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〈 結 〉

 僕の腕の中でナツキが泣いていた。初めは声を殺して。そのうち、だんだん大きな声で。子供特有の大きな声で、わんわんと……。

「なんで、なんで分かるんだよっ!」

 ナツキは泣きながら怒っていた。ナツキの親になり損ねた僕は、泣きじゃくる子供の上手ななぐさめ方を知らない。いつだったか鳩に逃げられて転んだ男の子の母親のように、うまく何かを言ってあげることができない。だから、ただ力いっぱい抱きしめた。現実には存在しないはずのナツキの体からは、何故か温かさと重さとが感じられて、たまらなく愛おしかった。

「せっかく皆が幸せになる話を作ったのにっ!」

 歯を食いしばるようにしてナツキが叫ぶ。喚き続けるナツキを抱きながら、ナツキには申し訳ないけれど僕は心底、ほっとしていた。ナツキの作り話に気づけて良かった、と。

 分かったのは奇跡だと思う。

 ナツキが急いで消えようとしていたのがひっかかった。

 僕は嘘が嫌いなので、あまり嘘をつくことはない。しかし、いざ嘘をつくとそわそわして、嘘がばれる前に早くその場を去ろうとしてしまう。そんな僕と、さっきのナツキは似ていた。

 僕の安堵し、嬉しさに緩んだ顔は、ナツキの癪に障ったらしい。ナツキはいっそう激しく怒り出した。

「どうして『カタカナで名前が書かれた名簿』が『嘘』だって分かったんだよっ!」

「……確信があったわけじゃないよ。ただ、都合がよすぎたから」

 そう。できすぎていた。

 神様の名簿がカタカナだなんて。よく考えればいかにも嘘っぽい。

 夏樹と名月とナツキ。

『カンバラナツキ』が三人いて、その中の誰が死んでも良くて、それなら死ぬことが赦されずに神様の下働きをしているナツキが死ねば皆、幸せ――そんなの都合が良すぎる。

 思わず信じてしまいそうになる言葉の魔法。

 言葉遊びの好きなツキ。その子供のナツキが作り出した都合のいい御伽噺。

「本当は、どういうことなんだ? ナツキは、ツキは、どうなるんだ?」

 言いながら、僕は自分の言葉に動揺した。ナツキを引き止められた安心感で後回しにしてしまっていたが、ツキはまだ目覚めていないのだ。

 真実を知りたい。僕の心臓は早鐘のように鳴った。

 僕の不安を感じたのか、ナツキは顔を上げてにっこり笑った。洟をすすり上げながらだが、元気にはっきりと答える。

「大丈夫っ。彼女は死なないよ。もともと死ぬ予定もなかった。ただ、かつての彼女の願いが残っていただけ」

「願い?」

「『あなたにこの子を見せてあげたいし、この子のことを見てあげてほしい』」

 ゆっくりとナツキが言う。

 聞き覚えがある台詞。昔、確かにツキはそう言った。初めてナツキの心拍が確認された日に。

「――彼女はずっと俺のことを忘れられなかった。小さい子供を見かければ、つい目で追っちゃって、俺が生まれていればこのくらいの歳のはず、なんてずっと考えていて……。あなたも、そうだろ?」

 言葉に詰まった。ツキが小さい子供を気にしているのは知っていたが、僕自身もそうだったんだろうか。

「俺、あなたたちを悲しませるばっかりで、何もできなくて。あなたたちは、ずっとずっと俺のこと忘れなくてっ。……それじゃ、これから生まれてくる妹が可哀相じゃん。俺の生まれ変わりとか言われちゃったら、妹の立場ないじゃん」

 僕の目をまっすぐに射抜くかのようなナツキの眼差し。凛とした声。本当にツキにそっくりだ。

「……だから、神様が俺に親孝行のチャンスをくれた。――俺が神様の下で下働きをしている、っていうのは本当だよ。俺はこの世でもあの世でもない中途半端なところに留まったまま動けない。この狭間の世界に、意識不明の彼女が来た。神様は、本来この世の存在の彼女がしばらく狭間の世界にいる代わりに、彼女の願いどおりに俺をこの世に出してくれた」

 僕は神様を信じない方だ。けれど目の前に存在しないはずのナツキがいて、僕と会話している。だから今だけは、ナツキの神様をまるごと信じよう。

 僕を見上げるナツキ。本当なら、まだよちよち歩きの小さな子供だ。満足に考えたり、言葉を交わしたりできるような歳ではない。だからこれは仮の姿で、ナツキの心を伝えやすくするための神様の配慮なのだろう。

