残りの二人とそれから
「ふぁ〜」
学校が始まり三日目の朝、窓際の自席で微睡むことはすでに日課となっている。無理もない。昨日は徹夜明けで数ヶ月ぶりに野球をしたのだ。さらにキャッチャーというポジションは一見座っているだけに見えるが、特に疲労が溜まりやすいのである。
そんな疲労が溜まっている球の姿は不思議と見ているものを癒す効果があるようで、クラスメイトの特に女子がちらほらと見物している。その姿は窓際で日向ぼっこをしている猫に近いのだろう。
そんな光景が何分か続いたところで何やら廊下から聞き覚えのある騒がしい声が聞こえてきた。
――この声は、紬先輩と玲先輩?
「あはははは!!」
「もぉぉおお返してぇえええ!!!」
「ばーかっ! こっちだ! あはははははは!!」
球は窓の外へと向けていた顔を反対側の廊下へと向けると、二つの小さな影が爆速で通過していったのが見えた。一つは馬鹿みたいに大爆笑、もう一つは泣きべそをかいているのが頭に浮かんでくる。
またあの二人か、と思い途端に興味をなくした球は再び窓の外へと顔を向けようとしたその時、三日連続で静かな朝をぶち壊す阿保が現れたのであった。
「たのもー!!」
勢いよく扉をバンッと開けた少女は無い胸を張り、まさに威風堂々といった風に教室へと入ってくる。
そんな奇行が似合わない少女にクラスの誰もがあっけにとられていた。サラサラ、ツヤツヤの銀髪を腰の手前まで伸ばし、非常に整った顔立ち。スタイルも抜群で身長が球より十センチほど高いためモデルと言われても疑いようがない。何よりその銀髪はこの世のものとは思えないほど美しく、さらに整った顔立ちと合わさり、まるでファンタジーの世界からこちらに迷い込んだ少女なのではと思うほどである。
「優菜ちゃん。道場破りじゃないんだから……」
そんな絶世の美女に続いたのは紫のショートヘア、遠慮がちで地味な眼鏡娘だった。銀髪娘の背後から的確なツッコミを入れる。
「二木球はいるかー?! いたら返事するように!」
――え? 私? 絶対メンドイやつじゃん。
優菜と呼ばれていた銀髪娘、明らかに関わってはいけないと球の本能がそう叫んでおり、その瞬間無視を決め込むことにした。
「うーん。おかしいなーここであってるよね?」
「うん……あってると思うけど」
「二木球ー! 十秒以内に名乗りなさい!」
「「……」」――十秒ほどの沈黙
「優菜ちゃん。十秒たったよ」
「あ、数えてなかった! 今度ば十秒数えるぞー!」
「意味ないよぉ優奈ちゃん」
「はーい、イーチ、ニーイ、サーン、シーイ……」
――なんなんだこの人たち。
「キューウ、ジューウ! 出てこないじゃないかー!」
「何でだろうね……桜花先輩に写真見せて貰えばよかったね」
――桜花先輩?この人たち昨日練習に来てなかった人たちか。
「こーなったらしょーがない奥の手を使うか」
「ちょっと優菜ちゃん?!」
まさに漫画のキャラクターが必殺技を繰り出すかのように意気込んだ優菜は、スカートのボタンとフックを外しまるで何かを勝ち取ったかのように自分のスカートを高らかに掲げていた。
「ちょ、ちょっと! 何やってるんですか!!」
まさか大衆の目の前で脱ぎ始める女子がいるとは思わないだろう。それを見た瞬間に無視を決め込んでいた球の体は反射的に動いてしまった。
「お、君が二木球! うちは佐藤優菜! よろしくね!」
「いや、よろしくねじゃないですよ! 早くスカート履いてください!」
「あ、ほんとだ。これは失敬」
よっこいしょっ、とおっさん臭い掛け声とともにスカートを履く優菜。その行動、言動は外見の可憐さとはかけ離れすぎていた。
「それで改めてよろしくね! タマ!」
「お、お願いします。後ろの方は御手洗芽衣先輩ですよね?」
「え……私を知っているの?」
「ええ、野球関係で佐藤優菜と聞いたら御手洗芽衣もセットですから」
「へぇ……すごい、よく知ってるね」
――桜木バルカンズの小学生コンビと同じくらい一つ上の代では有名。千葉の元大黒シニアの女子コンビ。実際に会ったことはなかったけど色々と噂は聞いていたからすぐ分かったわ。それに――いよいよここの女子野球部はどうなっているのかしら。
「お! おはよ球! 元気かー? あははは!」
球の教室を走り過ぎていった玲がいつの間にかひょんと戻ってきたのである。
「先輩は相変わらず元気ですね」
「ああ! もちろんだ! 一に元気! 二に元気だからな!」
――よく分からないわ。
「あれ? 紬先輩は一緒じゃないんですか?」
