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歪んだ姿

「い、いやぁ!」


住宅街の裏路地を走る麦に、余裕はなかった。

ゴミ箱を蹴とばし、古びた木箱に躓きながら、ひたすら前へ走る。

前のめりに転びそうになりつつも姿勢を保ち、走りながら振り向く。


そこには、真っ赤な溶岩のような衣を纏った人型が迫っていた。

異常な高熱によって、足元のアスファルトは溶けて沼のように変わり、左右の塀や家の外壁はスライム状に溶けていた。


「だ、誰か!」


声を振り絞る麦。

だが人型は、住宅街の裏路地の壁を滑走して宙へと跳び上がると、麦の進行方向へ着地し、行く手を阻んだ。


「逃がしませんよ、麦」

「た、田中君……だよね。なんなのそれ! 気持ち悪いよ!」

「あのお方がくれた力ですよ。この黒紫の石に込められた炎の力……影喰の力」

「か、かげばみ……? なにそれ、意味わかんないって!」

「逃げられない、ということです」


ズシン、と田中の足が一歩前に出る。


次の瞬間。

横の茂みが激しく揺れた。


その時。


「怪力拳!!」


茂みから飛び出した少女の拳が、田中の顔面を叩き抜いた。

裏路地の壁へ叩きつけられると同時に、拳圧でアスファルトが窪み沈んだ。


「あっぶな! 間に合った!」

「え、あ……あれ。さ、さっきの?」


突然目の前に現れた華に、麦の表情から緊張が少し消えていく。


「怪我はない?!」

「う、うん……大丈夫だけど。田中君が……」


麦の視線の先を追うと、田中が上体を起こし、ゆっくりと立ち上がるところだった。

先ほど見た姿とはかけ離れ、全身にマグマのような赤い鎧を纏い、口から伸びたホースは背中に回り、周囲には常に蒸気が漂っている。


「バケモノになっちゃった……なにあれ」

「影喰だよ」


右手につけている白いブレスレットが、一瞬光沢を放つ。

華は掲げた右腕を胸の前に構えた。


「私の後ろに隠れて!」

「ど、どうするの! 危ないよ、逃げよう!」

「大丈夫!」


にかっと笑う華。

完全に起き上がった田中の体から、蒸気が噴水のように噴き出し、周囲の視界が霞む。


「さきほどの……どうやら貴女も、死にたいようですね!」


田中が右手を突き出す。

手のひらから絞り出された赤い粒子が瞬間的に形を取り、火の玉となって華へ飛んでいく。


「“変異武装ドレスコネクト!!”」


華の周りに、球体状の白く眩い光膜が発生する。飛んできた火の玉は弾かれ、そのまま消滅した。


「なにぃ! 小賢しい真似を!」


さらに田中は、叩きつけるように地面へ手をついた。

地面から立ち上がる赤い粒子が集約し、形を取ってマグマの津波となり、狭い裏路地を流れて麦へ迫る。


バシュン、と光膜が弾け飛んだ。


中から現れた白い影が、後ろに引いた拳を突き出す。


瞬きほどの刹那。

拳の衝撃波でマグマの津波はかき消され、その間のアスファルトがめくれ上がり、田中を吹き飛ばした。


「……え」


麦は言葉を失う。


突然、桃色の長い髪をなびかせ、白いドレスを纏った少女の背中が現れていた。

麦の前に立つ姿はまるで――守護者の如く。


その背中は、恐ろしく頼もしく見えた。


「くぅ……な、なんですか貴女は!」


田中は苛立ちを隠せない様子だった。


「私はお前をぶん殴りにきた女だッ!!」


叫ぶ華は拳を構える。


「これだから女は…まとめてぶっころしてやりますよ!」


咆哮する田中の体から強く蒸気が噴き出す。肩から流れ落ちるマグマが足元に広がり瞬間的に裏路地の道を埋め尽くす。咄嗟に察した華は、後ろに居る麦を抱き、壁を蹴って屋根に上に飛び上がった。

振り向くと、今二人がいた場所は完全にマグマの海となり、周りの看板や木の敷居、電柱が解けて沈み込んでいく。


「うわ、えっぐ!」

「どこ見てるんですか!」


振り向くと、二人がいる家の屋根より高く空に飛び上がっていた田中が右手に赤い円形の物体を握っている。


「マグマブーメラン!」


放たれた飛び道具が二人を襲う。


咄嗟に華は右足を振り上げる。

マグマブーメランを――蹴り返した。


「く!しぶといですね!」

(麦さんを置いて戦えば今みたいな遠距離攻撃が来る…けど直接殴らないと倒せない。拳圧でも飛距離には限界がある…)


険しい表情になる華は一瞬、脳裏に冷の顔が浮かぶ。


(冷がいれば…)