「……どうして作り話なんかしたんだい? 普通に逢いに来てくれればよかったじゃないか?」

 僕の疑問に、ナツキはむすっとして唇を突き出した。

「そんなことしたら、あなたはずっと『可哀相な俺』を覚えているだろ? 忘れて欲しいんだ。俺のことを思い出して悲しむあなたたちの姿を、もう見たくないんだ。――『名簿』の話は、俺が一生懸命考えて作った皆が幸せになる話なんだよ」

 僕は――僕たちは、どうやらこの小さなナツキをとても苦しめていたらしい。

『名簿』の話は皆が幸せになる話――ナツキが心からそう思っているのは、ちゃんと伝わっている。だけど僕はあえてこう言う。 

「嘘だよ」

「もう、嘘なんかついていないよっ!」

 むきになるナツキに、僕は左右に首を振る。

「『名簿』の話で皆が幸せになるんて、『嘘』。ナツキが幸せじゃないだろ? 忘れて欲しい? そんなの嘘だろ? それでいいわけないだろ? そんなの、悲しすぎるよ!」

「でもっ……!」

「君だって、一緒に生きたかったはずだ!!」

 思わず叫んでいた。

 忘れて欲しい? ふざけるな。

 妹が可哀相? ナツキの方がよっぽど可哀相だ。

「……僕たちは君を喪って、悲しくて悲しくて。辛い思いから立ち直ろうと、あがいてあがいてあがいて。それでもどうしようもなくて!」

「知っているよっ!」

 再び、ナツキの目に涙が盛り上がってきた。

 ナツキは俯いて、涙が零れ落ちるのもそのままに、嗚咽まみれに言葉を紡ぐ。

「……だから、だから俺は、悔しくて辛くて悲しくて申し訳なくて!

 それで、この世でもあの世でもない、中途半端なところから動けなくて!

 俺が、一緒に生きたかったなんて言っちゃったら、あなたたちは困るだろ?

 だから、あなたたちが辛くて悲しいのを見ていなければならないことが、『逆縁の罪』なんだと。

 動けないでいることが『逆縁の罪』なんだと。

 そう自分に言い聞かせて我慢してしていたんだ……!

 ……本当は、本当はこれから生まれることができる妹が羨ましいよ! でも、そんなこと言っちゃいけないんだっ!!」

 号泣するナツキを、僕は抱きしめた。

「言っていいんだよ。当然の気持ちだろ? 僕だって君を忘れたくない。辛い思いだって僕たちのもの。僕たちが君を愛している気持ちから生まれるもの。それを忘れるなんて絶対に嫌だよ」

 僕は鼻がつんと痛くなって、喉がかっと熱くなるのを感じた。

 ナツキの髪に、僕の涙のしずくが落ちる。

「……なんだよ。俺、何のために出てきたんだよ?」

 しゃくりあげながらナツキが呟く。

「僕に、逢いに来てくれたんだろ? 神様は作り話をしろ、なんて言った?」

「言っていない」

「そうだろうね。君は僕に逢いに来てくれるだけで、充分、親孝行をしたんだよ」

 背中を優しく撫でる。しばらくそのまま、撫で続ける。そうしているうちに徐々にナツキの動悸が鎮まってきた。

 涙をぬぐいながら、ナツキはツキに目をやった。

「起きている彼女にも逢いたかったな……」

「『彼女』じゃなくて、言ってあげてよ。『お母さん』って」

 僕の言葉に、ナツキはびっくりしたように目を見開いた。

「いいの? その言葉、俺が言ってもいいの? 子供らしくできなかった俺が言っても、いいの?」

 ナツキには、ナツキなりのこだわりとけじめがあるらしい。だけど、何故ためらう必要があるのだろう?

「当たり前だろ」

 僕の言葉に、ナツキは顔をくしゃくしゃにして笑う。

 ナツキは僕の腕の中から抜け出して、ツキのベッドに寄っていった。大げさなくらいに首を傾けて、眠ったままのツキの顔を覗き込む。

 それからナツキは、少し困ったように、あるいは悩んでいるように眉根を寄せた。まだためらっているのだろうか、そう僕が思ったとき、ナツキは「ええいっ!」と声を上げた。もぞもぞと布団に手を突っ込み、ツキの手を布団から引きずり出す。

