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日本の首都、東京。
スクランブル交差点は
信号が青に変わるたび溢れ出る水のように
一斉に人々が歩き出す。
止まらぬ流れの中雑踏に紛れて
少年が一人、立ち止まっていた。
周りは急ぎ歩いているため誰一人気に止めず
歩き行く人々は徐々にまだらになり
やがて信号は赤へと……変わった
雑踏が消え、待ってましたとばかりに
一斉に車は走りだし…少年はーーー、
*
母は幼い頃に他界した。
気弱なところもあったが優しく時には厳しい母だった。
父はよく働く人だ。
仕事仕事で母の亡くなった病院にも間に合わなかった。母は最後だというのに父と話すこともなくこの世を去ったのだ。
父は男でひとつで俺を育てると言ってくれた。
男らしい決心したその時の顔は今でも覚えている。
だが世の中はそんなに甘くはなかった。
当時、何故かは分からなかったが徐々に貧乏になっていく感覚はあった。
水道代が勿体ないからと風呂に入れてもらえなかったり、ストーブやエアコンなんて持ってのほかだった。
電気も高いからと付ける日数は日に日に減っていった。
だが父は三度の食事だけは抜いたことはなかった。
腹が減っては戦はできぬ、だろう?
父は度々そう言って笑った。
俺はそんな父が大好きだった。
風呂に入れなくても、寒くても、暑くても、
父と小さなことで笑いあっているだけで十分満たされていた。
だけどそんな幸せも永くは続かなかった。
ある日の夜、父は帰って来なかった。
いつも笑って
和弥、帰ったぞぉー
そう言う父が帰って来なかった。
飯時に父がいないことなんてあるはずが無いのに…。
だが今考えるとおかしな話だった。
父は昼時でもほとんど一緒に食べていた。
ほとんど家にいた。
母がなくなる前ならば出勤してたであろう時間迄。
つまり父は仕事をしていなかったということになる
そして次の日家の中に父はいた。
大量の酒と共に倒れていた。
その日以来父は変わった。
俺にご飯をくれるのは酔っていない機嫌のいい日だけ。
毎日のように酒に明け暮れ、たまにバイトへ出かけては数日後大量の酒と共に帰って来て、また数日は家を出ない。
出かける日数は徐々に減り、俺に暴力を奮う日数は徐々に増えて来た。
小学校に上がり間もない頃の話だ。
和弥の家の話です
最初の少年とは一体誰なのでしょう…
事項も宜しくお願いしますm(__)m