第一話
真夜中、人気のない裏通りを一人の少女が駆ける。歳は15歳位だろうか。身長は平均的。その頭の上には金色の髪と同じ色の三角の耳が付いていて、服の裾からはこれまた金色の狐の物と同じ尻尾が見えている。服装はどこか上品な貴族のそれであり、明らかにこの辺りには場違い。服を汚し、髪を振り乱しながら、少女は目の前に発見した馬車に無断で潜り込んだ。そして馬車の幌の中に身を隠しながら周りを確認し、何もいないことを把握して安堵した。
その直後、馬車はゆっくりと動き出した。町を出て、街道を横へと逸れ、山の中を走っていく。
そのことに少女は気がつかない。安堵した時に意識を失ったのか、尻尾を横に垂らし、あどけない寝顔を浮かべてすやすやと寝息を立てていた。
この日、ある王国の貴族の少女が失踪し、とある山賊達の仲間に一人の少女が加わることとなる。そのことを知っていたのは、夜空から馬車と街──王国を照らす月だけだった。
◆
騒ぎ声で目が覚めた。何やら喧嘩でもしているのだろうか、怒鳴り声が聞こえる。そして、ここがいつものベットではなく馬車の中であることに気がつく。思い返せば、馬車に転がり込んで追手が来ていないことを確認してからの記憶がない。どうやらそこで意識を失ったらしい。
馬車を持っているということは、どこかの商人なのだろうか。見つからないでこのまま別のどこか遠い場所まで行ければいいが。そう考えて馬車から外を覗くと、
「おぉ! 嬢ちゃん目が覚めたのか! おーい頭、嬢ちゃんが目ぇ覚ましましたぜ!」
そう濃い顔をした男が叫んでどこかへ行ってしまった。
頭とはどういう意味なのだろう? この商団ではリーダーのことをそう呼ぶのだろうか。というか待て。馬車の周りをうろついている男達の格好を確認すると、どうにも商人には見えない。しかも外をよく見ると、明らかに街道ではなく、どこかの森の中のようだった。更に周りの景色を確認しようとすると、向こうから若い男がやって来た。その眼の片側を眼帯で覆っていて、黒い髪を持ち、全体的に中々の美形だった。
「おう、目が覚めたみたいだな、丁度良かった。少し釈明を手伝ってくれないか?」
そう話しかけてきた男は両腕をしっかりと縛られており、困った顔をこちらへ向けていた。
「えっと、どういうことで……?」
「あー、簡単だ。どうしてこの馬車の中に居たのか教えてくれればそれで充分さ」
そんなことで良いのだろうか。
いつのまにか周りには人が集まってきており、何やら賭け事を行っているようだ。
「えっと、ちょっと訳ありで……あ、でも馬車に乗り込んだのは自分からです」
そういうと、男はあからさまにほっとしたのか安堵のため息をついていた。そして両腕の拘束を解かれ、こちらへと歩んでくる。その顔には笑みが浮かんでいた。
周りの人だかりは賭けに負けた側らしき人が深く落ち込んでおり、その数は勝ったらしい喜んでいる人よりも圧倒的に多かった。
「ありがとうよ嬢ちゃん。おかげで助かった。ところで、嬢ちゃんはひょっとして馬車間違えたのか? なんだったら街まで送るが……」
その言葉を聞いた瞬間、体が硬直した。悪夢が蘇る。脂汗がどっと吹き出て、眼は忙しなくあちこちへと泳いだ。
そして、自然とこう口にしていた。
「……あんなところへは帰りたくない」
そうだ、あんなところへは帰りたくない。あそこの大人達の元へ戻りたくない。皆どろどろとしていて、綺麗なこと等何一つない、あんな世界へは帰りたくない。
そんなことを考えていたら顔にでも出たのだろうか、男が心配そうな顔で話しかけてきた。
「あー…わかった。まぁ、そんなに嫌ならここにいろ」
そういって男は私の頭を撫でた。その手は大きく、何故か私を安心させた。親には親しくない人に耳には触らせてはいけない。そう言われていたが、どうしてか彼は触れさせても良いと思えた。周りが何やら文句のようなものを言っているようだが、本人は気にしていないらしく、私に視線を向けると歯を出してにこりと笑っていた。
