中編
中年男性は、「三谷」と名乗った。
彼も俺同様おにぎりの爆発に気付き、何度もあのゆるキャラを目撃しているという。
「私の考えでは、あれは多元世界的な存在なのだと思う」
俺の疑問に答えて三谷さんは言った。
「よく、フィクションなんかで異世界とか、異世界転生というだろう?
あれの仲間に『多元宇宙』というのがある。つまり世界は複数同時的にいくつも存在していて、それが場合によって干渉し合う、ということだ。奴らはきっと、そこから来たんだ」
「──あの、奴らってことは、他にも居るんですか?」
「もちろんさ。カップラーメンだけじゃない。おにぎりの着ぐるみも見た。おにぎりは今日君が見たことを商品棚のカップラーメンに対して行う。爆弾ではなく、猛毒に変えるんだ。私はそれを食べて泡を吹いて死んだ人間を見た──」
とても信じられない話だった。
けれども、俺自身見てしまっている以上、否定は出来なかった。
ピピピピ
俺のスマホが鳴った。
会社へ遅刻しない為のアラームだった。
「あの、電話番号かなにか交換しませんか?」俺は言った。
「残念だが、私はある事情で電話を持っていない。ただ、私はいくつかのコンビニを渡り歩いて監視を行っている。範囲はそんなに広くない。どこかのコンビニでまた会えるだろう──」
俺は三谷さんと別れ、会社へと急いだ。
ずいぶん話し込んでしまったので遅刻ぎりぎりだった。
「──たいへん哀しいお知らせがあります。今朝■■部の■■君が自宅で亡くなっているのが解り、奥様の話では──」
社長が行う朝の訓示──
そこで俺は、昨日カップラーメンを渡した先輩が亡くなったことを知った。
食中毒か何か、とのことだった。
俺は悲しさよりも、申し訳なさでいっぱいだった。
直感的に、死因はカップラーメンだと思われた。
まるで自分が殺してしまったような罪悪感だった。
昼休み、俺はどうしてもこの体験を誰かに聞いてもらいたくなって、あの優しいおばさんに全てを話した。彼女は否定せず、ただ黙ってそれを聞いていた。
俺は解ってもらえたと思った。
他人に話したことで少し気分も楽になっていたが、夕方部長に呼び出された。
「──君、疲れてるだろ? 分るよ。■■君が亡くなってショックだよな? 君は一番、彼と親しかったから。せっかく有休も余ってることだし、一週間くらい休みを取って心と身体を落ちつけるのはどうだろう?」
精神状態を疑ったおばさんが、部長に報告したようだった。
俺はむしろ、この休みを喜んだ。
この世界には危険な着ぐるみが居る。
もう一度三谷さんに会いたかったし、俺もコンビニを監視すべきだと思った。
次の朝、俺はいつものコンビニへ行った。
ぐるりと店内を見渡すも、着ぐるみの姿も三谷さんの姿もない。
俺は近場のコンビニのいくつかを、順番に回ってみることにした。
通り道ではないので普段は行かないが、大手コンビニは全てこの近場に密集していた。
三軒目に入ったコンビニで、俺は見つけた。
三谷さんの言っていたおにぎりだ!
そいつは本当に三角形だった。
一部分にだけ、長方形の海苔が巻かれていた。
間抜けなのは目玉に相当する部分に小さなゴマ塩が二つ、ちょこんと付いていたことだ。
そいつは棚と棚の間をぴょこぴょこと歩きながら、やがてカップラーメンの棚に移動した。
以前見た「色々な商品を触っては棚に戻す」動作──
俺の大好きな、海鮮系スープ味を選び出す。
おにぎりはまるでバーテンダーがシェイカーを振るように、両手でつかんでシャカシャカやりだした。カップ内の具材が立てる音がこちらにも聞こえて来る。
やがて──
チーン
いつもの電子レンジの音が響き、おにぎりのゆるキャラはそれを棚に戻すと、ぴょこぴょこ歩きで立ち去った。
──本当に居たんだ。
俺は迷った。
おにぎりがどこに行くのか追い掛けてみたかった。
けれども、やはりこの猛毒を放置出来ないと思い、レジに並んでそれを買った。
「やあ、また会ったな」
コンビニを出たところで、俺は三谷さんと再会した。
どうやら今から、このコンビニを監視する予定だったらしい。
「ついさっき、おにぎりを見たんです。三谷さん、あいつと鉢合わせしませんでしたか?」
「通りで出会わなかったか、という意味かい?
