16:帰還の祝杯と、畑からの便り
王都から帰還し、溜まった雑務と新たな酒の仕入れに追われること数週間。
ようやく店の準備が整い、カイは久しぶりに『営業中』の札を店の扉に掛けた。
開店と同時に、まるでその瞬間を待ちわびていたかのように、ギルドマスターのゼノンが駆け込んできた。
「やっと開けやがったか、カイ! お前の薬草酒がねえせいで、俺の胃はもう限界だったんだぞ!」
心底安堵した表情で、彼はいつものカウンター席にどかりと腰を下ろす。
続いて、お忍び姿のアランも顔を出した。
「カイさん、お帰りなさい。先日の式典の件、後から聞きました。裏で大変だったそうですね。本当に、ありがとうございました」
「ああ、別に大したことじゃねえよ」
カイが素っ気なく答える横で、ゼノンは「アラン殿、ちょうどよかった。少し相談したいことがあってな……」と、早速新たな悩みの種を持ち込もうとしていた。
そこへ、「ただいまー!」という元気な声と、「……どうも」という小さな会釈が、同時に店に響く。
ミーナとノインだ。二人の首には、もう『反省中』の札はない。
休業と共に罰則期間を終わりにし二人は、カイの口利きで、今はゼノンの元でギルド職員として働いていた。
「この間行った港町、魚介の串焼きが絶品でさ! 今度お土産持ってくるよ!」
ギルドの公式な運び屋として各地を飛び回っているミーナは、すっかり役得の食べ歩きを楽しんでいるようだ。
一方、情報収集能力を買われたノインは、カイにだけ聞こえるような小声で、こっそりと活動報告をする。
「……スイーツハンターとして、アステル近郊の甘味処の格付けを行っている。王都の最高級パフェより、貴方の試作品の方が、まだ可能性がある」
その上から目線の評価に、カイは苦笑いを返すしかない。
店がいつもの常連客で賑わい始めた、その時だった。
店の扉が荘厳な音を立てて開かれ、すっかり様になった農夫姿のマグナスが、大きな麻袋を抱えて現れた。
「カイ殿! 世話になった礼だ。我が農園の初物を、まずはお主たちにと思ってな!」
彼が袋から取り出したのは、瑞々しい艶を放つ、赤紫色の小ぶりの野菜だった。
「我が農園の記念すべき初収穫、『ラデイル』だ。驚異的な速度で成長し、滋養も満点。そして、少し辛味があるが生で食べられるのが特徴だ」
「伝言は、例のおっさんに伝えておいたぞ」
カイが王都での出来事を簡潔に伝えると、マグナスは満足げに頷いた。
そして、彼はカウンターに座るゼノンに向き直り、深々と頭を下げる。
「ゼノン殿にも、世話になった。土地を探す際には、多大なる尽力を感謝する。これは、胃に優しいという薬草だ。受け取ってくれ」
「おお、マグナス殿! これはありがたい!」
カイが試食として薄切りにしたラデイルを常連客に振る舞うと、そのシャキシャキとした食感と、ピリッとした心地よい辛味が、酒の肴にぴったりだと皆に大好評だった。
自分の作ったものが人に喜ばれるという初めての経験に、元・魔王は満更でもない表情を浮かべている。
勇者とギルドマスター、運び屋と情報屋、そして元・魔王。
本来なら決して交わることのない者たちが、一つのカウンターで笑い合い、酒を酌み交わしている。
リンドは、その光景をカウンターの奥で静かに、そして満足げに眺めていた。
「王都のきらびやかな酒場も悪くはなかったが……やはり、この雑多な感じが一番心地よいわ」
その呟きを聞いたカイは、黙ってリンドのグラスに琥珀色の酒を注ぐ。
そして、賑わう店内を見渡し、自分のグラスをそっと掲げた。
「ま、なんだ。お前ら、ただいま」
それぞれのグラスが軽く合わされる音。
アステルの路地裏に、いつもの夜が戻ってきた瞬間だった。
ほぼ、二十日大根とラディッシュの間の子みたいなもんです




