魔法使いの悩み事02
決戦の日。もとい、黒崎の従兄弟玉砕記念日、じゃなくて幸と動物園に行く日。うん、これが一番しっくりくるのでこれでいこう。
天気は快晴。
春先とはいえ気温は低く寒いが、行楽日和と言えないこともない。そんな日。
幸が行きたいと言っていた動物園は、後で調べてみたところかなり遠くにある事が判明。日帰りは無理そうな距離だったので、無難に近い所にある動物園になった。
動物園のチケット売り場手前で、時間は十時に待ち合わせ。入場券は先に購入してしまったので、後は黒崎達を待つのみ。
流石に春休み、親子連れが多い。
小さな子供の手を引いたり、抱き上げたりしている親子が何組も目の前を通り過ぎていく。
隣に立つ幸がそっと私の手を握る。
また遊園地の時のように、憧憬のこもった目をしているのかと思いきや、覗いて見た幸の表情は柔らかい笑顔だった。
「前はすごーく羨ましかったのになあ」
そう呟いてから、私を見返す。
「今はそんなでもないや。だって、北斗ちゃんがいるもん」
それは殺し文句ってやつだよ、幸。
あどけない子供のような、安心しきった笑顔は私の心をますますアンチ黒崎の従兄弟にさせる。
合流せず、このまま二人だけで動物園コースに入りたくなってきた。……が、黒崎が可哀想だ、とギリギリで思いとどまった。
時計を見れば時間は約束の十時丁度。
辺りを見回して見たが、未だ黒埼達の姿はない。
「五分遅れたら置いて入ろうか」
冗談でもなくそう言ってみる。
「北斗ちゃんがいいならわたしもいいよ」
幸からは、どこまで本気か分からない答えが返ってきた。
動物園自体は九時半から開園しているため、チケット売り場に人が留まることなく、どんどん流れていく。
その流れの中に取り残されながら、私と幸は来るはずである黒崎達を待つ。
時々、明らかに親子連れとは無縁な学生らしき男共が、幸の方を見て何かこそこそ話しているのが目に入ったが、ガン無視させていただいた。
遊園地の時もあった光景なので戸惑いはない。が、うざい。
っていうか近づいてきたら面倒なのでさっさとこないかな、黒崎。……とオマケ。
と、思っていたら人の流れの中に見知った姿を見つけた。黒崎だ。
大学にいる時となんら変わりない格好。いつもどおり存在感が薄いのに、不思議と私の目には一際目立って見える。
私が気がつくのと同時ぐらいに、黒崎もこちらに気がついた。
軽く手を振ると、振りかえされる。
その後ろを歩いているのが黒崎の従兄弟だろう。黒崎に比べれば低い身長のせいで、あんまりよく見えない。
神社の時も後姿しか見えなかったなと思っていると、ようやく待ち人が合流した。
「遅くなってごめん」
「四分の遅刻ね。残念」
「……何が?」
「五分遅れたら先に入っちゃおうって言ってたの。ね、幸」
隣の幸を見ると、何か驚いたように正面を見ていた。
その視線をそのまま追ってみると、たどり着いたのは黒崎の隣にいる男で。
まあ、つまり黒崎の従兄弟な訳だが………あれ、これってどういう事?
