12:おしゃべりな聖剣と、沈黙のバーテンダー
その日のBAR【second】は、一人の珍しい客を迎えていた。
まだあどけなさの残る、気弱そうな顔立ちの青年。
まだ、使い込みの浅い革鎧を身に着けたその姿は、この街では珍しくもない、駆け出しの冒険者といったところだろう。
ただ一つ、彼が普通と違っていたのは――その腰に帯びた一振りの剣だった。
「だから! 我が主たるお主が、なぜこんな薄暗い酒場に足を運ぶのだ! 我が輝きにふさわしいのは、王侯貴族が集うきらびやかな夜会であろうに!」
「む、あのカウンターの奥の女……ただ者ではないな! 我が聖なる波動がそう告げておるぞ!」
青年が腰に差した、豪奢な装飾の鞘。
その奥から、くぐもってはいるが、やけに尊大な男の声が響き渡っている。
青年――レオは、真っ赤な顔で必死にその鞘の柄を両手で押さえつけていた。
「しーっ! お願いだから静かにしてよ、エクス!」
「何を言うか、レオ! 我は聖剣エクスカリバー! 闇を祓い、悪を断つ勝利の象徴! その存在を誇示せずして何とする!」
そのあまりに滑稽なやり取りに、カウンターの奥で本を読んでいたリンドが、面白そうに片眉を上げた。
レオは店主であるカイの前にぺこぺこと頭を下げると、おどおどしながらカウンター席についた。
そして、小さな声で悩みを打ち明け始める。
彼の相棒であるその聖剣は、古代の英雄が魔王を討った際に使われたという、正真正銘、伝説の武具。
しかし、その輝かしい経歴とは裏腹に、その人格(剣格?)は、自意識過剰で自慢話が大好きなおしゃべりだった。
「ダンジョンの暗闇で、隠れてモンスターをやり過ごそうとすると、『我が光は闇を滅ぼす!』とか言って、勝手にピカピカ光りだすんです……」
「モンスターの背後を取ろうと息を殺していると、『今だ、小僧! 我が必殺の一撃をくれてやれ!』って、大声で叫ぶし……」
「この間なんて、ゴブリンの集落に奇襲をかける直前に、『聞け、下劣なる魔物ども! 汝らの命運は今、この聖剣エクスカリバーが手にある!』なんて名乗りを上げちゃって……」
もはや冒険どころではない。
伝説の武器にあるまじきその振る舞いに、レオは本気で頭を悩ませていた。
「面白いではないか」
話を聞き終えたリンドが、楽しそうに喉を鳴らす。
彼女はレオに顎をしゃくり、鞘から剣を抜くよう促した。
レオがためらいがちに剣を抜くと、まばゆい光と共に、刀身そのものから直接、声が響き渡った。
『ほう、そこの女! 我が真の姿を見て、言葉を失ったか! よい、ひれ伏すがよい!』
「やかましいわ、ただの鉄塊が」
リンドは鼻で笑った。
「儂が本気を出せば、お主など一息で錆にしてくれるぞ」
『な、なんだと! この我を鉄塊呼ばわりとは! 無礼であろう、古龍!』
「黙れ。数千年を生きた儂からすれば、お主など、昨日鍛冶場から出てきたばかりの赤子同然じゃ」
伝説級の存在による、あまりにも低レベルな口喧嘩が始まった。
カイは、その幼稚な言い争いを完全に無視して、黙々とシェイカーを振っていた。
やがて、琥珀色に輝くカクテルが出来上がると、彼はその中から少量だけを小さなソーサーに注ぎ、レオの前にすっと差し出した。
「ほらよ。飲ませてやれ」
「えっ、剣に……ですか?」
戸惑うレオに、カイは心底面倒くさそうに告げる。
「うるさい奴は、酔わせて眠らせるのが一番だろ」
その言葉に、レオは半信半疑のまま、ソーサーを手に取った。
彼はリンドと口論を続けるエクスカリバーの柄頭を、そっと琥珀色の液体に浸す。
『む? これは……なんと芳醇な香り……! おお、我が魂に染み渡る……!』
エクスカリバーは、まるで極上の蜜を吸うかのように、ソーサーの酒を吸収し始めた。
そして、それからしばらくすると。
『ウィッ……我が名は……勝利の……けん……。古龍……もう一杯……』
呂律の回らない声を最後に、エクスカリバーの声はぷっつりと途絶えた。
あれほどまばゆく輝いていた刀身の光も、今は穏やかな眠りを示すかのように、すーっと消えている。
店内に、奇跡のような静寂が訪れた。
「あ……静かだ……」
レオは感動に打ち震え、カイに向かって何度も何度も頭を下げた。
カイは、会計伝票に「聖剣様用カクテル代」とちゃっかり書き加えながら、静かにつぶやいた。
「専門家に頼め。魔法とかじゃなくて、こういうのは酒場の仕事だ」
数日後の夜。
カイが店のカウンターを磨いていると、勢いよく店の扉が蹴破るように開かれた。
血相を変えたレオが、息を切らして駆け込んでくる。
「て、店長! た、大変なんです!」
その背後、腰に差した鞘からは、聞き覚えのある尊大な声が、以前にも増して高らかに響き渡っていた。
『聞いたか、ゴブリンども! 我が主は、あの古龍リンドヴルムと酒を酌み交わした男であるぞ! 頭が高い! ひかえおろーっ!』
「酔いが覚めたら、前よりひどい酒乱自慢に……! どうしたらいいんですかーっ!」
静かなバーに、若き冒険者の悲鳴が木霊する。
カイは深いため息をつくと、黙って一番度数の高い酒瓶に手を伸ばすのだった。