実は、それは無理なんだ。奴らは一定時間で瞬間移動する。私は何度も奴らの跡を追ったことがあるんだが、いつも突然消えてしまうんだ。
きっと奴らはそうやって、次のコンビニへ移動しているんだと予想しているよ」
なんという狡猾な連中なんだ!
俺は恐ろしさと同時に怒りを感じた。そして提案した。
「三谷さん! 俺と一緒にこの事実を公表しませんか? 爆弾や猛毒が存在していることは現実なんだから、俺と二人で皆に伝えれば──」
「──それも、無理なんだよ。理由を教える。ちょっと見ていてくれ──」
三谷さんはそう言い、コンビニの入口前に近付いた。
やがて、ドアが内側から開いて、杖をついたお爺さんが中から出てこようとした。
三谷さんはいきなり、
「わあっ!」
と、お爺さんに向かって大声を出した。
普通なら、お爺さんは驚いてその場で腰を抜かす──みたいな事が起こるだろう。
ところが、お爺さんは全く気にも留めず、あるいはそんな事などなかったかのように歩み去って行った。
「──解ったかい? 私の存在自体が、もう他の人間には見えないのだ」
「──それは一体──どういう?」俺は理解不能だった。
「場所を変えよう。ちゃんと説明する。ただ今の君は、皆からは一人で喋っているように見えている。それは君にとって困るだろう?」
俺と三谷さんは、ひと気のない公園へ行った。
そのベンチに座ると、彼は話し始めた。
「少し長くなるが許して欲しい。
決して退屈な自分語りをしたい訳じゃなく、必要だから話す。
私はある時期、自分が経営していた小さな会社を潰してしまい、そのことで心を病んだ。
一種の引き籠りになってしまったんだ。
それまでの私は食事を全てコンビニで済ませていて、だから定番はおにぎりとカップラーメン。けれども、引き籠りになってはコンビニへも行けない。
意図せずして、食生活の変化が起こってしまった訳だ。
そうやっておにぎりとカップラーメンを食べなくなってみると、私は奴らが見えるようになった。
私は奴らの行う恐ろしい犯行に気付き、それを防ごうとし、同時に二度とおにぎりとカップラーメンを食べないと誓った。
しかしそうやって食べなければ食べないほど、私は人間からも認知されなくなった。
これは多分、奴らが巧妙に仕掛けた防御システムなんだ。
つまり、自分たちの存在を認知し、二度とおにぎりやカップラーメンを食べなくなった人間は奴ら同様に周囲から認知されなくなる。そうすれば世間に公表することは出来ない──」
「ちょっと待って下さい」俺は言った。
「その話には矛盾がある。確かにコンビニは便利だし、ほとんどの人間が利用している。
けれど、全ての人間が毎日コンビニのおにぎりとカップラーメンを食べている訳じゃない。
例えば今までに、一度もおにぎりやカップラーメンを食べたことのない人間はどうなるんです? 赤ん坊はその最たる例ですよね?」
「私の考えでは、基本的に奴らを認知できる方がイレギュラーなのだと思う。
本来は気付けないのが普通で、多くの人々は生涯、絶対に認知できない。
しかし何事にも例外はある。
致死率の高い伝染病に罹患しても全く症状が出ない人間がいるように、時折、奴らを当たり前に認知してしまう人間がいる。私の存在が君だけに見えている理由もきっとそれだ。
だから奴らはその予防策として、記憶の操作も行っているのではないか?
私や君のようなイレギュラーが、おにぎりやカップラーメンを食べ続ける場合、奴らを認知もできず、記憶にも残らない。いってみれば、イレギュラー専用に仕掛けられた防御システムさ。
そしてここから先は本当に私の勝手な予想だが、私は今でも、おにぎりやカップラーメンさえ食べれば、周囲の人々から認知してもらえるようになると思うのだ。
しかしその瞬間、私は奴らを完全に忘れる。
普通に考えて、孤独になった人間はそれに堪え切れず群れに戻ろうとするだろう? けれども、それが罠を発動させてしまう──とね?」
言われてみれば俺も奴らを見る数日前、体調不良でおにぎりやカップラーメンを食べなくなっていた。
三谷さんの予想が当たっているとすれば、やがて俺は皆から認知されなくなってしまう。
それはとても恐ろしく、実に巧妙だと思った。
「──奴らは、どうしてこんな事をやっているんでしょうか?」俺は言った。
三谷さんは黙り込み、やがて難しい顔で言った。
「──解らない。ただ、お互い競い合っているようには見える。
奴らだけに解る何かの戦いをしているのか──あるいは一種のゲームなのか。
どちらにせよ、人類にとっては迷惑ということだよ──」