残りの二人とそれから その4
夜、十時を過ぎた頃だった。ロードワークを終えた龍一は寮の大浴場で汗臭い体を洗い流し、十分に体を温めると、自室に戻りストレッチをしていた。これは龍一の日課なのだが、いつもより時間が遅い。ロードワークの距離を倍に伸ばしていたからだ。唯からは距離はどんなことがあっても絶対に変えるな釘を刺されていたがそんなことも言っていられない。
今日のシートバッティングでは警備部の人相手に五失点。守備もフルメンバーであったにもかかわらずだ。明らかに自分の実力不足。一刻も早く成長しなければならない、夏の予選はすぐそこなのだ。そんな気持ちばかり先走ってしまう。焦りだけが心の中を支配していた。
しかし龍一は自分には何が足りないか、その一部を冷静に分析して自覚をしていた。
「俺は野球を知らなすぎる」
まさにその通りだった。身体能力だけなら龍一は申し分ない。MAX150キロのストレートに落差のあるフォーク、それに加えてどんな相手にも向かっていける強い心がある。データ上なら高校でも十分通用するだろう。
しかしそんなのはただ股間がでかいだけの童貞、実にしょうもない、使い道がない。心技体とはよく言ったものである。龍一には圧倒的に技がない。野球の技術と知識が足りなすぎるのだ。これは龍一の頭が少し弱いことが原因ではない。しょうがないことなのだ。野球と出会ったのが中学三年生、始めて一年の初心者なのである。
それでも何とか不足分を補おうと、ない頭をフル回転させていると。
「お! 良いこと思いついた! やっぱ俺って天才じゃねえか!」
その発言からは知性のかけらも感じられないのだが、どうやらその思いついたことは今の龍一にとってはベストアンサーに近いものだった。
「分からないことがあれば、一番知っているやつに聞くのがはえんだ」
ここ清龍女子野球部で一番野球に精通している。しかも感覚的ではなく、しっかりと理論としてそれを持っている人といえば一人しかいなかった。
「球のやろう起きてっかな」
清龍女子野球部の寮は三階建てである。一階には食堂、大浴場、それからミーティングルームなど。二階は男子専用であり龍一と清彦しか使っていないためほとんどが空き部屋である。それから三階は女子専用であるがこちらも部屋数に対して人が少ないため半分ほどが空き部屋となっている。球の部屋はそんな三階への階段を登り切った目の前にある。そのため比較的に他の部員と遭遇する確率が少なく部屋へとたどり着くことができる。別に男子が三階に立ち入ってはいけないというルールはないのだが何かと今のご時世は厄介なのである。
「おーい。球ーいるかー?」
誰とも遭遇せずに球の部屋までたどり着いた龍一は無駄に分厚く防犯性能の高いドアをノックする。しかし部屋の中からは返事は帰ってこない。
――おかしいな。さっき先輩に今日はもう上がるって食堂で言ってたのに。
「おーい。俺だ、龍一だ! もう寝たのか?」
寝ているのであれば静かにした方が良いのだろうが、この男にそんな気遣いをする頭はない。
――どうしたもんか、明日にすっかな。
寝てしまったのなら致し方無いと自室に帰ろうとすると、球の部屋からドンッ、と明らかに生活音ならざる音が聞こえてきた。
「おい! 球! 大丈夫か?!」
ドアに張り付きどうにかして中の様子を伺おうとする龍一だったが、ぶつぶつと微かな音が聞こえてくるだけでそれ以上、ドアの向こうの様子は分からなかった。
「あら、どうしたのこんなところで?」
「あ、桜花先輩。お疲れ様です! それが、球の部屋から変な音が……」
「あーなるほどね。放っておいて大丈夫よ」
「いや大丈夫って! 明らかに様子が変ですよ! 今もぶつぶつ聞こえますし。まさかあいつ、ここのメンツのキャラが強すぎるから精神的に参ってるんじゃねえのか」
「ふふ、面白いわね龍一君。まあでも一番、球ちゃんに心労をかけているのは龍一君かもね」
「うっ! た、たしかにそうかもしれませんけど」
「まあ大丈夫だから」
「ですけど!」
「もうしょうがないな君は! ちょっとこっち来て」
「ど、どこ行くんすか?」
「一階のミーティングルームよ」