放っておけない
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女子高生の二人旅。
世間から見れば、ずいぶん思い切った行動に映るだろう。
だが華の“感知”によって場所が特定された以上、
迷っている時間はなかった。
二人は即座に支度を始める。
とはいえ、年頃の少女。
服はどれを持っていくか。化粧品は必要か。万が一のために予備も——
キャリーケースの前で悩むのが普通である。
しかし。
「……それだけ?」
冷は思わず声を漏らす。
華の荷物は、着替え一式、タオル、歯ブラシ。
以上。
まるで合宿に向かう男子高校生のような簡素さだった。
「足りるよ?」
悪びれもなく言う華に、冷は小さく息を吐く。
対照的に冷のケースはきちんと整理され、必要最低限ながら抜かりがない。
支度を終え、家の施錠を確認。
扉を開けた瞬間、
灼熱の空気が肌にまとわりついた。
それから歩いて数十分。
最寄りの駅から空港直通バスへ乗り込み、一時間揺られる。
やがて到着したのは小松空港。
平日にも関わらず、利用客は多い。
飛行機のチケットは数日前から予約を取るのが普通だが。
「そういえば!予約してないじゃん!」
華が不安げに周囲を見回す中、冷は迷いなくカウンターへ向かった。
数分後。
戻ってきた彼女の手には搭乗案内。
「……取れた」
「えぇ!?」
チケットも予約番号もない状態から、エコノミークラスの席を確保。
何をどう交渉したのかは分からない。
華は目を丸くする。
冷は、涼しい顔だった。
やがて二人は、フライト時間になり一般観光客に混じって機内へ。
空港の窓越しに滑走路を滑る機体を眺める。
鉄の巨体が、空へ舞い上がる。
その中へ。
約五時間。
雲を越え、海を越え。
辿り着いたのは、
日本列島南部に位置する――九州、福岡市だった。
「……行こうって言い出してから、まだ八時間しか経ってないのに。意外といけるんだね」
飛行機を降り、到着ロビーを歩きながら華が呟く。
「っていうか、なんであんなすぐチケット取れたの?なんて話したの?」
冷は少し首を傾げる。
「普通に“富谷ですけど”って言っただけ」
「えぇ……?」
華は目をぱちくりさせた。
富谷。
それだけで通じる名前。それだけで融通が利く立場。
金持ちって、すげぇ、と。
心の中で、素直に思う華だった。
冷の父は、二人が背負うパワードスーツの開発責任者だ。
研究部門の中枢。
所属企業は海外に本社を置く、誰もが知る超大手。
テレビCMも流れ、世界中に支社を持ち、
国家規模のプロジェクトにも関わっている。
その“富谷”の娘。
だが当の本人は、まったく気にしていない。
「空席があっただけだよ」
涼しい顔で言う。
悪びれも、誇りもない。
それが余計に、本物だった。
華は少しだけ笑う。
「なんかズルいなぁ!」
「何が?」
「全部」
微笑する冷は小さく息を吐き、前を向いた。
「今は、それどころじゃないでしょ」
二人は更に福岡空港からバスと電車を乗り継ぎ、移動すること一時間。
日も僅かに傾始める時間になった頃。
到着したのは中心街からかなり離れた、田舎の土地だった。
「天上市……ここだね」
冷はスマートフォンの画面と、駅前ロータリーにそびえる三角の建造物を見比べる。
コンクリートでできた巨大な三角柱。
慰霊碑なのか、モニュメントなのかは分からない。
鋭く空を切り裂くようなその形は、写真で見た時よりも、ずっと威圧的だった。
南国特有の強い日差しを受け、影がくっきりと地面に落ちている。
その足元。
駅の出入り口脇の掲示板には、
誰かのポスターが無残に引き裂かれ、垂れ下がっていた。
ビリ、と破られた跡。画鋲だけが残っている。風にあおられ、細切れの紙がかさりと揺れる。
かろうじて読めたのは、
——「市議会議員」
——「天上市」
そして、スーツ姿の男の笑顔の一部。
目元だけが、残っている。誰が、何のために破ったのか。
今は分からない。
だが。
街の空気に、わずかな棘が混じっているのは確かだった。
「何か感じる?」
冷が小声で尋ねる。
「うん。この街にいる。……でも」
華は目を細め、ゆっくりと息を吸った。
わずかに眉を寄せる。
「まだ少し遠い気がする」
「山の方かな」
駅の向こうには、緑の濃い稜線が連なっている。
「方角は?」
「んー……方角は――」
その時だった。
どん。
華の肩に、柔らかい衝撃。
「あっ」
相手のカバンが地面に落ちる。ばさり、と中身が散らばった。
参考書。
ノート。
分厚い問題集。
「うえぇあ?! ご、ごめん!」
華が慌ててしゃがみ込む。
「こ、こちらこそ……ごめんなさい……」
小さな声。
か細く、消え入りそうな響き。
顔を上げた華の視界に映ったのは、ボブカットの少女。赤縁の眼鏡に紺色のセーラー服。
いかにも真面目そうな、地味な印象。
だが。
教科書を拾うその手が、わずかに震えている。
視線は、ほとんど合わない。
周囲を一瞬だけ、怯えるように見回す。
「……」
その様子を、華は見逃さなかった。
「はい、これで全部かな!」
明るく振る舞う。
「本当にごめんなさい……それでは」
少女は鞄を胸に抱き、深く一礼する。
そして。
逃げるように背を向け、人混みへ溶けていった。
「……ちょっと怯えてたよね、あの子」
「冷もそう感じたんだ。実は私もなんだよね」
見えなくなるまで見送り、二人が歩き出そうとした、
その時。
コツン。
華の足先に、何かが当たる。
「あれ、何か落ちてる?」
拾い上げる。
それはプラスチックのカードだった。
「……それ、学生証じゃない?」
冷に言われ、裏返す。
さっきの少女の顔写真。
学校名——天上市立天上中学校。
「ホントだ!どうしよう、全然気づかなかった!」
「わたしも……ん?」
冷の視線が足元へ落ちる。
少し離れた場所に、小さな布切れ。
ハンカチだろうか。拾い上げる。
指先に、ぬめり。
視線を落とす。
白い布の端に、乾ききっていない赤黒い染み。
一瞬、思考が止まる。
——違う。
ペン?インク?
そうあってほしいと、脳が言い訳を探す。
だが。
鉄の匂いが、わずかに鼻を刺した。
冷の喉が、ひくりと鳴る。
「ねぇ……これって……」
声がかすれる。
「……血、かな」
華は布を受け取り、鼻先へ近づける。
乾いた鉄の匂い。
「……乾いてるけど、血の臭いだ」
「じゃあ…」
二人は無言で顔を見合わせる。
事故かもしれない。転んだだけかもしれない。
そう思おうとする。
だが、
あの少女の目。
周囲を怯えるように見回す仕草。胸に鞄を抱きしめる力の強さ。
——普通じゃない。
「……何かに巻き込まれてる気がする」
華がぽつりと呟く。
冷も小さく頷く。
「うん。あれは……放っておけない」
学生証を握り直す。
「あの子、これないと困るよね」
理由はそれで十分だった。
「追っかけよ!」
「だよね」
二人は同時に駆け出す。少女が消えた、人混みの向こうへ。
影も、怪物も、まだ見えないが。
ただ一つ。
“あの目”が、気になった。
それだけで。
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