再起
球たちが遊びに出かけた翌日、ここ清龍高校女子野球部練習場では塔樟学園と清龍女子との練習試合が始まろうとしていた。日曜日にも関わらず隣接する夜桜グループの社員や警備部、地元の野球好きが清龍女子初の対外試合を一目見ようと早朝から集まっていた。その中に若干違和感のある二人が観客席に腰を据えていた。一人は短髪で中年体系のおじさん。もう一人はまだ大学卒業したて、新卒臭がプンプンしてくる女性だった。
「せんぱーい。日曜なのになんでわざわざここまで来たんですかー?」
「なんでって、この前言ったろ。急に今注目の塔樟学園が練習試合することになったから、取材に行くぞって」
「えー塔樟ってそんなに強いんですかー?」
「はあ、それもこの前データ資料で送ったろ。目通してないだろ」
「だってー活字多すぎですし~何書いてあるか全然分からないんですよ」
「ったくしょうがねえな。塔樟はな、今夏、西東京で最も注目されてんだよ。まあ元はヤンキー校だったんだがな、監督が代わってから大躍進。秋の大会であの強豪の和佐田学院に負けたけど一点差まで追い詰めたんだ」
「おー聞いたことありますよ和佐田。甲子園出てますよね」
「そうだ。あとは練習試合でも千葉の強豪、芥子之。東東京の古豪、定公。持ち前の鉄壁のディフェンス力で数々の強豪相手に金星を挙げてんだ。そんな塔樟が春季大会前に練習試合をやるってんだから取材しない手はないだろ」
「へ~でもこの時期に急いで取材するってことは」
「ああ! そうだよ! 波に乗り遅れたんだ! 悪かったな! ここから取り戻すぞ!」
「は~い」
新卒に痛いところを突かれて苦虫を嚙み潰したような気分の男性記者であったが、今この球場の雰囲気や清龍女子野球部に対して違和感を抱いていた。数々の高校を取材してきたから分かる。明らかに様子がおかしい。
あの名門、清龍高校野球部なら分かるが女子野球部でこの異常なほど整った設備、それに練習試合を見に来ているギャラリーの数など。これまで女子野球部をいくつか取材したことはあったが、それらとはまったく違う。そんな違和感が男性記者の頭に引っかかっていた。
「そういえば~なんで清龍は女子って名前についてるんですか?」
「ああ、それはだな。数年前から始まった女子野球部制度だよ。細かいことまでは覚えていないが、正式に女子野球部が男子と同じ大会に出場できるようになったんだ」
「へ~でもあれ見てくださいよ~」
女性記者が指さしたのは龍一だった。
「あの金髪君、男ですよ~」
「ああ、男も選手登録可能なんだ。ただし女子選手の比率が一定以上を超えていないと大会には出れないけどな」
「へ~そうなんですね。にしてもあの金髪やばいっすね。ルー○ーズかよ(笑)」
「たしかにあれはすごいな」
数十分前、練習場の前で塔樟学園を清龍女子ナインが出迎えをしていた。
「塔樟学園の皆様、本日はご足労感謝いたします。私は清龍高校女子野球部キャプテン兼
監督代理の夜桜桜花と申します。よろしくお願いいたします」
マイクロバスから降りてきた塔樟学園に対して深々と頭を下げる桜花。みなもそれに倣い頭を下げる。
――監督代理? 監督っていたんだ。
桜花の監督代理という言葉に意外だと頭を下げながら思った球だった。
「これはこれは、こちらこそよろしくお願いしますよ。監督の権藤です。しっかし随分と豪華な設備ですねー。女子野球部にはもったいないほどに」
ボーズで元ヤン風な相手監督は桜花と握手を交わすと、いきなり軽い挑発をしてくる。
「なあ! お前らもそう思うよな!」
背後に並んでいた塔樟の選手たちはゲラゲラと監督を肯定する。
「おい! テメェ! 言っていいことと悪いことがあんだろ!」
自分たちを馬鹿にされて黙っていられないヤンキーが約一名。
「あぁ? テメェって誰に口きいてんだぼけ。高校野球は弱肉強食の世界、弱い奴に人権はねえんだよ。つ・ま・り、女子野球部には何言っても許されんだよ! なあおい!」
「こ、こいつ!」
「落ち着けりゅーいち! 挑発に乗ることなんてないぞ」
「でも師匠!」
「やめな龍一。玲の言う通りだよ」
「姉御まで……」
「野球人ならプレーで語るべきだ」
「はははは! 女のくせに言うことはいっちょ前だな! そうか! なら見せてもらうとしようか! まあせめてうちの調整になる程度には頑張ってくれ! おい! 行くぞ!」
散々馬鹿にすると気が済んだのか、選手を引き連れて球場へ入っていく。
「おい! 球!」
塔樟選手の列の最後尾にいた工藤は球に詰め寄る。
「てめぇシニアの時と同じだと思うなよな。高校野球で通用しねえことを思い知らせてやる。精々女に生まれたことを呪うんだな」
喧嘩を売るように睨みつける工藤に対してまったく表情が動かない球。この時の球は工藤に言われたことに対して何も感じなかったわけではない。
もし自分が男だったら今ごろどんなに楽しく野球ができただろうか。名門校から推薦を貰って春季大会で華々しくデビュー。それから夏で全国区の選手になり、秋にはチームの中心、そこから五大会連続で甲子園出場。もちろんドラフト一位でプロ入り。そんな妄想は幼いころから何度しただろうか。試合に負ける度に思った。プレーで自分が劣っていると感じるたびに思った。世界大会でも思った。毎晩毎晩、あの瞬間を夢で見る度に思った。
もし自分が男だったら――
そう思わなかった日はかつてない。いつでもそう思っていた。
だからそう。工藤なんかに言われるまでもない。球はすでに、
――女なんかに生まれてこなければよかった。
そう、心の底から思っているのだから。