「あー紬は今ごろ私たちの教室だな」
「またなんかしたんですか?」
「うん! まあ聞いてくれ! きのー風呂に入ろうとしたんだけどそしたらさ、紬が先に入ってたんだ」
「は、はあ」
「それで、洗濯籠見たら紬のユニフォームがあったんだけど、なんか香ばしい匂いするなーって思ったらププッ、スラパンがメッチャ臭かったんだ! ププッ! あはははは! やばい! 匂い思い出したら笑えてきた! あははは!!」
「それでまさか……」
「あん! スラパンくすねて教室の黒板に張り付けてきた!! しっかり紬のって書いてな! あははは!!」
「か、かわいそうに」
――今ごろ、香ばしいスラパンは公衆の眼前にさらされているのね。ご愁傷さまです。
「それでタマ、質問なのだけどチンポはいるかしら?」
「は?」
――今度はこっち、一体この人は何言ってるのかしら。
「チンポよチンポ。タマはそんなことも知らないの?」
「いや、ですから」
「チンポってなんだ?! いい響きだな!!」
通常運行の無邪気な笑顔、キラキラとした目で玲は優菜を見つめる。対して優菜はふんっ、と鼻を鳴らすと、自分しか知らない知識を初披露するかのような渾身のドヤ顔を決める。
「チンポだっ!!」
「だ・か・ら! チンポってなんだ!」
「チンポはチンポだ!」
「ちょっと……あんまり大きな声では」
「わっけわかんね! あははは!」
頭のおかしな凹凸コンビのやり取りはあまりに大声である。周りから注目芽衣が制止しても止まるはずもなく、それどころか激化する一方だった。
「あ! たしか性剣エクスカリバーとも言ったはず!」
「おーせーけんエクスカリバー! めっちゃカッコイイな! ほしい! エクスカリバーほすぃ!」
「う……」
「どうした?! ゆーな!」
「……残念だけどうちたちは性剣エクスカリバーを持っていないわ」
「え……持ってないの?」
「残念だけど」
「メイは持ってないのか?!」
「も、もも、持ってないよぉ」
「球は?!」
「ええ、持ってないです」
「……そんな!!」
球を見上げていた玲の口は半開き、何かに絶望したように目から生気が消え去ると床に手と膝を付き四つん這いになる。どうやらエクスカリバーという響きが特に気に入っていたらしい。
「私はエクスカリバーをこの手でつかめないのか……っ!」
「まだよ、あの名監督も言っていた! まだ諦める時間じゃないわ玲! 持っていないのならこの手でつかめばいいのよ!!」
――は?
「おー! ゆーなはあれか! 天才だな! あははは!!」
「もっと褒めて!」
「ゆーなは天才だ! どーてーもびっくりだ! あははは!」
そんな頭のねじが飛んだやり取りの最中に、最悪のタイミングで最悪な奴が教室に入ってきた。
「うぃーっす。今日もダリィなぁーって、師匠に優菜の姉御! それに芽衣さんも! 朝からどうしたんすか?」
「その……逃げた方がいいと思うよ」
――今日だけはあのヤンキーに同情するわ。まあ助けはしないけど。
「あー! チンポだ!」
「お! りゅーいちはエクスカリバー持ってるのか?!」
「え? チンポ? エクスカリバー?」
「そのチンポよこせー!」
「よこせっ!!」
「ちょっ! 何やってんすか?!」
教室の入り口で大乱闘を起こす三人。玲は龍一の背後に回り、背中にぶら下がりながら腕をホールド。優菜は暴れる龍一の下半身に狙いを絞り何とか隙をつこうとしていた。
そんな優菜の背後には一人の男性が近づいていた。
「おい! 何やってるんだ!」
「何をやっているかって、そんなのチンポをこの手でつかむために決まってるっ!!」
優菜はドスの効いた声の方へ振り返ると、そこには生活指導の小川先生が怒り心頭といった顔で立っていた。
「げっ! なんでガチムチがここに?!」
「一年生の教室で何やら卑猥な単語を連呼している上級生がいると聞いてな。やっぱりお前だったか佐藤!」
「やばい! 逃げるよ玲!」
「あはははは! ガチムチだ!! あはははは!!」
「まて! 今日は逃がさんぞ!!」
「とうっ!!」
「へ……っ!」
完全に撤退モードの優菜と玲を小川先生、もといガチムチがそれを追撃せんと駆け出す。何とかしてその手から逃れようと優菜は決断した、芽衣を生贄にすることを。
「うおっ! 何する?!」
「い、いやぁぁぁあああ!!」
「うわー生徒の胸揉むとか、セクハラだ、セクハラ!」
「あはははは! ガチムチセクハラ! へんたいだー!! ケーサツをよべ! あはははは!!」
――はあ、ここの女子野球部って本当に大丈夫なのかしら。