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美しさ〜ある日目覚めたら白雪姫になっていた〜

作者: 西田彩花

 幼い頃から劣等感の塊だった。物心ついたときには、姉2人と比べられながら生きてきた気がする。

「お姉ちゃんはどっちも美人なのに、あんたはどうしてそんななの」

「ブスって可哀想。あんたに生まれなくて良かった」

「おい、ホントにあいつの妹?同じ遺伝子だとは思えね〜」

 心ない言葉は何度も何度も投げかけられた。でも、いくつになってもそういった悪口に慣れることはなかった。テレビをつけると、「ブス」だと自虐して笑いを取っている芸人が映っていた。私は彼女のことを、強いな、と思った。彼女はいつ、自分が「ブス」だということを受け入れ、諦めたのだろう。いつ、傷つかなくなったのだろう。私は20歳を目の前にしているけれど、まだ自分の容姿を受け入れられないし、諦められないし、酷い言葉に傷つかないでいられない。

 姉2人はとても幸せそうに見えた。いつも明るくて、自信に満ちあふれている。周りには彼女たちをもてはやす友人がいて、彼女たちを大切にするカレがいる。一方私は、根暗で、自信なんてひとかけらもなくって、カレは愚か友人すらろくにできなかった。私はこの容姿を選んで生まれてきたわけではないのに、理不尽だと思った。姉だって美しく生まれる保証なんてなかったはずだ。たまたま姉が姉で、私が私だったのだ。私は不幸を背負って生まれてきたのだと思った。


 そんな私にも、心の励みになる本があった。幼い頃読んだ『白雪姫』だ。白雪姫はとても美しく生まれた。それこそ、女王に妬まれるくらいに。物語に出てくる鏡は正直で、「白雪姫が一番美しい」と言った。白雪姫は美しいから、殺されそうになっても誰もが助けてくれた。白雪姫は美しいから、毒リンゴで死んだときに誰もが悲しんだ。白雪姫は美しいから、王子様が助けてくれた。白雪姫は美しいから、幸せを手に入れることができた。そこには”美しく生まれた人の一生”が描かれていた。私は自分自身を白雪姫に重ね、不幸な人生を幸せな人生に塗り替えていた。幼い頃から持っている本なので、表紙はボロボロだし、中の紙もへたれている。だけど、その本はずっと、キラキラ輝いていた。私は白雪姫になって幸せになっている自分を想像しては恍惚とした。どこかで読んだ不条理文学は醜く生まれ変わっていたけれど、私は美しく生まれ変わりたいと願った。これまでが不条理だったのだから、これからは恵まれても良いのではないか。そんな叶わぬ夢を、叶う夢だと信じて、希望にして生きてきた。

―白雪姫になりたい。




 ある朝目覚めると、私は自分のベッドで寝ていないことに気付いた。窓から入ってくる朝陽が眩しく、外からは小鳥のさえずりが聞こえてきた。薔薇の花が彫られたり描かれたりした天井。白を基調とした明るい部屋。きらびやかな空間に、一瞬目を疑った。

「姫、お目覚めですか?」

 木製のドアの外から、知らない男の声が聞こえた。”姫”という響きがやけに心地好く、しかし驚いた。私は本当に白雪姫になってしまったのではないか。そう思うと、心臓の音が速くなった。

 ベッドの向こうに見える鏡らしきものに走っていき、絶句した。そこに写る自分は、雪のように白い肌で、薔薇のように美しい頬だった。そして、黒檀のように黒い髪の毛を持っていた。叶ったのだ。願いが叶ったのだ。私は白雪姫になった。美しい、白雪姫に。

「姫?」

 外から聞こえる男の声が訝しげになった。私は慌てて返事をする。

「目覚めたわ。何か用?」

「女王様からのご用命で。入っても宜しいでしょうか?」

「ええ」

 まるでおとぎ話に出てくる家来のような男がそこにいた。すっかり気分が良くなって、私は笑顔になった。笑顔は作るものではないのだと、初めて知った。

「姫、今から支度をしてください。森の中に、小さな宮殿があると女王様が仰っていました。実はその宮殿、隣の国の王子様が建てさせたものらしく、姫をぜひ招待したいとのことで」

 『白雪姫』の物語通りだと思った。こんな下手な嘘に、白雪姫は騙されたのだろうか。私は美しくなった姿で、”美しく生まれた人の一生”を過ごしたいと思った。殺されそうになっても助けられ、死んだときに悲しまれ、王子様に助けられて幸せになる一生を。自ら殺されにいくのも変なものだ、と思いながら、私は頷いた。

