第二話
「おい、起きろ!」
突然の怒鳴り声に目が覚めた。目を開けると、最初に飛び込んで来たのはグレイの顔だった。突然の事態に一瞬頭が混乱するが、昨日あったことを思い出して落ち着く。周りの男達も今の怒鳴り声で起こされたらしく、あちこちから呻き声が聞こえる。
「よし、全員起きたな。まずは川で顔洗ってこい」
その指示を聞き、皆がどこかへ向けてのそのそと歩いていく。ミレイも寝ぼけ眼でそれについていこうとして外へ出るが、そこでグレイに呼び止められた。
「おい、お前はしばらく待ってろ」
「何でですか?」
「いや、あいつら顔洗うついでに体も洗ってるんだよ。そんなとこにお前行かせる訳にはいかないだろ?」
その言葉に思わず固まってしまう。男の裸は父親の物しか見たことはないし、だからと言って見たいとは思わない。が、そこであることに気がついた。
「じゃあ、グレイはどうするのですか?」
「ああ、俺か? 俺はちょっとばかし裏技があるからな」
そういうとグレイはなにやら聞こえないような大きさの声でもごもごと呟いた。すると、ミレイとグレイのいる場所を風が吹き抜けた。強めの風でスカートが巻くれあがりそうになり、思わず両手で抑える。
「今のは……?」
「精霊魔法ってやつだな。そいつで風を吹かせ続けて乾かせるんだよ。だから俺は既に水浴びまで済ませてきた」
精霊魔法。家庭の事情で魔法を習った時に聞いたことがある。確か、エルフの血を引くものや、人間でも才能のある人間にしか見えないといわれる精霊を使役して行う魔法のことだったはず。そこで一つの疑問が発生する。
「ねぇ、どうしてあなたは精霊魔法を使えるのですか?」
「……その質問に答える前に、まずはその敬語やめてくれよ」
「えと……じゃあ、これでいい……のかな?」
その言葉にグレイは満足したような顔で頷くと、再び話し出した。
「簡単だよ。俺の親父がエルフなんだ」
なるほど。その言葉で合点がいった。確かに、注意して見てみると耳が普通の人よりも横に少し長い。
と、そのタイミングで皆が帰ってきた。皆髪が多少湿っており、その手には濡れた服を持っている。そしてその辺の木に服を干したタイミングで、グレイに再度話しかけられる。
「全員戻って来たし、そろそろ行くか」
そういうと何やら近くにいたランスに耳打ちし、ランスが頷いたのを確認した後、ミレイの手を引っ張って水浴び場である川へと連れて去って行った。
◆
「ここがいつも俺たちが水浴びとか洗い物とかしてる場所だ。結構きれいだろ?」
たどり着いた川は、確かにグレイがこちらを自慢げな顔で見るのもわかるような綺麗な川だった。川自体生で見たことはあまりなかったが、それでもここの綺麗さはよくわかる。先程まで人がいたからなのか魚などはいないが、水は透き通っており、多少深い場所でも底まで見渡せる。
「いつもきちんと清掃なんか徹底させてるからな。じゃないと俺が精霊に嫌われちまう」
そう言いながらグレイはこちらに布きれを渡してきた。その布きれはまだ新しいのかほとんど汚れが見えない。
「ほれ、体はそれで洗え。布きれはきちんと汚れを後で落としてから返してくれ。後、服は自分で洗えよ? ああ、そうだ着替えなんだが……」
グレイが差し出した手には、皆が着ていた服と同じ服が乗っている。勿論サイズが合っているはずもなく、おそらく来たらだぶついてしまうだろう。
「悪いがこれしかなくてな。しばらくはこれで我慢してくれ」
そういうとグレイは何処かへ消えてしまった。恐らく覗かないようにという配慮なのだろう。正直身を隠す衝立もなにもないこんな場所で水浴びをすることに抵抗がないわけではないが、周囲に人の気配はしないし大丈夫だろう。
「んしょ……ふぅ」
服をすべて脱ぎ、体を水につける。今の季節が夏だからか冷たい水が気持ちいい。周りの森では鳥達がさえずり、のどかな雰囲気が漂っている。昨日から緊張しきっていたがその雰囲気に緊張が解け、まるで周りの気配などを気にすることなく安心しきった表情をミレイは見せていた。
そして、その姿を後ろからこっそり見ている影がいた。
今まで狩りなどで培った気配消しの技術を惜しみなく使いながらミレイの様子を観察し続けているのは──グレイだ。
ミレイの透き通るような白さの背中と、その背中で揺れる金色の尻尾を眺めながら、グレイは生唾を飲んでいた。こんなことにグレイが持てる全てを注いでいるのは、単純に男としてそういった方面に興味があるのと、そしてミレイを誰かが迎えという名の拘束に来ないか見張っているのだ。
昨日の怯えようを見るに恐らく相当嫌なことがあったのだろう。そんなところに無理に帰すべきでは無いし帰すつもりもないというのが現在のグレイの考えだ。
故に、懐に短剣を忍ばせ、ミレイの入浴に乗じて覗きという名の監視を行っていた。
もちろんその気配にミレイは気づかず、そのあられもない姿をグレイに晒し続けていた。
◆
ミレイが水浴びを終え、サイズの合わない服に苦労しながら着替えると同時にどこからともなくグレイが現れた。正直タイミングが良過ぎて覗いていたんじゃないかと不安になる。が、確かめるのもなんだか怖いので諦めることにする。そして、何やら頬を紅潮させたグレイを伴って洞窟近くまで帰ってくると、何やらランスと他の団員たちがさまざまな道具を持ってこちらへと歩み寄ってきた。
