驚嘆と落胆 その4
1アウト、1ボール、1ストライクからシートバッティングが再開される。
球のサインは強気のインコース低めのストレート。息を吹き返したかどうかをこの一球で見分けるつもりなのだ。
ランナーがいなくなったのでワインドアップ、大きく振りかぶりモーションに入る。
「ッ?!」
それはまるで古いアニメの銃声のようだった。ぱきゅーん、という音が鳴り響く。これは決して誰かが作った効果音ではなく、龍一の投げたボールが球のミットに収まった際の音だった。それとほぼ同時に審判からストライク宣言を頂く。
ーーなかなかいいじゃないの。球速もさっきより上がってるし、構えたとこドンピシャ、それにキレも良くなってるわ。
「ナイスボール!」
「……厄介」
そう呟いた清彦はバットを短く持ち直すとバッターの一番前よりに立つ。フォークによる三振を嫌がったのだ。もしフォークが来たら完全に落ち切る前にバットに当てる、そういう魂胆だ。
「ファール!」
追い込まれてからもう十球以上もファールで粘り続けている。龍一にとってこの上ない嫌がらせだった。集中力と精神力は削られ、次第にボールがストライクゾーンの枠を捉えなくなっていく。
清彦は龍一が息を吹き返したことが分かるとすぐに狙いを変更した。フォアボール狙いで球数を稼ぎ、ラッキーなことに甘いボールが来たら確実に捉える。清彦がこのようにバッターボックスで立ち振る舞うのは理由があった。自分では今の龍一のボールを打てる確率が低い、そう客観的に判断したこともそうなのだが一番の理由は後ろに控えているバッターであった。
「ボール、フォア!」
「クソっ!」
「ドンマイよ。今のはしょうがないわ」
ーーあそこまで空振りしない清彦先輩の集中力が勝っただけだわ。今のは決して悪くはなかった。それよかシートバッティングでここまで徹底する先輩達を褒めるべきよ。
審判のフォアボール宣言を聞くと清彦はスタスタとファーストベースに向かう。
これで1アウト、1塁。そしてバッターは、
「よぉりゅーいちっ! 勝負だぜ!!」
「しっ、師匠! 今日は三番なんですか?!」
「おーう! オーカセンパイの指示だ!」
ーーこれはまずいわね。あの悪魔、ただでは立ち直らせない気か。まあそれでも『怪物』を間近で見ることができる。これはいい経験になるわ。
球のサインはアウトコース低め、ストライクからギリギリボールになるフォーク。玲の性格や打撃パターンから初球からガンガン振ってくることは容易に予想できる。そんな打ち気をまずは逸らすリードだ。しかし当の龍一は少しビビっていた。今まで幾度も玲に打たれた経験がフラッシュバックするのだ。それが龍一のわずかなコントロールミスを誘ってしまった。
ーーくっ、ボール半個分高い! けど、トップは崩した。これなら精々打ち損じに……。
「おらぁぁぁあああ!!」
ーーガッキィィィインン!!!
かつて金属バットのこんな音を球は一度だけ聞いたことがあった。球場の外にいた球のところまで聞こえてきたその音。それを起こした人物、その人物と今ここで向き合っていたのだ。
「おー飛んだなあー」
そんな能天気な唯の言葉が聞こえてくる。
お手本のように逆らわず弾き返したボールは右中間のフェンスを低い弾道で越えていったのだった。
ダイヤモンドをジョグで一周、ホームベースへと再び戻ってきた玲にどうしても聞きたいことがあった。
「……読んでいたんですか」
「あはははは、球は面白いな!!」
ーー全然面白くないです。
「答えはノーに決まってるのだよ! 配球を読めるほど頭良くないからな! あはははは!!」
ーー配球じゃなくてリードですって。
玲が『怪物』と恐れられている所以はその長打力にある。それを演出している要因は二つ。一つは単純にパワーである。体が小さくまともにバットも振れないような見た目をしており一体どこからそんな力が湧いてくるのか不思議だ。そしてもう一つはミート力である。どんなに裏をかいても必ずスイートスポットでボールを捉えてしまうのだ。
球が疑問に思ったのは後者だった。何も考えてなさそうな面をして自分のリードを読んでいたのではないかと、しかし事実はそうではなかった。
ーー反射神経。いやそれだけではないね。あの全身がばねのように柔らかいことも関係しているのかも……気になるわ。気になってしょうがないわ。でも今は他にやることがある。
玲にツーランホームランを打たれマウンド上に立ち尽くしている龍一のもとへ駆け寄る。
「ごめんなさい。私のリードミスよ」
「うるせぇ……」
「だから」
「うるせぇっつってんだろ! さっさと戻れや!!」
「……分かったわ」
ーー何よあいつ! せっかく気を使ったのに。こんなこと言われたの初めてよ!
龍一に厄介払いを食らった球をバッターボックスで『悪魔』が待ち構えていた。
ーー最悪なタイミングで最悪なバッターね。これは十点じゃ収まらないかも。ーー正直がっかりね、やっぱり口だけ、所詮はこの程度だったってことね。
球がそう思うのも無理はなかった。ゼロに抑えると言いながらも早々に失点しまった龍一をケアしようとしたら彼は逆にキレたのである。冷静さを失い、元の力みまくった投球に戻ってしまう。そんな状態で目の前の『悪魔』を退治することはほぼ不可能だった。
球は『悪魔』が打ち損じてくれる僅かな可能性に賭け、頭のなかのデータをフルで活用する。それでもやっぱり抑えることは不可能だと思っていたのだが、
「ーー前言撤回。やるじゃない」
龍一の放ったボールは球にそう言わせるほどの今日イチだった。