うるわしの教祖さま
いわゆる『宗教二世』だった。俺の父は若くして病で世を去った。そのショックから母は『死者を生き返らせる』教祖のおわす新興宗教に入信した。
『信仰さえ篤ければ、死者を生き返らせてもらえる』お決まりのうたい文句につられ、母は宗教に入れ込んだ。
『宗教上の理由』で俺は週に二日しか風呂に入らせてもらえず、学校で「くさい、汚い」といじめられた。風邪が悪化して肺炎になった時もなかなか医者に診せてもらえず、命を落とすところだった。
家計はいつも火の車だった。母が有り金をほとんど教団に貢いでいたから。奨学金でなんとか大学に入学し、出逢って初めてキスした彼女は「信徒の息子をたぶらかした」と母に死ぬ目に遭わせられ、ほうほうの体で逃げていった。
そうして母は死病にかかり、『宗教上の理由』で手術も受けず、薬も飲まず、枯れ木のような体になって死んでいった。最期まで父の蘇生を望んでいた。信じ切っていた。――そうして当然、父は蘇らなかった。
だから俺は刑事になった。新興宗教の摘発が出来る刑事に――そうして今、俺の忌まわしい過去を清算する時だ。銃を構えた目の前に今、例の新興宗教のアジトの扉がそびえている。
まったくもって気違いざただ。奴らは『教祖さまのご神託』として街中に猛毒をまき散らして回ったのだ。おかげで善良な市民数百人が犠牲になった。
教祖は翼持つ存在らしいが、おそらく異世界から迷い込んだ人外だろう。愚かな人間どもを異様な容姿でたぶらかし、今この瞬間も赤い絹張りの玉座の上で、最上級の貴腐ワインでもたしなんでいるのだろう。
俺は聴いたこともないが、『教祖さま』は天使のような声で歌うらしい。馬鹿らしい! 奴を捕縛したら一番にその舌を抜いてやる!!
そして扉はぶち破られ、俺たち刑事はどおっと中へなだれ込む。俺は一番に乗り込み信徒どもを殴り飛ばし蹴り飛ばし、奥の奥へと駆けてゆく。奥の奥へ、その奥へ、『うるわしの教祖さま』の顔面を形の崩れるほど銃の底で殴りつけに――、
――そうして『教祖さま』はそこにいた。何の呪いをかけられたのか、太い蜘蛛の糸でその翼をがんじがらめに、枯れ木みたいにやせ細って、死んだように瞳を閉じて……違う。予想と全く違う。彼女は人間を食い物にしていたんじゃない。『信徒たち』の上層部にいいようにまつり上げられ、監禁されて身動きも出来ず、きっと何年、何十年……!!
翼持つ少女の姿の生き物は、がんじがらめの虹色の翼をわずかに動かし、ゆっくりとゆっくりと目を開いた。オパールのような美しい虹色の瞳はもろもろと霞がかかっていた。救けを求めるように、桃色の口を薄く開いて……ああ、その口! 救けを呼べぬようにするためか、舌が、舌が切られている!!
「……はは……何だよ……こんなん、歌なんて歌えねえじゃねえか……!!」
乾いた笑いが口を歪ませ、目の裏がやけどするほど熱くなり……俺の目から塩からいものが、ぼろぼろぼろぼろあふれ出した。
同じだよ、俺も、こいつも、『宗教』にぼろぼろにされた同士だ……。
潤んで歪む視界の中で、教祖は声もなく口を押し開け、切られた舌を動かした。その瞬間――まるで奇跡でも起きたように、クモの糸が金色の光になって舞い散った。翼持つ少女は白銀の長い髪を揺らし、重さのない生き物みたいに、俺の胸もとへ降りてきた。
解いたのか、呪いを。自分を想ってくれる存在のあることに気がついて、本来の能力を発揮したのか……頭のどこかでおまけのように考えながら、俺は少女の背中におそるおそる手を回す。ふわりと、綿のような感触。縛られ続けた虹色の翼はもつれてほつれて、それでもとても心地良かった。
「……天使みたいだ……天使みたい……」
ただ繰り返しくり返しながら、俺は泣きながらぎゅうっと腕に力を込める。少女のオパールのような瞳からもぽろぽろ熱いものがこぼれて、俺たちはただひしと抱き合っていた。
――ひたすらに、ただひたすらに救いを求め、今救われた同士みたいに。
* * *
こうして新興宗教は事実上終わりを告げた。教祖さまは一応の取り調べを受けた後、当然ちゃんと釈放された。俺は彼女をひきとって、同じ家で暮らし始めた。
彼女は日ごとに回復し、庭を飛び回るようにもなった。今では近所の人気者だ。『翼にさわると恋愛成就! 成績アップ!』なんて冗談半分にうわさされ、いろんな人に「翼さわらせて」と寄って来られて、くすぐったそうに微笑っている。
出逢ってからもう五年経つ。俺も三十半ばを過ぎた。「結婚しないの?」という余計なお世話の質問には、こう答えることにしている。
「いや俺、家で小鳥と暮らしてるんすよ。歌えないけど顔のうるさい、やきもち焼きで――めちゃくちゃ可愛い小鳥とね!」
(完)