君の背中
その後、騒ぎを聞きつけた近隣住民が警察と消防を呼んだらしく、
戦場となっていた住宅街の裏路地の一角は、一時騒然となった。
公共物の異常な破損。二軒の家の屋根の損壊。
アスファルトの陥没。
そして――
屋根の上で、
謎の怪物と戦う二人の少女の姿があったという。
「それでは、お願いします」
麦は小さく会釈する。
トランクのドアが閉まると、救急車はモキドキパン屋の勝手口からゆっくりと走り出した。
やがてサイレンの音が鳴り始める。
その音は住宅街の夜に長く響き、やがて遠ざかりながら静けさの中へと溶けていった。
「はぁ……やっと」
重い溜息をこぼし、麦は勝手口から店の中へ入る。
微かだが、まだ表の通りがざわついていた。小さな喧騒を背に、麦は作業場へ入る。
「今、救急車で行ったよ。たぶん田中君、熱中症だろうってさ。今日一日は入院っぽい」
作業場には、椅子に座ってパンを食べている華と冷の姿があった。
「あの化け物になって、あんな熱さに晒され続けてたからね!」
華はパンをモグモグ食べながら答える。
「今日も三十度近くあるから、なおさらだよね」
隣で冷は口に手を当てながら、パンをちぎって食べていた。
「ところで、華。田中さんと会った時、いつもみたいに何か異変は感じてたの?」
「うーん……初めて見た時は、変な引っ掛かりはあったんだけど。そこまででもなかったんだよねー! 影喰になる素質って、実は誰にでもあるから!」
華は三個目のパンをモグモグ食べている。
「……二人が帰った後さ」
麦は作業台にゆっくりもたれかかる。
「田中君に、告白されたのよね……」
「「………え?」」
華と冷は一瞬思考が止まった後、同時に振り向く。
静まり返る作業場。先ほどまで気にならなかったホイロの冷却音が鮮明に聞こえ、外のセミの音も微かだが耳に届く。
「断ったんだけどさ……そしたら、急に様子がおかしくなって」
話をする麦は両手で自分を包み込むように組み、うつむき加減になる。
「怖くなって、逃げだしたら。あの化け物になって……」
「えぇ……」
「こわぁ……」
聞いていた華と冷は身を寄せ合い、表情が引きつっていく。
「『じゃあ今までボクが投げかけた気持ちを、返せよ』って」
「うわぁ……」
「『貴女が今まで落ち込んだとき苦しそうなとき、ぼくは懸命に支えた。優しい言葉をかけた。なのに、そんなこと言うんですね……』とか」
「おぉ……」
「『貴女はただ、男から一方的に受け取るだけで、何も返してくれないビッチだ……』とか」
「「おわぁ……」」
麦から次々に語られる田中の発言に、
華と冷もパンを食べる手が止まり、息を飲んで聞き入っていた。
「なんていうか……」
「すっごいこじらせてる……」
「発言が童貞臭かったから、恋愛経験ないと思うよ。あの子……」
「「確かにっ」」
麦の発言に、華と冷は同じリズムで頷く。
「ただ、あの子の発言からね……アタシも悪いのかなって。勘違いさせちゃったから、今回こんな事態にまでなって……二人にも迷惑かけて」
「そんなことないよ!」
華は優しく、しかし強く言った。
「胸に黒紫の水晶があったから、遅かれ早かれ影喰にはなってた。そのトリガーが、たまたま今回の出来事だっただけだから!」
「気に病むことはないです。相手が悪かっただけですからね」
華の言葉に続いて、冷もフォローを入れる。
「優しいね、二人は……でもさ。昔の話になっちゃうんだけど、アタシってば別に好きでもない相手を意識させる行動があるみたいで。直さなきゃなって思いながら、今まで来たから……」
重い溜息をこぼす麦は続ける。
「何回もパンの作業失敗してメンタル落ち込んでたのもあるし、アタシって駄目なのかなって勝手に思ってたんだけどさ……」
ふと、麦は顔を上げ、華に視線を向けた。
「華ちゃんの背中見てたら、そうじゃないかもって……思えたのよね」
「え、私?」
「うん」
僅かに麦の口角が上がる。
「事情は知らないけど、二人は喧嘩かなんかしてたんでしょ?」
言われて、華と冷は互いに顔を見合わせた。
「自分が悪いって気づいて。ちゃんと謝る華ちゃん見てたら……アタシも、変わりたいって強く思えたのよね。落ち込んでばかりじゃ、ダメなんだってさ」
「……華の背中って、勇気をくれるんですよ」
冷が、何処か嬉しそうな表情をしていた。
「わたしも、華のそんな背中を見て一緒に戦いたいって思って。今こうして二人で動いてるんです」
「惹かれる気持ち、すっごくわかる気がする」
「ちょちょちょ! なになに二人して! なんかくすぐったいなぁ……!」
二方向から褒められる華は、どこか照れくさそうな様子だった。
ふと、麦はある事に気づき、華と冷を見る。
「気になってたことがあるんだけどさ、アタシの手から出てたのって……なに?」
「たぶん、私たちと同じ力だと思うよ!」
ごくん、とパンを飲み込んで華が答える。
「力?」
「影喰を倒せる力。私は怪力で、冷が光弾」
言われて、麦の脳裏に蘇る――さっきまでの光景。
地形を変えるほどの、人並外れた怪力。
手から放たれていた光の弾丸。
そして、自分の手から広がった――あの光。
「あの感じだとー…見たところ守る系の力かな? バリアみたいな?」
「わたしたちを守ってくれたもんね」
冷の言葉に、華は嬉しそうに頷く。
「力……」
麦は自分の両手に視線を落とす。
いつも見ている、自分の手。
幼い頃からずっと、何気なく当たり前にある手が、今も視界に映っている。
「戦う、か……」
しばらく自分の手を見ていた麦は、顔を上げる。
「あ、アタシの力って、二人から見て……必要かな?」
問われた華と冷はキョトンとした表情になるが、やがて口元が緩む。
「凄くほしい! だって守る力でしょ? 絶対強いじゃん!」
「華は考えなしに突っ込むから、正直盾がいるとカバーしやすいです。いてくれたら助かります」
「もーーー! ちゃんと考えてるよ!」
「またまた」
華と冷が小さな喧嘩を始める中、
麦の目に少しずつ力が籠る。
開いた手を見つめ、
そしてグッと、噛みしめるように握りしめた。
「アタシも……一緒に戦わせてくれない、かな?」
思いを声に乗せて告げた麦の表情は、真剣そのものだった。
言われた華と冷は少し驚いた様子だったが、すぐに優しい笑みを浮かべる。
「もちろん!」
「はいっ」
力強く頷く二人に、麦の表情から緊張がほどける。
この日、華と冷に
”三人目の仲間”ができた。
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