17:呪いの鎧と、おしゃべりな相棒たち
その夜のBAR【second】は、雨音だけが静かに響いていた。
その静寂を破ったのは、ガシャン、ガシャン、という重く、規則正しい金属音だった。
店の扉がゆっくりと開き、そこに立っていたのは、一領の黒い全身鎧。
磨き上げられた鋼鉄は、店内のランプの光を鈍く反射している。
「失礼する。主を探しているのだが、少し話を聞いてはくれまいか」
「人探しは衛兵か冒険者に頼んでくれ」
カイのそっけない返事にも、鎧は動かない。
ただ、静かにそこに佇んでいるだけだ。
カウンターの奥で退屈そうにしていたリンドが、ふと顔を上げ、面白そうに目を細めた。
一方、カイはその物々しい出で立ちと沈黙に、やれやれと肩をすくめる。
「カウンターは狭いぞ。脱ぐなら、そこのソファにでも置いとけ」
その言葉に、鎧はぴくりと身体を震わせた。
脱ぐでもなく、進むでもなく、ただ戸口で躊躇している。
「……まあ、今は客もいねえし、そのままでもいいか。とりあえず、こっち座れよ」
カイがそう言うと、鎧はぎこちない動きでカウンター席についた。
そして、カシュン、と小気味よい音を立てて自らの兜を外す。
兜の下にあったのは、人の顔ではなかった。
ただ、深淵のような闇が広がっているだけだ。
「失礼した。私はアーガイル。見ての通り、この鎧そのものが私なのだ」
礼儀正しいが、どこか寂しさをたたえた声が、空っぽの鎧の中から響いた。
「かつて英雄の身を守りし、意思持つ魔法の鎧。だが、主亡き今、ただここに在るだけの存在……いわば『呪い』のようなものだ。誰かに着られ、その者を守ることこそが、我が存在意義なのだ」
その切実な訴えを聞いていると、今度は勢いよく店の扉が開いた。
ずぶ濡れになった若手冒険者、レオだ。
その腰の鞘からは、やかましい声が響いている。
「聞いたか、カイ殿! 我が主レオの、グラップルベアに対する華麗なる勝利を! 我の一閃にかかれば、森の主とて赤子同然よ!」
レオは、店に先客――鋼鉄の――がいることに気づくと、ぺこりと頭を下げた。
アーガイルは、レオが入ってきた瞬間から、その言葉をぴたりと止め、まるでただの置物のように静かに佇んでいる。
「聖剣様がうるさいのはいつものことなんですけどね……」
レオは疲れ切った顔でカウンターに座り、カイに愚痴をこぼし始めた。
「この間のグラップルベア戦、あいつの一撃が重くて……今の鎧じゃ、正直、肝が冷えましたよ」
その言葉を待っていたかのように、それまで沈黙を保っていた黒い鎧が、再び口を開いた。
「なんと! それは聞き捨てならんな、若き戦士よ!」
アーガイルはレオの方へ向き直ると、その空洞の奥をカッと光らせた。
「我が名はアーガイル! 防御力は完璧! 自己修復機能も搭載! さらに、着用者の健康管理機能まで完備しておる! 貴公のような、有望な若者の御身を守るためにこそ、私は存在するのだ!」
突然喋りだした鎧に、レオは椅子から転げ落ちそうになりながら、助けを求めるようにカイを見た。
「か、カイさん……こ、この方は一体……?」
レオの問いに答えたのは、鎧自身だった。
「私は、意思持つ魔法の鎧。……いわゆる、『呪いの鎧』というやつだ」
その言葉に、レオは今度こそ椅子から転げ落ちた。
腰の鞘からは、エクスカリバーが対抗心を燃やす声が響く。
「ほう、そこの鉄屑、ただ者ではないな! 我が主の御身を守るに、足るか、この聖剣エクスカリバーが試させてもらおう!」
「おお、その声は伝説の聖剣殿ですな! 共に、この若き英雄を完璧なる存在へと導こうではないか!」
「なんと! 話が分かるではないか、呪いの鎧よ! 我らの力を合わせれば、我が主は歴史に名を遺す大英雄となるに違いない!」
二つの伝説級武具は、レオを最高の英雄に育て上げるという共通の目的を見出し、急速に意気投合してしまった。
完全に置いてきぼりにされたレオは、顔面蒼白になる。
「い、いえ、結構です! 一振りで、もう手一杯なので! それに、呪いの鎧なんですよね!? 一度着たら、脱げなくなったりしたら困ります!」
全力で拒否するレオを見て、カイはやれやれという顔で言った。
「まあ、知り合いの腕のいい防具屋を紹介しようとは思ってたが……一度、試しに着てみるのも悪くねえんじゃねえか?」
「ですが……!」
なおも食い下がるレオに、リンドがくつくつと喉を鳴らして笑った。
「案ずるな、小僧。もし脱げなくなったら、この儂が鎧ごと塵にしてやろう。跡形もなくな」
いたずらっぽく笑うリンドの言葉は、レオにとって全く安心材料にならなかった。
逃げ場を失った彼に、エクスカリバーが追い打ちをかける。
「何をためらう、我が主よ! グラップルベアの討伐報酬も、村の復興のためにと全て寄付してしまったではないか! 新たな防具を新調する金など、どこにもなかろう!」
「ならば、私がうってつけだ!」
聖剣と呪いの鎧からの強烈な圧に耐えきれず、レオはついに観念した。
「……わ、分かりました……着ます……着ますから……」
恐る恐る鎧を装着すると、まるで彼の身体のために作られたかのように、寸分の狂いもなくフィットする。
「素晴らしい!」「完璧だ!」と、聖剣と鎧の声が、気持ち悪いくらいにユニゾンで響いた。
しかし、その瞬間から、レオの新たな受難が始まった。
「主よ、少し猫背ですぞ! 背筋を伸ばして!」
「そうだ、英雄たる者、常に胸を張らねば!」
「まずは深呼吸から! 腹式呼吸ですぞ!」
「うむ、戦いの基本は呼吸からだからな!」
彼の意思を完全に無視して、二つの伝説級武具による、愛と情熱のスパルタ指導が開始される。
助けを求めるようにカイに視線を送るレオ。
カイは、やれやれと肩をすくめると、安心させるように言った。
「まあ、なんだ。そんなに不安がるな。今度、お前みたいな、やかましい道具の扱いに慣れてる知り合い、紹介してやるからよ」
「以前より、かえって疲れるかもしれません……」
青い顔で呟きながら、レオは新たな(そして、あまりにもやかましい)相棒たちと共に、雨の夜へと帰っていく。
BAR【second】には、カイの深いため息と、リンドの楽しそうな笑い声だけが残された。




