19:ギルドマスターの見合いと、迷惑な代理人
その日のBAR【second】に、嵐のように駆け込んできた男がいた。
ギルドマスター、ゼノン。
その顔は青白く、いつにも増して深く刻まれた眉間のシワは、彼の胃が限界に近いことを雄弁に物語っていた。
「カイ……! 頼む、助けてくれ……!」
カウンターに突っ伏し、絞り出すような声で彼は告白した。
ギルドの有力な支援者である大貴族から、その令嬢との見合いを、半ば強制的にセッティングされたのだという。
「断れば、今後の資金援助に響くのは確実だ……。しかし、俺のような無骨な男が、雲の上の貴族の令嬢と見合いなど……! 考えただけで、胃に穴が開きそうだ……!」
その悲痛な叫びを聞いていたリンドの碧眼が、面白い玩具を見つけた子供のように、きらりと輝いた。
「ほう、見合いか。面白そうではないか。小僧、お主が行ってこい」
「冗談じゃない。なんで俺が」
「店のオーナー命令じゃ」
ゼノンに泣きつかれ、リンドからは有無を言わさぬ圧をかけられ、カイは深いため息をついた。
「……分かったよ。ただし、迷惑料は取らない代わりに、ギルドの連中に『BAR【second】はいいぞ』って宣伝しとけ。宴会の予約の一つや二つ、取ってきてもらわねえと割に合わねえからな」
数日後、見合いの場所に指定された、アステルで最も格式高いホテルのラウンジ。
磨き上げられた大理石の床、天井からは豪奢なシャンデリアが下がり、客は皆、仕立ての良い服に身を包んだ貴族や富裕層ばかりだ。
その、息が詰まるような空間に、カイはいつものバーテンダーの服装のまま、堂々と現れた。
案内された席には、完璧な微笑みを浮かべた令嬢イザベラと、その背後に控える年配の執事がすでに着席していた。
彼女は、まるで精巧に作られた人形のように、寸分の隙もなく美しかった。
だが、その瞳の奥には、退屈と諦めの色が深く沈んでいる。
カイの姿を認めた執事の眉が、侮蔑の色を隠さずにぴくりと動いた。
「貴公が、ギルドマスター殿の代理人ですかな。……随分と、場をわきまえない服装ですな」
「ああ、悪いな。急な話だったもんで、一張羅がこれしかねえんだ」
悪びれもせずに席に着くカイに、執事はますます表情を険しくする。
しかし、イザベラは完璧な笑みを崩さずに、会話を始めた。
「本日は、お日柄もよく、このような機会をいただけましたこと、光栄に存じます。ギルドマスター殿は、日頃よりアステルの治安維持にご尽力されているとか。まこと、素晴らしいご活躍ですわね」
これまで幾度となく繰り返してきたのであろう、滑らかで、感情のこもらない、紋切り型の賞賛。
カイは、運ばれてきた紅茶に口もつけず、そのつまらない芝居が終わるのを待っていた。
そして、イザベラが次の定型句を口にしようとした、その時だった。
「まあ、そんなつまらねえ話はいいだろ」
カイは、彼女の言葉を遮ると、単刀直入に切り込んだ。
「あんた、本当にこの見合いがしたいのか?」
ラウンジの静寂を、カイの言葉が切り裂く。
イザベラの完璧な笑顔が、初めてぴしりと凍りついた。
背後の執事が「無礼であろう!」と声を荒らげるが、カイは構わず続ける。
「俺の雇い主は、あんたみたいな高貴な方とは釣り合わねえって、胃に穴が開くほど悩んでたぜ。あんたも、家のための道具になるのは、もううんざりなんじゃねえのか?顔に書いてあるぜ?」
その言葉は、刃のように鋭く、彼女が純白のドレスの下にひた隠しにしてきた本心を、容赦なく貫いた。
カイは、懐から小さなボトルを取り出す。
それは、BAR【second】で出している特製の薬草酒だった。
「これは、胃痛によく効く酒だ。今のあんたに必要なのは、見合い相手より、こっちの方だろ」
そう言って、テーブルのグラスに少しだけ注いで差し出す。
イザベラは、その型破りな行動と、自分の心を見透かすような言葉に、一瞬、呆気に取られた。
しかし、次の瞬間、彼女の唇から、こらえきれない笑い声が漏れた。
最初は小さな、くすくすという忍び笑いだったが、それはやがて、堰を切ったように晴れやかな、心からの笑い声へと変わっていった。
結局、見合いは「今回はご縁がなかったということで」穏便に破談となった。
店に戻ったカイは、ゼノンから涙ながらの感謝を受ける。
「迷惑料はいいって言っただろ。それより、約束通り、ギルドの連中にうちの店を宣伝しとけよ」
「おお、もちろんだとも! 感謝する、カイ!」
リンドは「つまらん結果じゃったが、まあ退屈しのぎにはなったわ」と満足げに笑っている。
数日後。
ゼノンの宣伝効果は絶大だった。
BAR【second】は、ギルドの冒険者たちの宴会で、珍しく満員御礼となっていた。
その喧騒の中、店の扉が静かに開き、お忍びの服装をしたイザベラが、一人で入ってきた。
彼女はカウンターに座ると、悪戯っぽく微笑みかける。
「胃に優しいお酒、いただけますかしら?」
カイは深いため息をつきながらも、その口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
また一人、厄介で面白い常連客が増えた瞬間だった。
お見合いってしたことないですが
きっと、これはかなりやばいと思う次第です……




