29-2:物件巡りは命がけ
アステルの大通りから一本入った路地に、元冒険者のドワーフが経営する『鉄鎚不動産』がある。
そのカウンターで、店主のドワーフ――ゴルアンは、脂汗を拭いながら目の前の客たちを見上げていた。
「えー、つまり……条件を整理しますとな」
ゴルアンは震える手でメモを読み上げる。
「店舗兼住居。一階は飲食店として使える広さがあり、厨房設備が整っていること。二階は二人が住める居住スペースがあること。場所は、うるさい酔っ払いや衛兵が寄り付かない静かな場所であること」
「ああ、そうだ」
くたびれたバーテンダー服の男、カイが頷く。
ここまではいい。
少々注文が細かいが、こだわり強めの店主だと思えば納得できる。
問題は、その隣に座っている銀髪の美女だ。
彼女は腕を組み、不遜な態度で口を挟んだ。
「あと、風呂だ。余の鱗……肌が乾かぬよう、足が伸ばせる広い湯船が必要だ。それと日当たり。ジメジメした場所は好かん」
「は、はあ……広い風呂、と日当たり……」
ゴルアンは困り果てた。
静かな路地裏(=日当たりが悪いことが多い)と、広い風呂(=金持ち向けの屋敷にしかない)という条件は、決定的に矛盾している。
だが、この美女から発せられる「いい物件を出さねば丸焼きにする」という無言の圧力に、ゴルアンの元冒険者としての勘が警鐘を鳴らしていた。
「あ、あります! いくつか候補が! すぐにご案内しやす!」
◇
物件その1:『処刑場跡地の格安物件』
「ここは広いですよ! 元は貴族の屋敷でしたが、諸事情で格安になってます!」
案内されたのは、街外れの林の中にある古びた屋敷だった。
確かに広い。
庭も風呂もある。
だが、敷地に入った瞬間から空気が重く、どんよりとしている。
「……おい、ゴルアンさん。なんか窓ガラスが勝手にガタガタ鳴ってないか?」
「気のせいです、気のせい! 風通しがいいんです!」
カイが胡乱な目を向けていると、突然、屋敷の扉がバァン!と開き、半透明の白い影たちがワラワラと飛び出してきた。
浮遊する皿、飛び交う悲鳴。正真正銘のポルターガイスト現象だ。
「うらめしやぁぁ……出ていけぇぇ……ここは我らの場所だぁぁ……」
カイは眉間を押さえた。
「……帰ろう、リンド」
しかし、リンドは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、亡霊たちの前に進み出た。
「五月蝿い」
ドォォォン!!
リンドが軽く足を踏み鳴らすと同時に、不可視の衝撃波――『竜の威圧』が炸裂した。
物理的な破壊力はない。
だが、生物だけでなく死霊の本能にも訴えかける絶対的な捕食者の気配が、屋敷全体を飲み込む。
「ヒィッ!? ば、化け物ぉぉ!?」
「死んでるのに殺されるぅぅぅ!!」
亡霊たちは先ほど以上の悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように成仏(消滅)していった。
一瞬で静まり返った屋敷の前で、リンドはつまらなそうに吐き捨てる。
「フン、雑魚ばかりだ。……カイよ、ここは却下だ。こんな湿気た場所では酒が不味くなる」
「……まあ、幽霊が出なくなったとしても、俺もここは御免だな」
◇
物件その2:『大通りの一等地』
「気を取り直して! こちらはどうでしょう! アステル一番の大通りに面した優良物件です!」
次に案内されたのは、人通りが絶えない賑やかな目抜き通りだった。
建物は新しく、設備も最高。二階の住居部分も広々としている。
だが。
「いらっしゃい! 安いよ安いよ!」
「そこの兄ちゃん、遊んでいかない!?」
「ガハハハハ!!」
窓を閉めていても、外の喧騒がガンガン響いてくる。
カイは入室して三秒で首を横に振った。