その様を見ていた周りが男が周りをじろりと一睨みすると、周りは一瞬で静まり返ってしまった。そして、私を膝の上に乗せると話し出した。
「自己紹介がまだだったな。ここら一体を縄張りにしてる山賊『アルミス』が頭、グレイだ。嬢ちゃんの名前は?」
山賊。そう男は名乗った。となるとやはりこいつらは私が家出したの知ってを狙ってきたのだろうか。だが、さっきの口振りからするとこちらの事情は知らないようだった。
「……ミレイ。ミレイって言うんです」
迷って、結局名前を教えることにした。家名さえ言わなければ正体がバレることもないはずだし、多分大丈夫だろう。
先程頭を撫でられた手や、今も私の事を見る目に嘘は見えない。育ちの関係上、そういったことはよくわかる。
「ほぉ、ミレイか。いい名前だな」
名前を褒められてうれしくなり、ついつい未だに膝の上にいることを忘れて尻尾を振ってしまう。すぐに気が付いて押さえつけたが、男、グレイは笑ったままでいてくれた。どうやら気にしてはいないらしい。そのことにまたうれしくなるが、再び尻尾を振るような愚は侵さない。
「ふむ……にしても、帰らないならどうするか……」
「……あ、あのっ」
帰るという単語についつい過敏に反応してしまった私は、こう申し出ていた。
「ここで、働かせて頂くわけにはいきませんか?」
◆
何やら問答を行っているのがここまで響いてくる。既に日は沈み、場所も馬車からアルミスのアジトであるらしい洞窟内へと移動していた。焚き火も洞窟内へ移したため、中々に暖かくなっている。
私がここでの労働を申し出てから既にかなりの時間が経過していた。グレイとその仲間達は、私をここで働かせるのか未だに迷っているらしい。正直申し訳なく思っていると、隣に男が腰をおろした。大分線が細い男だと思うが、グレイ達と同じような格好をしてここにいるということは彼も山賊なのだろう。
「すみません、なんか変なことを言ってしまったみたいで……」
「ん? あぁ、気にしなくていいよ。多分皆君が来ることには大歓迎だろうしね」
その訳を聞くと、どうやらここには男以外はおらず、女にもある理由から手を出せないため、皆色恋方面に餓えているのだと教えてくれた。
「だから、ミレイちゃんも気をつけた方が良いよ? いつ誰が暴走するかわかったもんじゃないし」
「あ、はい。肝に命じておきます。ところで、あなたは参加しなくていいんですか?」
そう男へ尋ねてみると、男は首を横に振った。
「僕はただの団員だからね。あんなところに参加する必要もないのさ」
そう本人は言うが、なんというか明らかにグレイ以外の周りの男達とは纏う空気が違う気がする。本当にそんな下っ端に収まっている男なのだろうか。
そう疑問に思っていると、グレイがこちらへと話しかけてきた。
「おい、ランス! ちょっとこっちこい!」
どうやら隣の男の名前はランスというらしい。呼ばれているということは、彼が何か関係しているのだろうか。
「お前に副首領として聞く。今回のミレイの願い、聞き届けるべきか?」
……え? 副首領? 確かに下っ端には見えなかったが副首領などという立場の人間だったとは……
「ちなみにグレイは?」
「俺は賛成だ。そもそもお前ら、この子のあの様子見てなかったのか?」
「……なるほど。それを言われたら僕は弱いね。だけどさ、ここの近くの村に預けるとかは考えなかったのか? わざわざこんなところで面倒を見る必要はないだろ?」
「そうっすよ頭! わざわざこの子抱え込む必要はないでしょう!」
「そもそも、そんな貴族みたいな格好した子抱え込むとか明らかに厄介事──」
その言葉が聞こえた瞬間、目の前が真っ暗になった。そうだ、あの人達が私を探しに来ないとも限らないんだ。この人達が山賊と名乗ったということは、悪事もある程度働いてきたのだろう。そんなところにあの人達が来たら、厄介事の気配しかしない。やっぱりここにいるのは迷惑にしかならない。早くどこかへまた行かなくては……