「遅れて、すいません。…初めまして、高槻 泰秋と言います」
神社での光景は幻だったんじゃないか、と思わず私が思うぐらい落ち着いた好青年がそこにいた。いや、好青年というか……私の少ない語彙で表現するにはこの言葉しかない。即ち、美形。と言っても、昨今ありがちな、見るからに女性的な顔立ちではない。多少唇などに女性的な特徴もあるが、一つ一つのパーツが整って一番バランスよい形でおさまっている。そんな感じだ。身長も、黒崎より低いと言うだけで、世の男性の平均身長を考えれば十分高い。
雰囲気も、とてもじゃないが騒々しいという言葉とは結びつかない。傍にいる黒崎がますます霞んで見える。第三者の目は間違いなく最初にこの男に集まるだろう、それぐらい、目を引く美形だった。……まあ、私はそんな美形よりも黒崎の方が真っ先に目に入ったわけだが。
さてそんな件の美形だが、その視線は幸に釘付けである。隣にいる私の存在など目にも入っていないだろう。自己紹介すら幸だけに向けられた、いっそ清清しいまでの無視である。
――間違いなくこいつは神社の男と同一人物だと、確信した。つまりこれが黒崎の二つ年下の従兄弟なのだろう。その被った猫を引き剥がせば、あの騒がしくしつこい男が現れるに違いない。今も内心とんでもない騒ぎになってるのだろう。
そして同時になるほど、と思う。
これが世に言う、残念な美形、という奴か。初めて見た。
黒崎の従兄弟――高槻から視線を黒崎に移すと、何故か目があった。どうやら私が高槻を見ている間、黒崎は私を見ていたらしい。何とはなしに笑うと、向うもほっとしたように笑う。一体何にほっとしたのか、分からぬまま幸の自己紹介で視線をそらした。
「あ、は、初めまして。水無瀬 幸です」
私が話していた人物像と大きく外れた人間が現れて驚いたのだろう、幸が少し戸惑いがちに自己紹介する。
「幸、さん……。名前も可愛いんですね」
感慨深げにそう呟いて、初っ端から名前呼びを選択した黒崎従兄弟。やだこの人の猫本当怖い。確かに幸が可愛いのは認めるけれど、臆面もなく可愛いとか言うな。ゾワって思わず鳥肌立ったよ、どうしてくれる! 幸だってすごい戸惑って私の手握ってきてるだろ!
神社でのテンパり様はどこにいった?
そしてはにかんで笑うな、それが似合うのは黒崎と幸と世の恋する乙女だけだ。
――等々、心の中で総ツッコミをしていたら、
「……みなせ?」
ぽつり、と黒崎が呟いたのが聞こえた。
どうしたのだろうと、思ってからふと(ああそうか)と気がつく。
水無瀬、は幸の苗字だ。同時に魔女の再婚相手の苗字でもあり、つまり今の私の苗字でもある。……書類上は。魔女達が再婚した当時私は未成年で、相手の籍に入るため養子縁組するかどうかの決定権などもちろんなく、自動的に幸の父親の養子、と言う形で家族となった。
大学の書類でも、私の名前は水無瀬北斗、となっている。
柏崎は、亡くなった父の苗字で、魔女が再婚するまで名乗っていたものだ。
黒崎には、その辺のややこしい事情をまったく話していない。
だから、私と幸で苗字が違う事に疑問を感じたのだろう。
話さなかったのは、別に他意はない。ただ黒崎には、私と幸は普通の姉妹だと思ってもらいたかっただけだ。あんな嫌な人たちの事を、わざわざ話す必要もないとそう思ったのだ。だって今はもう、私の中で魔女とその娘はすっかり赤の他人だし、幸の父親に至っては最初から他人だ。
黒崎が私を見る。
何か物言いたげなその視線に苦笑して、あとで、とだけ口ぱくで返した。
後で、説明する。
そう小声で言うため黒崎に近づこうとした私の手を、幸がぎゅっと強く握った。
「北斗ちゃん早く入ろうよ!」
高槻と幸のやり取りはいつの間にか終わったらしい。入場券を買いに移動した高槻の背中が見える。
今、一瞬だが完全に幸から意識が離れていた。いかんいかん、既に敵は合流してしまったのだから、これからは油断しないようにしなくては。
あの男が幸に妙なことをしたら全力で殴ろう。そう心に誓う。
「先に入ってていいって」
にこにこ笑顔の幸は可愛いが、どことなく違和感を感じて首を傾げた。でも何がおかしいだろう? さっぱりわからない。 分からないまま、私は頷いて幸に引っ張られるまま歩いた。
「黒崎も、入場券買って早くきてね」
そう言って、空いた手で軽く手を振ると、一拍遅れて手を振りかえされた。