王子様は誰?02
へにょへにょになった黒崎を見かけるたびに撫でて三回程で、黒崎の従兄弟はようやく無謀な人探しを諦めたらしい。
ほっとした表情の黒崎はようやく苦行から解放されて嬉しそうだ。
幽霊みたいだった存在感の薄さも、徐々に元に戻っていった。といってもやっぱりまだ薄いのだが。
死にそうな状態よりは元気なほうが私も嬉しいが、正直へにょへにょな黒崎は可愛かったので、ちょっと残念である。
頭撫でると本当猫みたいで可愛い。動物は飼ったことはないが、昔家の近所にいた猫を撫でた時の反応と似てるのだ。その人懐こい猫は後日姉とその取り巻きに苛められて人間を警戒するようになり、二度と頭を撫でさせてくれなかったのだが――っと、一緒に嫌な事を思い出した。忘れよう。
うん、とにかく大学生にもなった男に可愛いというのは多分似合わないし、黒崎自体も可愛いという形容詞から程遠い位置にいる人間なのに――可愛いのだ。
最近通常状態の黒崎を見ても可愛いと思う時がある、
私の目はちょっとおかしくなったのかもしれない。
それもこれも黒崎の従兄弟のせいだ、と面識もない相手に八つ当たりしてみる。実際当たるわけじゃないからいくらやっても良いだろう。
自分でよく理解できない現象に最近の私はやや不機嫌である。と言っても表にそれを出さないようにはしているのだが。幸には分かったらしく、「不機嫌?」と聞かれ余計な心配をかけてしまった。
そんな私の状態はさておき、復活したはずの黒崎の挙動がなにやらまたおかしい。
時は年末。後期の前半の授業もそろそろ終わりで、授業の取り方によってはクリスマス前に冬期休暇に突入する生徒もいる時期だった。
そのまま授業終了を待っても来週には全学部の生徒が冬季休暇に入る。
そういう私も、実は教授の都合でクリスマス前に休みに入る学生の一人である。本日の授業が終われば嬉しい冬期休暇だ。
今年の年末と正月はバイトいれるのをやめたので、幸とまったり過ごすのだ。
……おっと思考がずれた。
そうそう、問題の黒崎である。
何がおかしいって、一緒にいる時にそわそわと首をめぐらせたり、じっとこちらを見てきたり、かと思えばため息をついたり。どうしたのって聞いてみたけど、なんでもないと誤魔化された。
私は先日までの黒崎の挙動不審ぶりを思い出しつつ、次の授業までの空き時間を庭園で過ごすべくキャンパス内を移動していた。
今日の気分は七号館横の庭園だ。
授業中なためひっそりとしている道から、さらに静かな植え込みの中へと体を滑らせて庭園にたどり着き、顔を上げると先客がいた。
他でもない、黒崎だ。
向うはすぐに私に気がついて、ちょいちょいと手招きをした。ここ数日の挙動不審ぶりはすっかりなりを潜めている。少なくともぱっと見、様子がおかしそうには見えない。
「黒崎って授業四限からじゃなかったっけ、今日。何でいるの?」
「用事があって早く出た後、そのまま来たから」
「で、また今日は何で七号館?」
「何となく。柏崎は」
「同じく」
相変わらずのシンクロ率にお互い何となく笑う。少し気が抜ける一瞬だ。
「……あのさ」
「うん?」
私は黒崎の隣に座りつつ先を促す。
「柏崎にお願いがあるんだけど」
「……あれ、ここ数日間の挙動不審ってもしかしてそれ?」
「あー、やっぱり気になった?」
「なるわー。隣でやられたら誰だってなる」
「ごめん」
「いやいいよ。知らない人じゃないし。黒崎だし」
「……どうとっていいのか微妙だなそれ」
要約すると黒崎は友達だからかまわないって事だ。
そう言うと隣の男は破顔した。何だこの野郎本当可愛いな。………ああ、まただ。本当どうした私の視界と脳みそ。
色々考えると深みにはまりそうで、また怖くなる。
が、黒崎が話を切り出したので思考が瞬時にこちらに戻った。
「実は、できたら正月三箇日、実家を手伝ってもらいたいんだ」
「……実家って、神社の?」
「そう。年末年始のために確保してた巫女さんが一人、家の事情でこれなくなって」
「巫女さんって、お札とかおみくじとか売ってる? あれって素人ができるの?」
「巫女は神職じゃないから資格は必要ない。ちゃんとした職員として雇ってるとこもあるけど、うちは助勤をその都度募集してる」
助勤とはつまり臨時アルバイトの人らしい。
それは初めて知った。
そうか巫女さんって資格とかないのか。何かすごく神聖なイメージがあるのだけど。
「……でも三箇日か」
幸と一緒に初詣に行く予定だったんだけど。
「……うん、無理は承知だから、もしダメだったらいいよ。……俺も諦める、色々と」
やめて、最後に「色々と」とかつけるのやめて! 気になるから!
「柏崎、妹と一緒に正月過ごすって楽しそうだったから、言おうかどうしようかずっと迷ってて」
そういえばそんな話もしたかもしれない。いくつか話した話題のうちの一つだ。私の話には大概幸が登場するから。魔女の再婚相手の連れ子という辺りは一切話してないので、黒崎は幸の事を私の妹だと思っている。
幸と暮らし始めた頃の意識はどうあれ、今確かに私は幸の事を妹だと、大事だと思ってるのでそれはそれで間違いではない。
「それがあの挙動不審か!」
「そう」
こちらの都合とか、気にしてもらえるというのはあんまりなかったことなので、正直嬉しい。黒崎にしてみれば忘れてしまいそうな些細な話を、覚えていてくれた事も。
どうしよう。どうすべきか。正直黒崎は助けてあげたい。切羽詰ってそうな雰囲気を感じるので、断ったらきっとまた従兄弟事件の時のように死にそうになるに違いない。そうしたらあの可愛い黒崎が見れるな、とか…………いや、いやいやいや、落ち着け私。今この時に可愛いかどうかとか本当関係ないから。
困っているのを相談してくれたのだって、嬉しい。前回何でもないと言われた時は、ちょっと寂しかったのだ。私ができる事なら助けるのに躊躇はない。しかしそれに幸が絡んでくると悩んでしまう。幸と初詣に行くのも、楽しみなのだ。
でも黒崎の事も気になる。
自分以外の事で頭を悩ませるなんて、他人をどうでもいいと思っていた頃の私が今の私を見たら、何を悩む必要があるのかと笑うだろう。正直、その頃の事が懐かしくなったりすることも、あるけれど。
戻りたいとまでは、思わない。
「返事、今日中ならメールでもいい? 家帰って幸と話すから」
「うん、大丈夫だ。ごめん、ありがとう」
「いや、まだお礼言うの早いし。断るかもしれないし」
「うん、でもありがとう。気にしてくれて」
申し訳なさそうに言う黒崎に、やっぱり可愛いなこの男と思いながら誤魔化すように笑った。
おかしいな。可愛いと思う頻度が増えてる。すごい増えてる。
この症状はもしかして進行するのだろうか。
だとしたら、数ヵ月後の私は、来年の私はどうなってる?
せっかく鳴りを潜めていた良く分からない何かが、自分の中でむくりと鎌首をもたげた、ような気がして。
また怖くなった私は、早々にそれ以上考えるのを放棄した。