そして急いで立ち上がって外へ行こうとしたが、
「ひぅ!」
背中を得体の知れない感覚が駆け上がった。原因を急いで探ると、何やら尻尾を誰かに捕まれている。その手の主は……
「おい、どこに行こうとしてるんだ」
グレイだった。グレイが容赦なく私の尻尾をわしづかみしている。獣人は基本尻尾ほ弱いのだからやめて欲しいが、今はそれより質問に答えるべきだろう。答えないと解放しないという意識がグレイの眼にはありありと見える。
「え、えっと、ちょっと外へ行こうかと……」
「何のために」
「その、あの……」
尻尾を握る手に力が入る。どんどん足に力が入らなくなっていく。立つのもそろそろ限界に近い。
「何のために!」
「え、その、あ、えっと」
「ハイハイそこまで。グレイも少し落ち着く。特にその手をとっとと放しなさい」
その言葉で我に帰ったのかグレイの手から力が抜ける。尻尾は解放されたものの、足腰にまるで力が入らない。そして、そのまま座り込んでしまった。
「はいミレイちゃん、まずは君から話すんだ」
「……ぁ、はい。えっと、私がここを出ていこうとしたのは、先程団員の人が言っていたように、私の存在が迷惑を掛けてしまうかもしれないからで……」
「なるほど。じゃあ次、グレイ。なんであんなことをした?」
そうランスが問うと、グレイは少し怒った表情をこちらへと向けた。
「そこの馬鹿がさっさと出ていこうとしたから止めに行こうと……」
「ちなみに止める理由は? この子の理由は一理あるよ?」
そうだ。私が迷惑を掛けてしまうかもしれないことは変わらない。もっと遠くへ、もっと遠くへいかないと。誰も私のことに気がつけないような場所へ。
「単純だ。俺達アルミスがそんなことで潰れるか? 違うだろう? そんなことで潰れるならとっくの昔にどこかで潰れてるさ。
それに、ここの掟を忘れたとは言わせないぜ? おいお前ら、右端から順に掟言ってみろ」
掟? そんなものがあるのか。
「1! 女子供には手を出さないこと!」
「2! 旅人には親切に!」
「3! 略奪は常に貴族関係から!」
「4! 頼み事は断らず、全力で遂行すること!」
……まて、まさかグレイは、
「おし、ミレイ、今ここでもう一回お願い(・・・・)してみろ」
……ああ、やっぱりそういうことだったのか。つまり、掟の4つ目を使えばこの状況は打破できると、そう言いたいのか。しかも逃走しないようにこっそり私の尻尾のすぐ近くに手を持ってくる念のいれよう。
これは降参するしかない。というか、私もここで暮らせるならそれが一番ありがたいので、願ったり叶ったりなのだが。
「……お願いします。ここで働かせてください!なんでもやりますから!」
その言葉を聞いたグレイは笑みを浮かべ、周りの団員達はやれやれと呆れ返ったり苦笑いしたりしていた。そして、ランスだけはグレイと私に向けて微笑ましいものを見るような眼を向けていた。
「おし、聞いたなお前ら。こいつはここで働きたいらしい。つーわけで、こいつは今から俺達の仲間だ! 難しいことは明日考えろ!今日は宴だァ!」
ああ、ここにこれて正解だった。私は宴の最中、心底そう思った。
◆
深夜、宴を終わり、皆眠りについた頃。
グレイとランスの二人が、ミレイの寝顔を眺めながら酒を飲んでいた。
「なぁ、本当になんでこの子抱え込んだんだ?」
ランスは心底不思議そうにそう訪ねた。今までのこの男なら、近場の村に捨てていたはずだと思っているからだ。
その問いに、グレイは……
「なんだよ、俺が抱え込むって決めたんだからいいんだよ。掟も破っちゃいないしな」
そう答えたが、その視線はミレイのあどけない寝顔に固定されており、その表情は普段からは駆け離れたとても穏やかな顔をしていた。