奥歯を食いしばり、華の表情が歪む。


その時だった。


背後から三つの光弾が飛来し、

華の頭上をかすめて田中に命中した。


「え?」


振り向くと、金色の髪をなびかせ黒いドレスを纏った少女が立っていた。

指先を銃の形に構えている。


「れ、冷!?」

「家に帰ったら、クリスチャントに聞いて飛んできたの」


飛び上がった冷は空中で一回転し、華の横に着地する。


「どうして言ってくれなかったのっ。わたしの携帯番号、この前教えたよね?家の電話からかけてくれればよかったのにっ」

「こ、これくらい私一人でいいから!今までも一人でやってきたし!」

「苦戦してたよね?相手は遠距離も近距離もいける戦い方なら、一人より二人の方がいいに決まってるよっ」

「だって家にいなかったじゃん!呼ぶより一人で来た方が速い!」

「出かけてたから仕方ないよ!」


お互い向きになって言い合う二人を、

間に挟まれて見ていた麦が、困った様子で声をかける。


「ま、待って待って! 今はそんな場合じゃないと思うんだけどさ!」

「ボク抜きで盛り上がらないでいただいて!」


敵である田中も、両手をぶんぶん振って怒っている様子だった。

両手に粒子を集約し形を生成すると、体を弓のようにしならせ、赤い円形の物体を投げ放つ。


睨み合っていた華と冷の視線が、飛んでくる獲物へと切り替わる。


――バギィン!


マグマブーメランが空中で砕け散った。

華の振り抜いた拳と、冷の放った光弾によって粉砕される。


「私がやった!」

「わたし、先に撃ち抜いた!」


華と冷の言い合いは、なおも続く。


「くっ!息が合っていないのに… うっとうしい女どもですね!」


放った獲物を破壊された田中は苛立ちを見せながら、両腕を真上に掲げる。


背部から射出された赤い粒子が、華と冷、そして麦を囲むように空中を移動する。

やがて粒子は円を描くように並び、炎を纏った弾へと形を変えた。

黄色の火花を散らしながら、無数の火の弾が頭上で静止する。


まるで獲物を睨みつけるかのように、沈黙していた。


「焼き殺します……“マグマ・デス・パレード”!」


田中の両腕が振り下ろされる。

空中で静止していた火の弾の群れが、一斉に降下を開始した。

全方位から、二人へと襲いかかる。


(屋根の上じゃ、ちゃぶ台返しも使えない!怪力拳は一方向しか処理できない……!)

(光弾の今の発射弾数だと、一方向しか対処できないっ!)


歯を食いしばる華と冷に、火の雨が迫る。


(せめて!)

(麦さんだけでもっ!)


次の瞬間――


パキィン。

甲高い音が、空気を裂いた。


「え?」

「なに?」


華と冷が頭上を見上げる。


そこには、幾何学的な紋様の障壁のようなものが広がり、三人を包み込んでいた。


降り注ぐ火の雨が、障壁に叩きつけられる。


ドガンッ――ッ!

ドドドドドッ!!


無数の炎弾が幾何学模様の光の壁にぶつかり、激しい爆音を連続して響かせる。衝突するたび、障壁の表面に刻まれた紋様が淡く輝き、波紋のように光が広がった。


炎は弾け、火の粉となって四方に散る。

だが一つとして、障壁の内側へは届かない。


「すご……」


華が思わず呟く。

次々と落ちてくる火の弾が、雨のように結界を叩いた。

しかしそのすべてが、透明な壁に阻まれ、弾かれ、砕け散っていく。


障壁の中心で、麦は両手を掲げたまま固まっていた。


手のひらから溢れる金色の光が、幾何学的な紋様となって空間へ広がり、半球状の壁を形作っている。

そして麦の瞳孔は見開かれ、金色の光を帯びていた。


「な、なにこれ……」


頭上を見上げる麦の表情は、驚きに染まっていた。

ゴゥッ、と炎の雄たけびが唸る。


「隙あり!!」


掲げた手に集約した赤い粒子が肥大化し、巨大な球の形を成していた。

田中の立つ家の屋根は熱で溶け落ち、アンテナは一瞬で曲がる。

張り巡らされた電線が、次々と焼き切れていった。


「マグマドライブ!」


放たれた巨大な火の玉が、炎の尾を引きながら一直線に飛来する。

冷は顔を上げた。


(お、大きすぎるっ……避けられない……!)


ちらりと麦を見る。

だが麦は動揺と驚きで完全に放心しており、動けそうな気配はない。


思わず冷は身構え、ぎゅっと瞼を閉じる。


その時だった。


ガシンッ、と屋根の瓦を踏み砕き、華が前へ出た。

腰だめに拳を構える。


迫りくる灼熱の圧が、肌を刺すように突きつけてくる。


腰の回転に乗せて、拳が空を切り裂き突き出された。


ゴンッ!!


