ、もっと有能なピッチャーだったらなあ」
「おい球こら、テメェ言うようになったじゃねえか」
「元からこうなんだよアホ!」
顔を至近距離に置いて睨み合う二人。
「おいおい! 仲間割れかよ!」
「あのーそろそろ試合再開したいんだけど。キャッチャーの子も大丈夫なんだよね?」
球審が試合中にもかかわらず喧嘩をしている二人に、プレー続行の催促をする。
・球審――普段はキャッチャーの後ろにいる審判。ストライクやボールの投球判定や試合進行などの権限を持つ。
「は、はい。すみません」
「まてって! まだ話は終わってねえ!」
「……行って」
「おい」
「行けって!」
「てぇな! ちっ、くそっ」
しつこく突っかかってくる龍一の胸をミットをつけた左手で強く押す。そんな球を龍一はどうしてもやりきれないという顔で見ると、少し悪態をつきながらマウンドへ戻っていった。
そして球審の合図とともに試合が再開される。1アウトニ三塁で塔しょうの五番打者を迎える。
野球は良くも悪くも流れのスポーツ、これ以上点を与えて相手を勢いづけてはならない。そう考えるのが常だ。
球が龍一に出したサインは右バッターのインコース低めのフォーク。先ほどのタッチアップを意識してサード、ショート側に強めのゴロを打たせたかったのだ。
しかしそれは本来の球なら絶対に出さないサイン。ピッチャーを、味方の守備を信頼していない独りよがりの考えが生んだ愚策であった。
そんなサインに首を縦に振るも、龍一は納得できなかった。球のサインの真意を見抜けるほど龍一の野球偏差値は高くない。それでも不思議なものでその人の考えはプレーを通して伝わってくるものである。自分を、チームメイトを信頼していないことへの不信感。
それは最悪の形で現れた。指にかかりすぎたフォーク。それを意味するのは、
――ワイルドピッチ!
明らかにベースの手前でバウンドするボール。ミットだけで取りに行こうとすれば後逸する可能性は高い。そう判断した球はギリギリまでボールの行方を見極め、体全体で止めようとした。
しかしボールが地面に着く、その刹那――
『あいつのせいで四連覇逃した』
『知ってるか? 決勝点あいつのパスボールらしいぜ』
『やっぱ所詮女だな』
『もう野球やめろ』
ワイルドピッチ、あの時の記憶がフラッシュバックする。思い出したくもない。根も葉もない噂話、罵倒、チームメイトからも女だからと拒絶された過去。
すると急に向かってくるボールが急に怖くなり、腰を浮かして、半歩後ろへと下がってしまう。
ボールが向かってくる。クソボールだ。バッターはバットを振らない。そのはずなのに、
「ストライック!!」
審判のジャッジはストライク。さらにボールも球のプロテクターに当たりなんとか後逸せずにすんだのだが。
ゴンッ!!
そんな鈍い音が球の脳内で響く。そして次の瞬間――球は地面に倒れ込んだ。
「おい球っ!!」
「清彦君! 担架持ってきて! 急いで!!」
「――御意」
「球! しっかりしろ!」
「龍一君ダメよ! 触らないで!」
「で、でも! 桜花先輩どうすれば……っ!」
「とにかく触らないで! 今はそれだけよ! 唯ちゃん! 医療部の人呼んできて!」
「任せろ!」
――なんだろ? 何が起こったんだろ?
自分では状況がまったく認識できない球には、桜花や龍一たちの声が異常なほど遠くに聞こえていた。