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15-3:古龍の酒肴巡りと、バーテンダーの矜持



「待て、小僧。まだ王都の酒場を回りきっておらんぞ」


 呆然とする役人を残し、さっさとアステルへ帰ろうとするカイの腕を、リンドがむんずと掴んだ。


その瞳は、これから始まる宴を前に、爛々と輝いている。



「これも『報酬』の一部じゃ。お主も、存分に味わうがよい」


 抵抗を試みるも、酒を目の前にした古龍の膂力に敵うはずもなく、カイの「王都酒場巡り」が強制的にスタートした。



 一軒目は、リンドがグルメマップで見つけていた、王侯貴族御用達の最高級サロン。


金糸で刺繍された絨毯、光を乱反射させる水晶のグラス。


バーテンダーが恭しく注ぐ一杯は、庶民の月収が優に吹き飛ぶような年代物のワインだった。



「うむ、悪くない。数百年物のエルフの秘酒か。これに合わせるのが、ドライアドが育てたという月光茸のソテーとは、なかなかどうして、分かっておるではないか」


 希少な酒と、それに完璧に寄り添う肴に、リンドは上機嫌だ。


カイも、その見事なペアリングには内心感心していたが、メニューの隅に書かれた数字を見て、眉間に深いシワが寄る。



(この組み合わせ、うちの店で出したら一体いくらになるんだ……いや、そもそも材料が手に入らねえ)



 難しい顔で考え込むカイの様子を見て、リンドが楽しそうに笑った。



「難しく考えすぎじゃ、小僧。今はただ、この瞬間を楽しむが良い」


 その言葉に、カイはため息をつきながら、目の前のグラスを呷った。



 二軒目は、カイが「どうせなら、もっとマシな場所に行くぞ」と、リンドを引っ張っていった店だった。


かつて、伝説と謳われた冒険者たちが通ったという、歴史ある大衆酒場。


店内は、人々の陽気な喧騒と、エールと料理の匂いで満ち満ちていた。



 リンドは最初こそ「騒がしい」と眉をひそめていたが、その人間離れした美貌は、どこへ行っても人の目を惹く。


あっという間に屈強な冒険者たちに囲まれ、意気揚々と酒の輪の中心に収まっていた。



「ほう、お主、なかなか見どころのある筋肉をしておるな! よし、この一杯は儂が奢ってやろう!」


「姐さん、美しい! 俺の故郷の酒も飲んでくれ!」


 奢りの酒を次々と呷り、上機嫌で嬌声を上げるリンド。


カイは、彼女が羽目を外し過ぎないか、やれやれと見守りながら、カウンターの隅で静かにエールを飲んでいた。


この雑多で、生命力に満ちた喧騒は、かつての自分を思い起こさせ、悪くない。



 そんなカイの耳に、隣の席の男たちの会話が飛び込んできた。


「しかし、式典の襲撃、すごかったらしいな」


「ああ、表向きは何事もなかったことになってるが、裏じゃとんでもないことになってたって噂だ」


「なんでも、裏で鎮圧した凄腕の警備員がいたとかでな。衛兵の奴らがこっそり話してたんだが、魔術師の連中は、とんでもない化け物を見て腰を抜かしたって話だぜ」


 自分たちのやったことが、尾ひれどころか、もはや原型を留めないほどに脚色されて噂になっている。


カイは、込み上げてくる笑いを、エールと共にぐっと喉の奥に流し込んだ。



 その後も、二人の酒場巡りは続いた。


グルメマップを頼りに、路地裏の隠れ家のような店から、裏通りにひっそりと佇む小さなバーまで、三軒、四軒とハシゴしていく。


 すっかり酔いが回り、リンドはカイの腕に寄りかかるようにして、おぼつかない足取りでマップを眺めている。



「よし、これで目星をつけていた店は、全て回り終えたな」


「……そうか。じゃあ、ようやく帰れるな」


「何を言うか! これからが本番じゃろうが! まだ行くぞ!」


 カイの懇願も虚しく、リンドは再び夜の街へと歩き出す。



 あてもなく、良い店がないかと王都の石畳を彷徨っていると、ふと、路地に隠れるようにして、小さな灯りがついているのが見えた。



 二人は、どちらからともなく足を止め、無言で見つめ合う。


そして、同時にこくりと頷いた。



 店の前に着くと、そこには看板さえ出ていなかった。


古びた木の扉に、小さな『営業中』の掛け札があるだけ。


中から聞こえるのは、静かなグラスの音だけだ。



 扉を開けると、年老いた店主が一人で切り盛りする、小さな蒸留所兼酒場だった。



 店内には客はおらず、静かで、しかし凛とした空気が流れている。


メニューは、店主が自家蒸留したというエールとウィスキーが数種類だけ。



 カイとリンドは、黙って差し出された一杯を、それぞれの口に運んだ。



 それは、王都のどんな高級酒とも、どんな大衆酒とも違う味だった。


無骨で、飾り気はない。


だが、作り手の哲学と、積み重ねてきた時間が、琥珀色の液体の中に凝縮されたような、深く、そして力強い味わいが、舌の上でゆっくりとほどけていく。


二人は言葉を交わすことなく、ただ静かに、その一杯を味わうのだった。



 翌日、ようやくアステルへの帰路につく馬車の中、カイは王都での騒動と様々な酒の味を思い返していた。


そして、結局は店の、あのカウンターこそが、一番自分らしい場所なのだと再認識していた。



 隣では、旅の終わりに少し疲れたのか、リンドがカイの肩に頭を預けて静かな寝息を立てている。



(……黙ってりゃ、文句なしの美人なんだがな)



 カイが苦笑いを浮かべると、それに気づいたかのように、リンドが寝ぼけてくん、と頭を擦り付けてきた。



 その銀色の髪を、カイは優しく撫でる。


その穏やかな寝顔を見ながら、彼はどこか楽しそうに、そして少しだけ嬉しそうに、独りごちた。



「さて、帰ったら溜まった厄介事の続きか」



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