重い衝突音が響き渡る。

遅れて発生した衝撃波が、波紋のように広がり大気を震わせた。

華の拳が、田中の放った巨大な火の弾を正面から受け止めていたのだ。


「す、すごい力…!」


華の怪力の拳と火の弾が激しく押し合う。

衝突点からは、炎を帯びた稲妻が暴れ狂うように弾ける。

巻き起こる衝撃波の風に、冷は身をかがめて耐える。そして麦を抱き寄せ、吹き飛ばされないよう必死に支えていた。


「ぐっ……重い!」


瓦が、ミシッと軋んだ。

華の足元の屋根が、徐々に沈み始めていた。


「れ……冷っ!」


拳を前に押し続けながら、華は叫ぶ。


「なにっ?!」

「ごめん!」

「えっ……なにがっ!」


冷は灼熱に顔を歪め、手で顔を覆っている。


――気持ちというのは不思議なもので、目をそむけようとすればするほど、追いかけてくるものでございます――


灼熱の中、

ふと、華の脳裏に先ほどのクリスチャントの言葉が浮かんだ。


「……冷が友達といるところ、見て!邪魔しちゃ悪いかなって!変にムキになって!」


瓦がさらに軋み、屋根全体がぐらりと沈む。

入った亀裂の隙間から粉塵が舞い上がり、ミシミシと嫌な音が鳴った。


「私は……!」


言いかけて、華は一度口を閉じる。


「だから……ごめん!!」


顔を上げた華の金色に光る瞳には、涙が浮かんでいた。

それを聞いた冷は目を見開き、すぐに何かを察したように口元を緩める。


「あとで聞かせてっ! 今は……っ」

「うん、今は!」


華は歯を食いしばり、前に一歩踏み出した。


「ごちゃごちゃ五月蝿いですよ!この弾の質量は約三十万トン!拳一つで、そうやすやすと押し返しは――」

「だったら!その拳が何個もあればいいんだろ!」


左手を開き、拳を握り直して前へ突き出す。

続けて右の拳。さらに左、右。

交互に突き出される拳の速度は一気に上昇し、残像が幾重にも空を描いた。


「怪力!!――連撃拳!!」


無数の拳が火の弾へ叩き込まれる。


ドドドドドドドドッ!!


連続して叩き込まれる拳が、

巨大な火球の表面を次々に打ち据えた。

衝突のたびに炎が弾け、火花と赤熱した粒子が四方へ飛び散る。


拳と火球がぶつかる一点から、炎を帯びた衝撃の輪が何重にも広がっていく。

火球はぐらりと揺れ、その巨体がわずかに押し返される。

しかし、質量の塊はなおも前進を続け、灼熱の圧が華の全身へ重くのしかかった。


「まだ……っ!」


歯を食いしばり、華はさらに拳を打ち込む。

残像を引く拳が空気を裂き、


ドドドドドッ!と連続する衝撃が火球を震わせる。炎は暴れ狂い、火花の嵐が初夏の空へと散っていった。


「なにぃ?!」


巨大な火の弾を目の前で砕かれ、田中がたじろぐ。


「今だ!」


華が叫ぶと同時に、

冷は手を銃の形に構え、人差し指をまっすぐ突き出した。


「光弾!」


放たれた光の弾は、一直線に住宅街の上空を駆け抜ける。

光弾は、寸分の狂いもなく水晶の中心へ吸い込まれた。


バキィンッ!!


命中した光弾が、

田中の胸に埋め込まれていた黒紫の水晶を正確に貫く。


「がっ……!」


衝撃で田中の体が大きく仰け反り、そのまま空中へ弾かれた。

くるくると回転しながら飛ばされた体は、屋根へ叩きつけられ、さらに手すりにぶつかってようやく止まった。


ぱらり、と瓦の破片が屋根を転がる。

さっきまで暴れていた炎の光も、ゆっくりと夜の闇に溶けていった。


熱に歪んでいた空気が、ようやく静まっていく。


次の瞬間。


田中の体が爆ぜ、甲高い音を立てて黒紫の水晶が砕け散る。


砕けた破片の中心から、まるで吐き出されるように――

一つの人影が弾き飛ばされた。


「……た、田中君」


見ていた麦は、ぼそりと呟く。


「大丈夫、生きてるよ」


華はあっさりとした声で続ける。


「ちょっと気絶してるだけ。時間がたてば普通に起きるよ。死んでないから。安心して」


振り返る華の右腕のアームカバーは焼け落ち、肌のあちこちに火傷の痕がついていた。


夏の風が桃色の髪をなびかせ、白いドレスが踊るように揺れていた。戦いの熱が残る屋根の上に、ようやく静かな昼が戻ってくる。



どこか遠くで、蝉が鳴き始めた。




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