 何をしているんだろう、と僕は思った。

 ナツキは、ツキの人差し指を握っていた。

 ナツキは幸せそうに笑っている。――僕は思い出した。昔、本で見た母親の指を握る赤ちゃんの写真を。ナツキはずっと、そうしたかったのに違いない。

 そしてナツキは、眠ったままのツキに向かって、そっと呟いた。

「お母さん」――と。

 その途端、ナツキの体が一瞬ぶれた。消えたり現れたりしたときのように、すぅっと体が薄くなるのではなく、揺れるように存在が危うくなった。

「あれ? 俺、本当に消えるみたいだ」

 何となく感じた――『逆縁の罪』が赦されたのだと。

「ナツキ!」

 僕は叫ぶ。

 本当は叫ぶ必要などないのだ。ナツキは赦されて解放されるのだから。

 だけど、叫ばずにいられなかった。

 どんな形にしろ、これはナツキとの――別れだから。

「ありがとう……、お父さん」

 ナツキの体はどんどん不明瞭になっていく。まるで揺れる水面に映った影のように。

「ありがとう、ナツキ。君がいてくれて、君に逢えて、本当に嬉しかった」

 忘れないよ……。

 ナツキは笑っていた。

 今までで一番、元気よく、心からの笑顔で。


 ナツキの体は溶けて、解けて、光になった……。




「あなた、ねぇ、あなた……。もう、ナツ!」

 揺すぶられて目を開けた。

 目の前はとても眩しく、真っ白だった。

 目をこすりながら体を起こすと、初めに視界に入ってきたものは白い掛け布団カバーだったということが分かる。それにしても眩しいのは、明るい太陽の光のせいだ。すっかり朝になっている。

 朝……?

 ナツキは?

 あれは夢だったのか?

 僕は、ぼーっとする頭を抑えながら目の前を見た。

 そして、彼女の姿を捉えたとき、眠気はいっぺんに吹き飛んだ。

「ツキ!」

 ツキが目覚めている。僕のことを見つめている。

 彼女は、彼女の足に頭を乗せて寝ていた僕にちょっと不満顔だ。「すっかり痺れちゃって足の感覚がない」と文句を言う。けど、それが何だ!

 僕は彼女を抱きしめて、頬を擦り寄せる。

「ちょっ……。ちょっと、ナツ! 髭が痛いわよ!」

 髭なんか、この二日、伸ばしっぱなしだ。それがどうした!?

 きつくきつく、彼女を抱きしめる。痛いだの、苦しいだの、そんな言葉は耳からすり抜けていく。そう言っている彼女だって、僕のことを強く抱きしめているのだ。

「ナツ……ごめんなさい。心配かけちゃった……」

 僕は黙って首を振った。ツキが目覚めてくれたら、もういいのだ。それより早く、ツキにナツキのことを話したい。なのに僕の喉は熱くなっていて、なかなか声を出すことができない。

 だから、僕より先にツキが言った。

「私ね、目が覚める前にナツキに逢ったの。ナツキは、あなたに逢ってきたと言っていたよ……?」

 僕は目を丸くした。そんな僕を見て、ツキは嬉しそうに「やっぱり夢じゃなかったんだ」と呟いた。

 ナツキは僕の前から消えた後、ツキのいた狭間の世界を抜けてあの世にいった、ということだろうか。ツキがこの世に戻るのと反対に。

「私、胸が詰まって何も言えなかった。たくさんたくさん言いたいことがあったのに、なんにも……」

 ツキはそこで言葉を切って、幸せそうに自分のお腹を撫でた。

「そしたらね、私の中から声がしたの。『アイ、知っているからねっ』って。『ナツキの存在ことも、ナツキの気持ちも』」

 アイ――ナツキが名付けた、ナツキの妹の名前。

「びっくりしたわ。――ナツキはすぐにその声に気づいて、私にアイのことやあなたとの話を教えてくれたの」

 そして彼女は、楽しそうに笑いながら続けた。

「それでね、アイがナツキに向かって言うのよ。『愛しているからねっ』」

 ツキはころころと笑う。僕は初め、彼女が何故そんなふうに笑ったのか理解できなかった。が、しばらくして、気づいた。

「……駄洒落?」

 ――『アイ、シッテイルカラネ』

 ――『アイシテイルカラネ』

 いまいち決まらない。

 でも、アイの一生懸命の想い。

 生まれてくる妹が羨ましい、けど、それは言っちゃいけないと泣きながら叫んだナツキ。それを知っていてなお、愛していると言ったアイ。

 ああ、なんだか僕はナツキとアイに負けている気がする。情けない。

「ナツ、私、頑張らなきゃって思ったの。……ナツキが笑っていたから。アイの想いが伝わってきたから」

 ツキはとても穏やかな顔をしていた。

 伝わってくる。ツキも僕と同じような気持ちをナツキとアイに抱いたのだ。

 僕たちは、まだまだだ。これから変わっていかなければならない。

「ツキ――、僕は未熟で頼りないけれど、これからも一緒に歩いていってくれるかな?」

「私こそ」

 僕とツキは小指を絡める。

 僕たちは前に向かって進み始めた――。


 正直なところ、改稿して自信作になった、ということはありません。

 試行錯誤して、あがいて、やっとひねり出した、という感じです。

 短編版でご指摘くださった方々に深く感謝申し上げます。


 ここまでお付き合い、どうもありがとうございました。

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