15-2: 祭りの裏方と、招かれざる客
式典当日。
二人が配置されたのは、式典会場である中央広場を見下ろす貴賓館――式典後の会食が予定されている屋敷の、裏庭に面した搬入口だった。
屋敷を隔てた向こう側の華やかな世界の音声だけが、二人のいる静かな庭に響いてくる。
「どうだったんだ、王都の飯と酒は」
手入れの行き届いた植え込みに寄りかかりながら、カイが尋ねる。
「ふむ。なかなかどうして、珍しい酒もあって楽しめたぞ。じゃが、飯はまずまずじゃな。……それに、どうにも飲み慣れん」
リンドは、どこか遠い目をして答えた。
「おぬしの作る酒のほうが、どうにも落ち着く」
その時、遠くの広場から荘厳なファンファーレが鳴り響き、式典の開始を告げた。
高位の神官による祝詞、人間と魔族、それぞれの代表による和平への賛辞。
その厳かな声が、風に乗ってここまで届いてくる。
「さっさと終わらせて、アステルの店に帰るぞ」
「そう急かすな。これから面白い見世物が始まるやもしれんぞ」
リンドが退屈そうに呟いた、まさにその時だった。
人間と魔族の代表が、壇上で和平の誓いを交わす――その声が聞こえてきた瞬間を狙い、二つの影が動いた。
異なる入口から、二つのグループが同時に侵入を開始する。
カイが対峙したのは、人間至上主義を掲げる元騎士団の過激派。
統率の取れた動きで、警備の死角を正確に突いてくる。
だが、カイには彼らの動きが読めていた。
先頭の男が踏み込もうとした磨かれた石畳には、なぜか清掃用の水が撒かれており、男は派手に足を滑らせて仲間を巻き込み将棋倒しになる。
体勢を立て直そうとする後続の男たちの視界の端で、カイが足元に転がっていた小石を軽く蹴り飛ばした。
石は寸分の狂いもなく、会食のために積み上げられていたワインの木箱の土台に当たり、見事な音を立てて荷崩れを起こす。
避けようとした男たちの頭上に、木箱の雨が降り注いだ。
その混乱を唯一回避した男の目の前に、いつの間にかカイが待ち構えていた。
男が驚愕に目を見開く暇さえ与えず、鳩尾に正確な一撃を叩き込み、その意識を刈り取る。
カイは余裕を持って、まるでチェスの駒を並べるように、無力化した侵入者たちを順番に捕らえていった。
一方、リンドの前に現れたのは、復讐心に燃える魔族の魔術師たちだった。
彼らはリンドを視認するや、その人間離れした佇まいから即座に敵と断定し、臨戦態勢に入る。
一人が詠唱を終え、灼熱の火球をリンドに向かって放つ。
しかし、リンドは迫りくる炎の塊を、まるで熟れすぎた果実でも摘むかのように、素手で握り潰した。
「……無粋じゃな」
その、あまりにも絶対的な力の差に先頭を走る魔術師たちが怯る。
その隙に、他の者たちが四方から同時に魔法を放った。
氷の槍、雷の矢、闇の刃が、リンドに殺到する。
だが、無数の魔法が彼女に届く寸前、まるで幻であったかのように掻き消えた。
リンドは一歩も動いていない。
ただ、ゆったりとした長いドレスの裾から、鱗に覆われた黒い尻尾の先端が覗き、それを指で優雅に撫でているだけだった。
「児戯にも等しいわ」
その一言と同時に、彼女を囲んでいた魔術師たちは、糸が切れた人形のように、ほぼ同時にその場に崩れ落ちた。
リンドはやはり、その場から一歩も動いていない――ように見えたが、その足元には、先ほどまでなかった黒く焦げた線が幾筋も増えていた。
やがて、全ての襲撃者が衛兵と共に捕らえられ、一箇所にまとめられる。
リーダー格の男が、カイに向かって最後の力を振り絞るように叫んだ。
「貴様、何者だ…! だが、これで終わりではない! 『あの方』が目指す、真の秩序のため…!」
男が言い終える前に、カイは鞘に入ったままの剣で、その顔面を容赦なく殴り飛ばした。
「うるせえ。真面目に働け!」
壁の向こう側では、何も知らない聴衆たちの万雷の拍手が鳴り響き、和平の成立を祝福していた。
誓いの言葉は滞りなく交わされ、式典はその後、祝賀の音楽と共に、華やかな雰囲気の中で閉幕を迎えた。
式典後、カイたちの元に店に来た使いである役人が訪れ、山のような金貨と伝言を届けた。
「大臣からです。『少々被害が出たのと、ちと目立ちすぎた感はあるが、許容範囲だ。今回の働き、感謝する』とのことです」
「……出来ることをやっただけだ。それと、あんたの上司に伝言だ」
カイは金貨の袋を無造作に肩に担ぎ、役人に向かって言った。
「おっさんに伝えてくれ。『農家のマグナスが、いつでも相談に乗るそうだ』……だってさ。じゃあな」
呆然とする役人を残し、二人は王都を後にする……はずだった。
「待て、小僧。まだ王都の酒場を回りきっておらんぞ」
リンドの一声で、二人のアステルへの帰還は数日延びることになった。
彼女が行きたがっていた高級店から、路地裏の怪しげな酒場まで、カイは不本意ながらも王都の夜に付き合わされる羽目になったのだった。
数日後、ようやくアステルの路地裏、BAR【second】に帰還した二人。
カイは、旅の荷を解くのもそこそこに、慣れた手つきでシェイカーを振り、一杯のカクテルをリンドの前に差し出した。
リンドは、その琥珀色の液体を一口、静かに口に含む。
そして、いつもの尊大な雰囲気は鳴りを潜め、穏やかな、そしてどこか優しい笑みをたたえて、ぽつりと呟いた。
「……うむ。やはり、これが一番口に合うわ」




