魔法使いの戸惑い01
――幸大泣き事件、もとい入学式から早いもので半年経ちました。
え? 早い? いやいや、よくいうでしょ、光陰矢のごとし。
幸の高校生活は概ね、順調らしい。
友達ができたとか、部活にはいったとかそれはそれは楽しそうに話してくれるので良く知っている。
私は、どうやら魔法使いになることに成功したらしい。幸は昔のように、明るい美少女に戻りつつある。
そうすれば自然と人なんてよってくる。
っていうかあの根性悪な姉でさえ類友という友達がいたのだから幸にできないはずがない。
友達がそれ程重要だとは私は思わないが、幸が嬉しそうなのでよしとする。
ちなみに、私の大学生活も順調である。順調で、平和に、友達はいない。別に私はそれでいいのだと思う。
大泣き事件から私と幸の関係が少し変わった。幸の私の呼び方が「北斗さん」から「北斗ちゃん」になった。
些細な違いだが、これに関しては次の日突然だったので結構びっくりした。
私と幸の間にあったどこかよそよそしい空気も一緒に払拭されて、ああこの子は私を信じることにしたのだと分かった。
分かって――。
ちょっとだけ苦い気持ちになった。
それから私にとって幸は、他の人間よりは気にするべき相手、に格上げされた。
まあつまり、お互い良好な関係を築けた、というわけだ。
幸に関して気になることと言えば色々あるが、一番といえばあれである。
流されやすい。
この点が何よりも気になる。
これ、色恋沙汰が絡んできたら一体どうなるんだろう。ちょっと怖くて想像できない。
本命の王子を見つける前に、妙な男に引っかからなければいいのだけれど。
まあ、最終的に幸の人生を決定するのは幸自身でしかない。私があれこれ心配してもしょうがないだろう。世の中なるようにしかならないのだ。
魔法使いはシンデレラを綺麗にするだけ。願いをかなえるために助けるだけ。
王子様を見つけるのはシンデレラ本人。まあ、本当にシンデレラの通りに話が進むというなら、王子の方が勝手に幸を見つけるのだろう。
だから私は、幸が好きな人を見つけたら全力で協力すればいいだけだ。
だって私は、幸の魔法使いなんだから。
* * *
――と、いつの間にか幸の事ばかり考えるようになっていた私に、とある事件が起きた。
月日は、さらに半年進んで雪は高校二年に、私は大学三年になっていた。
私の通う大学はいくつかの学部が存在し、一、二年次まではいくつかのキャンパスに分散されているため、同じ学年といえども他の学部の生徒とは遭遇したりしない。
しかし三、四年次には、同じ学年の全学部の生徒が一つのキャンパスに集まる。
だから大学三年になると、見知らぬ顔が急に増えるわけだ。しかも使い慣れた校舎ともおさらばするわけでまったくいい制度だとは思わない。
せっかく見つけた絶好のくつろぎスポットともお別れである。
また、新しいキャンパスで探さなければならない。
都心から離れた大学を選んだため、キャンパスは無駄に広い。
特に三、四年次のキャンパスは全学部がおさまるほど広い。キャンパスが変わったせいで通学時間も、三十分ほど増えてしまった。
なれないキャンパス、増える学生。
私は相変わらず一人で、一緒に行動する友達もなく――実に気楽だった。
大学では、キャンパス内に誰も知らないようなくつろぎスポットを見つけるのが密かな楽しみになっていた。
学生達の声も人の気配も遠い、静かな場所で読書をしていると、何だかとても特別な事を独り占めしてる気分になるからだ。
新しい場所でも私はそうやってくつろげる場所を探した。
広大なキャンパスは、学部によっては自転車で移動しなければならないほど校舎が離れていたりする。間に、庭園やグラウンド、図書館、学生棟、教員棟、学部別資料館、講堂、体育館など様々な施設がある。
私のセンサーに反応する場所は、比較的すぐに見つかった。
猫の額ほどに狭い、小さな庭園だ。
七号館のすぐ横にあるのだが、何の意図があったのか手前を背の高い植え込みに隠されてしまい、入り口が微妙に分かりにくい。
植え込みに沿ってずっと横に歩き、途中にある、人がひとり入れるくらいの植え込みの隙間――と言っても大分枝が伸びてきている上、すぐ目の前に別の植え込みが見えるので一見しただけでは入れるとは思えない――にすべりこみ、もう一段ある植え込みを今度は校舎の方に戻るように歩くと、ようやくその小さな庭園にお目見えできる。
二人がけぐらいの小さなベンチと、テーブルが木の下に置いてあって、すぐそばの花壇には花が咲いている。
どう見ても、何か秘密の匂いがする。
こんな分かりにくい場所に、箱庭みたいな光景。
私は、ひと目で気に入ってしまった。
見つけたその日から、そこは私のお気に入りの、一つになった。
――が。
残念ながらすぐに諦める事になった。
何の事はない。ちょうど次の授業までの暇をつぶしている時に、他の学生に出くわしてしまったからだ。
私より大きな体の男子学生は、一体どうやってあの隙間に滑り込んできたのか。先客である私の存在にびっくりして、庭園の入り口で立ち止まっていた。
一度顔を上げて反応してしまったので、そのまま無視するのもなんとなく気まずく、こんにちは、とだけ挨拶して視線を本に戻した。――はずだったが、こんにちは、と返されたのでまた顔を上げるはめになった。
「綺麗な場所ですね」
あろう事か男子学生は私に話しかけてきた。
何だかぼんやりした、印象の薄そうな男である。特筆すべき点はその背の高さぐらいしかない。
服装も、他の学生達ほど気合も入ってない。
カラーシャツに黒いデニムのズボン。背負っているリュックは少し擦り切れていた。
まあ格好に関しては、私も似たり寄ったりだ。
動きやすさと安さ重視の私だ。可愛くなるのは幸だけでいい。
「そうですね」
無難にそう返して、本を閉じた。
もう、ここでくつろぐのは無理そうだと感じたからだ。
読んでいた本を横に置いておいた鞄につっこむと、まだ庭園の入り口につったってる男子学生に「どうぞ」とだけ言って立ち上がった。
「え?」
「私、もう行きますから。よかったらどうぞ」
お気に入りの時間を邪魔されたせいもあって、そんなに褒められた態度でもなかった。
普段ならもう少し外面をつくろって可もなく不可もない態度をとるのに、今はそうできなかった。
でも男子学生は、少し沈黙しただけですぐに「ありがとう」と返して庭園に入った。
ああ、またお気に入りの場所を探さなきゃ。
かなり一目ぼれだった場所なだけに、その日の気分はずっと憂鬱だった。