 クローゼットの中にある、一番可愛いドレスを身に纏った。華やかなドレスなのに、私自身の華やかさを引き立ててくれた。気分良く家来の後を着いていった。


 街中を馬車で練り歩くのは快感だった。みんなが私を羨望の目で見ている。その羨望の眼差しを向ける平民は、ほとんどが醜い容姿だった。誰も私の美しさに敵わないと思うと、自然と笑みがこぼれた。私は微笑んだまま、醜い平民たちに向かって手を振った。彼らは、醜い顔をくしゃっと歪めながら手を振り返した。とても気分が良かった。きっと、白雪姫になる前の私のことを、姉たちはこういう目で見ていたのだと思う。はらわたが煮えくり返るような怒りや悔しさも、消化できる気がした。だって、私は姉たちよりも美しいのだ。今度は私が、姉たちを哀れな目で見る番だ。

 次第に森の奥に入っていき、昼間が近いというのに暗がりにいるのが不思議だ。鬱蒼と茂った森林の香りが不気味だった。

「姫、こちらで降りてください」

 家来は言った。私が馬車から降りると、彼は剣を出した。暗がりで光る刃が恐ろしく、思わず身をすくめた。すると、家来は言った。

「姫、あなたはお美しい。女王様の命であなたを殺すよう言われ、私はこの森に連れてきました。宮殿などございません。嘘をついてしまい、申し訳なく思います。私は美しいあなたを殺すことなど到底できません。女王様は、あなたの美しさに嫉妬しておられます。城に連れて帰ると、あなたは本当に殺されてしまいます。この森に残すことしかできない私をお許しください。どうか、どうか、女王様から逃げ延びてください。いつかまた、愛しいあなたにお会いできるよう毎晩お祈りします」

 そして彼は馬車を走らせていった。暗い森に1人残されたのは不安だったが、正直良い気分だった。私が恐怖しただけで、あの家来は私を殺さない決断をしたのだ。そして、何度も私のことを美しいと言った。美しさがあるだけで、世界が変わるのだと思った。


 物語のように、森の中を歩いていった。足が疲れてきた頃、小さな家を見つけた。たぶん、これが小人の家だ。家に入ると誰もいなかった。テーブルにあるスープやパンを食べ、七つ全てのベッドに入って、一番大きなもので眠った。目覚めると、本当に小人がいた。私がここへ来た経緯を話すと、可哀想に、と小人は言った。そして私は、小人と暮らすことになった。

 私は家事をしながら、合間合間に鏡を眺めて過ごした。自分にうっとりとしながら、姉たちに、そして私を見下してきた人たちに会いたいものだと思った。彼らは美しい私を見て何と言うだろうか。跪き、媚びを売ってくるだろうか。想像するだけで顔がにやけるのが分かった。でも、にやけた顔も、美しかった。


 ある日、醜い老婆がやって来た。こうも醜く変装できるなんて、女王は私の美しさの足元にも及ばないだろうと思った。老婆は良い品物があると言い、私は彼女を招き入れた。老婆は上手いこと言って私の後ろに回り、首を絞めた。本当に苦しくて、女王を引きはがそうとした。けれどものすごい力で押さえられ、私は次第に力が入らなくなっていった。生き返ることが分かっていても、苦しさや恐怖には抗えないのだと知った。

 目覚めると、小人たちがそこにいた。どうやら私は生き返ったらしい。幸せに一歩一歩近づいていると思うと、飛び跳ねたいような気持ちだった。小人たちは心配そうな目で見ながら、気をつけるようにと念を押した。そして最後に一言付け加えた。「お姫様、なんだか雰囲気がお変わりのようで」と。私はその意味を理解できなかったが、微笑んで頷いた。しかし、寝る前に言葉の意味が分かった。いつものように鏡の前に行くと、目元の辺りがちょっとおかしいのだ。くりっとして丸かった目が、少し細くなっている。少し?いや、だいぶ細くなっているのではないか。スッと高かった鼻も、丸みを帯びて低くなっている。ふっくらとした唇も、なんだか貧相になっている。肌の色も、頬の色も、髪の毛の色も、様子が違う。元の私に近づいているのだ。私は慌てた。何故、何故、何故。これは夢なのではないかと疑った。私は美しくなったし、”美しく生まれた人の一生”を過ごすはずなのだ。それなのに、何故。


 次の日起きても、鏡に写る私は様子が違った。小人たちは前ほど優しくなくなった。素っ気ない返事に傷ついた。その日、また老婆がやってきた。彼女は櫛を買わないか、と言った。私は物語のように幸せを手に入れたくて、二つ返事で頷いた。老婆が私の髪を梳かすと、胸の辺りが苦しくなった。次第に呼吸が難しくなり、冷や汗が滲むのを感じた。老婆の高笑いが聞こえる。でも、また美しくなれるならと、私は苦しさに耐えた。死への恐怖感は昨日と同じようにあったけれど、美しい姿に戻っているようにと必死に願った。そのうち、気が遠くなっていった。

