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住宅街にひっそりと棲みついた野良猫のように、僕はすれ違う人々を明け透けに避けながら歩みを進めていた。とは雖も、一度の散歩ですれ違うのはせいぜい二、三人ほどで、今日も例に漏れず、道中ですれ違ったのは二人のご年配の方々だけであった。
家から少し離れたところまでやってくると、辺りは闃として物音一つなく、まるで僕一人だけがこの世界に取り残されたかのような気分になった。「随分と遠くまで来たな」と、舞台の役者が傍白を言うように吐き捨てると、海岸はおろか、磯の香りすら感じられないようなところで踵を返した。
暫くして、遠くから些か大きな黒い影が近づいてくるのに気が付いた。
さも遠くの景色でも眺めているかのように、その影の様子を窺ってみると、どうやら女性が車椅子に乗っていて、その車椅子を男性が押しているようだった。すれ違うときに足元を眺めながら女性の方に視線を移すと、僕の視線は彼女の顔に吸い込まれた。彼女の顔が歪んでいたからだ。
数瞬のことだったので正確にはわからないが、その歪みはおそらく神経麻痺によるものだった。表情と呼べるようなものがなく、無感情であるかのような面持ちで、ただひたすらに遠くにある何か一点を見詰めているようだった。
しかしどういうわけか、ほんの少し前までは表情があったのではないか、と感じずにはいられなかった。彼女の顔には、かつて笑ったり泣いたりした跡があったように見えたのである。