無宿渡世人
「てめぇ待ちやがれ!!!」
「おーい!こっちだー!追え!追え!!!」
夜の峠道に複数人の男たちの怒号がこだました、ここはまだ残雪残る信州の山の中
一宿一飯の義理で憎くもないヤクザ者を斬りその咎で斬った相手の仲間のヤクザから追われていた
「ハァ・・・ハァ・・・ちきしょうめ・・・しつこい野郎共だ!」
もう何の位山の中をかけずりまわっただろうか、道中合羽も脚絆も足袋も泥に塗れて身体もかなり疲労が溜まっている
この男、名を「下総無宿 沓掛の時蔵」という一本独鈷の旅烏、関八州にちょっとは名のしれた旅人で物心ついたころから渡世の道に入り今日まで斬った張ったで生きてきたと言われる男だ。
時蔵は提灯も持たず月明かりだけを頼りにどこともわからない山の中を追ってから逃れようと必死に駆けていた。
いつもの事とはいえ時蔵はうんざりしていた、斬りたくもない人間を斬り、恨まれたくもないのに恨まれるヤクザ渡世に心底嫌気がさしていたのだ・・・だが、時蔵はそれ以外の生きるすべを知らず、ヤクザとして生きる事以外の生き方ができるとも思わなかった。
いつまでもこんなことをしていては命がいくつあっても足りないだろう、足を洗ってカタギになろうと考えたこともあった悩みもした、だが時蔵は渡世の道からは逃れられず過酷な人生を日々送って食事と草鞋銭欲しさに今日も誰とも知らないヤクザをたたっ斬ったのだ。
身体に染み付いた血の匂いは時蔵をカタギにすることを許さない、自分のしてきたことを考えたら決して仏様も許してくれないだろう、だから時蔵はこうして今日も追われている。
真っ暗な闇の中をひた走ると妙に明るいところにでた、月明かりが煌々と射す小さな原っぱのようなところで後ろには岩壁がみえる・・・どうやら崖っぷちのようだ。
退路を絶たれた時蔵は覚悟を決めて三度笠の紐を締め腰に挿した長ドスに手をかける、1尺9寸5分ある愛刀は無銘なれど重ね厚く切れ味もまた鋭い、小柄の付いた拵も鉄鐔と鉄環、鉄こじりで固めた実用的な物だ。
このドス一本で時蔵は何人もの敵を斬りヤクザ渡世を渡り歩いてきた、身よりも無く頼れるものが何もない時蔵が唯一頼れるものがこの愛用の長ドスだ、他人の命を奪い自分の命を救う人斬り包丁が今の時蔵にはかけがえのないものなのだ。
迫る追っ手を討つべくドスを抜いて時蔵が構えると同時に追ってのヤクザが時蔵を取り囲んだ
「やい時蔵!とうとう追い詰めたぞ・・・観念しろぃ!」
「後ろは崖だぜ?さあどうする!!!」
進む事も戻ることもできなくなった今、時蔵ができることはたった一つ
「どうするもこうするもねぇやな・・・いくぜぃ!!」
バサッと道中合羽を翻し時蔵は全く怯みもせず8人の追っ手に切り込んでいった
「ぎゃーーーーー!!!!!」
という声が上がったかと思うと合口を持っていた手を切り落とされたヤクザが血が吹き出す手首を押さえながらもんどりうつ、その姿を見て一瞬怯んだ他のヤクザを時蔵は見逃さずあっという間に2人斬り3人斬り、そしてとうとう最後の一人になったとき
「さぁ、あとはおめぇさんだけだぜ?どうしなさるんでぇ?」
「て、て、て、てめぇ!こんちくしょう・・・!」
月明かりと崖っぷちを背負いドスを握り直しゆっくりと間合いを詰めていく時蔵、あんなに威勢の良かったヤクザもすっかり歯の根も合わないほど怯えて握ったドスをカタカタと震わせていた。
「往生してもらうぜ・・・」
時蔵が刀を振り上げたその時だった
「!!!!」
何かが時蔵の足を掴んだ、最初に片手を切り落とした三下ヤクザだ
「あ、アニキ!いまだ!!」
「てめぇ、この野郎!離しやがれ!!」
時蔵は振り払おうと足をあげたが死に物狂いで片腕でしがみつくヤクザを振り払えずにいた
「三吉!すまねぇ!時蔵くたばれぇぇーーーーーーーー!!!」
「チッ!どきやがれ!!!」
ドスッ!
「ぐぇぇ・・・」
時蔵の足にしがみつくヤクザにとどめをさしてなんとか振りほどくも長ドスを大上段に構えて突っ込んできたヤクザの刀をなんとか受けたもののあまりの勢いで刀を叩きつけられたので体勢を崩しもつれ合い時蔵は崖下に真っ逆さまに落ちていった。
岩肌にぶつかり全身を殴打されて薄れゆく意識のなか時蔵は思った
「ああ・・・やっぱりヤクザの行き着く果なんかこんな甲斐のない人生だったか・・・」
日々死を覚悟して歩んでいたヤクザ渡世とはいえなんともあっけなくなんのために生まれてきたのかもわからないヤクザな自分を呪うように死んでいく自分が悔しくて悲しくて意識がなくなる直前に時蔵の頬を涙が伝っていったのを時蔵は感じた。