 目覚めると、デジャヴのように小人たちがいた。小人たちは怪訝そうな視線を向けている。まさかと思い、鏡へ走っていった。元の姿にもっと近づいている。私は悲観した。こんなの不公平じゃないか。私はこれまでも不条理に生きてきたのに、これからも恵まれないのか。一瞬見られた夢が馬鹿らしくなった。小人たちは一応心配の声をかけてくれる。だけど、前のように心が込められてはいなかった。美しくない私への態度は冷たかった。私は腹立たしくなって、小人に返事をしないことに決めた。


 次の日も、その次の日も、老婆はやって来なかった。美しくなくなった私を、女王は妬まなくなったのだろう。毒リンゴを食べて死に、王子に助けられるという夢のようなストーリーは途絶えたのだ。私はふてくされ、家事をするのをやめた。毎日窓からぼーっと外を眺め、鬱蒼と茂る緑を疎ましく思った。光を浴びて輝いているあの樹が妬ましかった。スポットライトを浴びているのは私だったのに。


 そんなとき、馬に乗った青年がやって来た。彼は醜く、私は目を覆いたくなった。彼は自分が王子なのだと語り、私を美しいと言った。到底美しくない私をおだててどうするのだろうと馬鹿馬鹿しくなり、返事をせずそっぽを向いた。私が求めていたのは”美しく生まれた人の一生”だ。醜い王子との出会いなど求めていない。彼は何度か話しかけてきたが、私は全てに返事をしなかった。何もかもがくだらない、そう思った。彼は立ち去っていき、私はため息をついた。


 小人たちは、家事をしない私に文句を言うようになった。私が美しければ、少しぐらい家事をサボったって許されたのではないかと思い腹が立った。

「お姫様、あなたは本当に変わってしまった。あの美しいお姫様はどこに行ってしまったのですか」

 吐きかけられた言葉に苛立ち、テーブルの上に並べてあった皿やグラスを全て床に落とした。ぱりんという音が響き、小人たちは悲鳴を上げた。私はベッドへ行き、布団をかぶった。小人たちが割れた皿やグラスを片付けている音が聞こえてきた。


 数日後、老婆がやって来た。リンゴはいらないか、と話しかけてきた。女王は何がしたいのだろうと思った。美しくないから、毒リンゴで死んでも王子様は助けにこない。それだったら。もう消えてなくなれば良いと思った。毒リンゴをかじったとき、頭に血が上るような感覚になった。目眩と吐き気がして、立っていられなくなった。跪いた私をあざけ笑う声が聞こえた。

「外見の美しさに自惚れて、本当に性格が悪い子だねぇ。私は魔法をかけていたんだよ。自惚れれば自惚れるほど、鏡に写る自分が醜く見えるという魔法をね。美しくなくなったと思う気持ちはどうだい?お前は努力もしないで手に入れた美しさをかざして、いろんな人を見下していたんだ。そんな醜い子には、誰も優しくしないだろうよ。死ぬ前に本当の美しさを知れて良かったね」

 私は後悔した。美しい姉たちに囲まれて、比べられてきた惨めな人生だった。だけど、だからこそ不当に蔑まれる痛みというものを分かっていたはずではないか。それなのに何故、美しく生まれ変わった途端に痛みが分からなくなったのか。私は不当に蔑む側の人間になってしまっていたのだ。そう思うと涙が出てきた。死ぬ前の痛みで出た涙なのか、自分への情けなさで出た涙なのか分からなかった。




 目が覚めると、私は白雪姫ではなかった。私がいるのはきらびやかな部屋の中でもなかったし、小人の家でもなかった。住み慣れた部屋を見渡して、私は鏡へ向かった。見慣れた顔が、そこにあった。確かに私は、姉たちのように美しくないかもしれない。容姿で比べられることもあるし、見下されることもある。だけど、そういったこと自体が馬鹿げたことなのだと思った。私は痛みが分かるから、痛みを与えない人間になりたいと願った。これまで好きになれなかったけれど、そこに写る顔を見て、初めて誇らしいと感じた。

 私が求めていた美しさは、本当の美しさではなかったのだろう。『白雪姫』は、大切なことを教えてくれた気がする。もう、白雪姫になりたいなんて思わない。私は私に生まれたのだ。私を、大切に生きよう。机に置いてある『白雪姫』は相変わらずボロボロな表紙だったけど、キラキラと輝いていた。白雪姫に憧れていたときよりも、ずっと、ずっと。


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