サービス終了と、自ら選んだ「ログアウト」
天正15年(1587年)。
九州平定を成し遂げ、実質的な天下の「最高管理者」となった羽柴秀吉が、鞆の浦に滞在していた足利義明を訪ねてきた。
「義明様。もう十分でしょう。かつての不適切な投稿(謀反)はすべてアーカイブ化し、非公開にしておきました。京都に戻り、一人の隠居ユーザーとして、穏やかにログインし続けてはいかがですか?」
秀吉の言葉は、かつての信長のような鋭利な刃ではなく、包み込むような「アップデート」の誘いだった。
義明は、しばらく自分の手のひらを見つめた。
そこには、かつて血圧計の数値を握りしめ、誰からの「いいね」も信じられず、ただ通知に怯えていた震えはもうなかった。
「……秀吉よ。予は、もう決めたのだ」
義明は、駆から借りた最新の端末をそっと机に置いた。
「この時代は、もう予のような古いOSを必要としておらぬ。予が京都に戻れば、また誰かが予を『神輿』として担ぎ出し、無益な争い(炎上)が起きる。……それは、予の望むところではない」
背後で控えていた天野駆が、珍しく少しだけ寂しそうな、それでいて満足そうな顔で義明を見つめる。
「将軍。本当にいいんすか? 戻れば、また豪華な御所で最新のWi-Fi使い放題ですよ」
「ふん。駆よ、お前が教えてくれたのではないか。『電波がなきゃ、ただの電気信号だ』とな。予は、一人の人間として、この静かな波音の中で、自らの人生を全うしたいのだ」
義明は微笑み、端末の電源ボタンを長押しした。
画面に「システムを終了しますか?」という確認のダイアログが表示される。
「駆。これまで、予の我儘なログインに付き合ってくれて……感謝する」
「……へい。お疲れ様でした、将軍。あなたのログは、僕が責任を持って、誰も辿り着けない『歴史の深淵』に暗号化しておきますから」
義明は迷いなく、画面の「はい」をタップした。
画面が静かにブラックアウトし、義明の顔が黒い鏡のように映し出される。そこには、かつての嫉妬深く臆病な将軍ではなく、憑き物が落ちたような、一人の清々しい男の顔があった。
「よし。……ログアウト完了だ」
義明は立ち上がり、海へと向かって歩き出した。
端末を持たぬその背中は、どんな武将よりも堂々として見えた。
天野駆は、主君のいなくなった机の上の端末を回収し、それを海へと放り投げた。水しぶきが上がり、室町幕府という名の長い物語が、物理的にも、デジタル的にも、ここに完全に幕を閉じた。
「(……さーて。僕もそろそろ、次の『管理者』を探しに行くかな)」
駆は鼻歌を歌いながら、義明とは逆の方向へ、雑踏の中へと消えていった。
(完)