「さぁミレイちゃん、やりたいこと、やってみたいことを選ぶんだ!」
そういうとランスが自分の持っていた料理道具を、その他の皆も各自が持っていた道具をずいとこちらへ押し出してくる。正直鬼気迫ったその様子に何か恐ろしいものを感じたが、ここで逃げても意味がないことを助けを求めて視線を向けたグレイの表情から悟る。その表情は明らかにこの状況を楽しんでおり、手を出すつもりが微塵もないことがうかがえる。
「えっと……じゃあ、それを……」
そういってミレイが指差したのは――剣だった。そして、それを選んだことに皆が驚き、グレイとランスの顔が険しくなっていく。そして、何より驚いていたのはその剣を差し出していた本人だった。
「本当にそれでいいのか? 他の安全な炊事とかじゃ駄目なのか?」
グレイがそう問いかける。明らかにその表情は反対の姿勢を見せていて、 また、心配しているということがよくわかる。
「うん、だって、いざというときに皆に迷惑かけたくないし」
そう言ったミレイの目はしっかりとグレイを見つめており、どれだけ本気なのかがよくわかる。そのまま暫く見つめあったかと思うと、なにかを諦めたかのようにグレイが両手を上げた。しかし、その顔は相変わらず険しさが残っている。
「……あぁもう、俺の負けだ。勝手にやれ。ただし、条件がある。おい、ランス。俺の剣持ってこい。その間に、俺はこいつ連れてって合いそうな剣探してやってくる」
「……了解」
ランスも不服そうな顔をしながら洞窟の中へと戻っていく。そして、その後を追うようにミレイもグレイに手を引かれながら洞窟の中へと駆けていった。
そして、ミレイが連れてこられた場所に保管されていたのは──武器だ。それも一桁ではなく二桁。恐らく30に届くのではないかという数の武器がそこには保管されていた。種類も様々で、ごく普通の片手剣からミレイの身の丈ほどもある大剣、そしてまるで儀礼用に作られたかのような美しい細身のレイピアまで揃っていた。よく見ると弓まである。
「さぁ、この中から自分が扱いやすそうなのを選べ。心配だったら俺が色々と指摘してやる」
そういったグレイは、ミレイが様々な剣や弓を手に取ると、しっかりとそれがミレイにあった武器なのか、長所はどこか、反対に短所はどこか、使用する上で気を付けることなどを教えていった。
そして、最終的にミレイがとった武器は──片手剣だった。
「うし、それで決定か。ならさっさと外いくぞ」
グレイに連れ出されたミレイがたどり着いた場所では、皆が人垣を作っていた。何があるのだろうと確かめようとすると、ミレイが来たことに気がついた者から退いていき、しっかりと道が出来ていた。その道を歩いてたどり着いた先にいたのは、グレイだった。その手にはミレイと同じ両刃の片手剣を握り、こちらを真っ直ぐに見つめている。
「さて、これから試験を始める」
唐突にグレイはそう言った。何を言っているのか初めは理解できなかったが、恐らくこれが初めに言っていた条件なのだろうと理解した。
「内容は簡単。俺の稽古を受けてもらって、その中で才能があると誰かが判断できなかった場合、さっさと別のものをやってもらう」
そう言って、グレイは剣を抜いた。その切っ先はこちらでは無く近くの木に向いており、体からは威圧感が漂っている。
「さて、お前は俺が振った剣を出来るだけ真似してみろ」
そう言いつつグレイは素振りを開始した。その気迫だけで気圧されるが、この程度クリア出来ないと認めてもらえないと気を持ち直し、自分も剣を振りだす。
そして、試験はあまりの疲れにミレイが倒れる寸前まで続けられた。
◆
「さて、結果を発表する」
グレイは焚き火を皆と囲みながらそう言った。ミレイはかなりの疲れが溜まったのか今にも寝てしまいそうだが、試験の結果を聞きたい一心で起きている。他の団員たちも試験の結果を固唾をのんで見守っていた、
「試験結果は──合格だ」
その瞬間、ミレイの意識が安堵と共に落ち、周りが大歓声を上げた。しかし!その中でもランスだけはそのことが認められなかったのか不服そうな顔をしている。そして、その顔のまま、不機嫌さを隠そうともしない声音でランスはグレイに尋ねた。
「何故だか理由を聞いても?」
「そりゃお前、まさかあそこまで才能があるとは誰も予測できんだろうよ。俺も最初は落とすつもりだったさ」
そう、ミレイには凄まじい才能が眠っていたのだ。ひょっとすると、グレイを越える程度には。もちろん実戦経験や今までの修練などから簡単に抜かれるわけがないが、このままきちんと修練し続ければ抜かれるかもしれない。グレイにそんな危機感を持たせるには十分なものをミレイは持っていた。
「そんな才能を埋もれさせとくのは勿体無い。それに、こいつにも自衛手段はあった方がいいだろ?」
そう言われ、ランスは渋々ながら引き下がった。ランスもミレイの才能は認められるのだが、このような少女に殺害の術を教えるのには反対だったのだ。
そして、当事者であるミレイは横になったまま体の周囲を尻尾で覆い、すやすやと寝息をたてていた。
そのまま夜は更けていく。翌日から、ミレイに対するグレイのしごきが始まることも気にせずに。