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BAR【second】~路地裏の交差点へ、ようこそ~  作者: 水縒あわし


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4:古龍と宝石の矜持



 その夜も、Bar "Second"は静寂に包まれていた。



 カウンターの奥、いつもの特等席に腰掛けたリンドは、高級そうな葡萄酒のグラスを掲げ、光にかざしながら不満げに息をつく。



「小僧。この店の酒はどれもこれも深みが足りぬ。千の時を経てなお輝きを失わぬものこそが至高だというのに、これではまるで若造の見る儚い夢のようじゃ」


「そりゃどうも。うちは百年の熟成古酒なんて扱ってないんでね」


 カイはいつもの文句をいつものように聞き流し、手元のグラスを磨き続ける。


永遠だの至高だの、この店のオーナーは時折、途方もなく大きな主語で物事を語る癖があった。



 その時だった。



 店の扉がこれまでとは違う、静かな音を立てて揺れ始めた。


騒々しさも、不吉な気配もない。


ただ、厳かな何かが訪れるような、澄んだ気配だけが店に満ちる。



 やがて、扉はゆっくりと内側へ開いた。



 闇の中から店の中へ、ゆらり、と浮遊しながら入ってきたのは、一つの宝石だった。



 赤子の頭ほどもある大きさ。


無数の面を持つよう精巧にカットされ、その内側からは自ら発光しているかのように、純粋で眩い光を放っている。



 そして、その宝石から直接、人の声が響いた。


それはまるで聖堂に響き渡る聖歌のように、尊大で、よく通る声だった。



「ほう、ここが俗世と幽世の狭間か。我はレグルス。かつては太陽帝の王冠にありて輝き、後には月光女王の胸元にありてまどろんだ。幾多の戦争と王朝の興亡を、ただ黙して見届けてきた『歴史の目撃者』である」


 レグルスと名乗った宝石は、カイやリンドの反応を待つでもなく、朗々と独演会を始めた。



 自らの内部に一点の曇りもないこと。



 光を最も美しく屈折させるために計算され尽くしたカットであること。


 自分を求めた権力者たちが、いかに愚かな争いを繰り広げたかということ。


 

 その自慢話は尽きることがなく、彼が放つ圧倒的な光で、薄暗いはずの店内が白く照らし出されていく。



「へえ、そりゃすごいな。で、何か飲むかい?」


 終わらない自慢話にうんざりし始めたカイが、話を遮るように尋ねる。


レグルスは侮蔑するかのように光を明滅させた。



「フン。俗な液体で、この至高の我が曇ってたまるか」


「ただの石ころが、よう喋るわ」


 それまで面白そうに眺めていたリンドが、くすりと笑う。


だが、レグルスの独白はさらに熱を帯びていく。



「この世に存在するいかなるものも、我が永遠の輝きと価値の前では無に等しい。草木が芽吹き枯れるのも、獣が生まれ死ぬのも、全ては移ろい消えゆく定め。儚く消える定めの命持つ者たちの美しさなど、児戯に等しいのだ」


 その言葉を聞いた瞬間、リンドの表情から笑みが消えた。


彼女の血のように赤い瞳が、冷たい光を宿し始める。



 レグルスは、そんなリンドの人間離れした美貌を一瞥すると、さらに言葉を続けた。



「ほう、貴様は少しは見られる容姿をしておるな。だが、それも僅か百年もすれば塵芥と帰す定め。我が永遠性に比べれば、瞬きにも満たぬ刹那の幻影よ」


 その一言が、引き金だった。



 リンドは音もなく立ち上がり、その赤い瞳で傲慢な石ころを射抜いた。



「黙れ、石ころ。貴様、真の輝きというものを何も分かっておらぬようじゃな」


 店内の空気が、ピンと張り詰める。



「真の美とは、ただそこにあって光るだけのものではない。見る者の五感を、魂を揺さぶるもの。そして何より、儚いからこそ焦がれる、刹那の輝きこそが至高なのじゃ」



 リンドはカイへと鋭い視線を向けた。


それは有無を言わさぬ、絶対者の命令。



「小僧! この石ころに、本物の『美』というものを見せてやれ。お主の持てる最高の仕事をするがよい」


「……人使いが荒いこった」



 カイはぼやきながらも、その目にはいつもの気だるさとは違う、職人の光が宿っていた。


リンドが本気で「美」を語る時、自分はそれに応える義務がある。


二人の間には、そんな暗黙の了解があった。



 彼は静かに集中力を高めると、カウンターの内側で舞うように動き始める。


冷えたシェイカーに、様々な色のリキュールが注がれていく。


かつて弱った妖精を元気づけるために使った、希少な夜光花の蜜。


歌うキノコから抽出した、かすかに光る胞子のエキス。


それらがカイの手によって、完璧な秩序のもとに調合されていく。


それはもはやバーテンダーの仕事ではなく、芸術家の創作風景だった。



 やがて、カイは一つのショートカクテルを、静かにカウンターの上へと滑らせた。



 グラスに満たされた液体は、レグルスのように強くは発光しない。


だが、その内側では淡い光がオーロラのように静かに揺らめき、見る角度によって色を変える。


グラスの縁には、カイが氷から削り出した、今にも溶けてしまいそうなほど繊細な花の飾りが添えられていた。


そして、グラスからは甘く、複雑で、どこか切ない芳醇な香りが、生き物のように立ち上っている。



「たかが飲み物ではないか」


 レグルスは嘲笑おうとし、しかし言葉を失った。


 それは、生命、技術、そして「今この瞬間」しかないという、あまりにも儚く凝縮された美しさだった。


自らの永遠だが、決して変わることのない光。


目の前にある、揺らめき、香り、やがては飲まれ消えていく輝き。


その本質的な違いを、レグルスは悟らざるを得なかった。



 リンドが、勝利を確信した声で言い放つ。



「どうじゃ、石ころ。貴様の輝きは、お主が語る過去の物語の中にしかない。じゃが、こやつの輝きは『今』この瞬間にある。味わわれ、失われるからこそ、その一瞬は至上の価値を持つ。貴様には永遠に理解できぬ価値じゃ」


 リンドの言葉は、レグルスの矜持を打ち砕いた。


ぐうの音も出ないとは、まさにこのことだった。



 あれほど眩かった宝石の光が、見る影もなく揺らぎ、弱々しくなる。彼は一言も発することなく、悔しそうに身を翻すと、静かに扉の向こうへと消えていった。



 店に、いつもの静寂が戻る。


 リンドは、カイがカウンターに残したカクテルを優雅に手に取ると、くい、と一口、喉へと流し込んだ。


そして、静かにグラスを置く。



「……まあ、及第点を与えてやらんでもない」


 その横顔は、しかしカイの目には、どこか満足気に映っていた。



 やれやれと肩をすくめ、カイはまた黙々と、次なる客のためのグラスを磨き始めるのだった。



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