「ダメだ。俺がやりたいのは『隠れ家』みたいな店なんだ。こんなお祭り騒ぎみたいな場所じゃ、客が落ち着いて飲めない」
「そうか? 余は、崇める人間が多くて悪くないと思うが」
「お前はいいだろうけどな……。俺が過労で死ぬから却下だ」
◇
物件その3:『運河沿いの、石造りの館』
二件立て続けに断られ、日はすでに西に傾き始めていた。
ゴルアンは冷や汗を流しながら、最後の一枚の羊皮紙を取り出した。
「えー……お客様。条件に合うのはこれで最後です。ただ、これは賃貸ではなく、**売家**になります」
「売家? おいおい、俺に家を買う金なんてあるわけないだろ」
カイが呆れて帰ろうとすると、ゴルアンが慌てて引き止めた。
「それが、破格なんです! 賃貸の初期費用と変わらない、いやもっと安いくらいで! 場所は繁華街の入り口近く、運河沿いの好立地なんですが……」
「……そんな条件で、なんで投げ売りされてるんだ?」
カイが怪しむと、ゴルアンは声を潜めた。
「ええ、まあ……前の住人のせいでして」
案内されたのは、アステルの繁華街へ続く大きな橋の袂。
賑やかな通りから一本裏に入った、運河沿いに建つ石造りの二階建てだった。
繁華街の喧騒は聞こえるが、川のせせらぎが心地よい。
立地としては、静けさと利便性を兼ね備えた最高の場所だ。
建物自体も、古いが重厚な石造りで、蔦が絡まる様子は隠れ家としての風格さえ漂わせている。
「……ほう」
リンドが初めて興味深そうな声を上げた。
中に入ると、一階はかつて工房だったらしく、天井が高く広々としている。
石造りの床は頑丈で、掃除すれば素晴らしい店舗になりそうだ。
地下には薬品保管用の低温室があり、ワインセラーとしては完璧な環境。
そして、カイたちが二階の居住スペースを通って裏庭に出た時、決定打が訪れた。
裏庭は運河に面しており、前の住人が水を引いて作ったらしい石造りの溜池があった。
今は綺麗な運河の水が循環し、夕日を反射してキラキラと輝いている。
「カイ、見ろ」
リンドが目を輝かせて池を指差した。
「ここを少し掘り下げて、湯を沸かせば……立派な露天風呂になるぞ。川を眺めながらの酒も悪くない」
「……確かに、物件としては最高だ。だが」
カイはドワーフのゴルアンに向き直り、腕を組んだ。
「ゴルアンさん。ここ、前の住人は何者だったんだ? どうして買い手がつかない?」
「あー……それが、偏屈な錬金術師でしてね。実験で変な煙を出したり、夜中に爆発音をさせたりで、近所から苦情の嵐だったんです。おまけに、彼が残していった実験器具や仕掛けがまだ残ってまして……普通の人は怖がって寄り付かないんですよ」
なるほど、とカイは納得した。
普通の人間なら嫌がるだろう。
だが、自分たちは「普通」ではない。ドラゴンと、元傭兵だ。
多少の仕掛けなど、どうとでもなる。
むしろ、そんな噂のおかげで人が寄り付かないなら、隠れ家としては好都合かもしれない。
「……家賃を払い続けるより、買ってしまった方が安上がりか」
カイは覚悟を決めた。
店兼自宅。
自分たちの城だ。
「いいだろう。ここを買う。契約書を作ってくれ」
「ほ、本当ですか!? あ、ありがとうございますぅぅ!! やっと売れたぁぁ!!」
ゴルアンが感涙にむせぶ中、カイとリンドは夕暮れの運河を見つめた。
繁華街の明かりが川面に揺れている。
ボロボロだが趣のある石造りの館。ここが、二人の新たな拠点となる場所だった。
「……で、さっき言ってた『残された仕掛け』ってのは何だ?」
「あ、いえ! たまに床が動いたり、壺から何か飛び出したりするくらいでして! お二人なら大丈夫ですよ!」
ゴルアンの言葉を、カイはあまり深く考えずに聞き流してしまった。
それが翌日、大変な引越し騒動を引き起こすことになるとも知らずに。




