08.二人の共通点
十数分後。羽鶴の呼びかけにより、総悟は再び羽鶴の部屋に。
「本当にすみませんでした!!」
そして開幕の土下座。総悟は床に額を力強く押しつける。
痛かろうが痕が残ろうが構わない。誠意を態度で示す以外、なにがあるというのだろうか。総悟には金がない。
着替えが済んだにも関わらず、羽鶴は毛布を一枚羽織っている。総悟に対するそれなりの警戒心が見受けられる。
「いいよもう。もとはと言えば合鍵渡したお姉ちゃんが悪いし、心配させた私にも非があるんだから」
「だけどやっぱり不法侵入だし年頃の女性のバスタオル姿覗いちゃったし本当にごめんなさい警察でも消防でも救急でもなんでも突き出してください罪を背負います!」
「テンパりすぎてわけわからなくなってるよ総悟くん……」
そこまで反省されても羽鶴としては困る。故意でないことは伝わったし、過ぎたことを責め続けても話が進まない。
「それで、なんで私の部屋に来たの?」
そうだったと我に返る総悟。今日は覗きに来たのではない。
「羽鶴さんが学校に行きたくなるおまじないをかけにきた!」
「催眠術とかじゃないよね……」
「違うよ! 僕が学校であった出来事を聞いてほしいんだっ」
きっと興味を示してくれるだろう。
そう甘く考えていたのだが。
「……別にそんな聞きたくないけど」
「え……」
予想外の返答にしゅんとなる総悟を見て、羽鶴は罪悪感を感じてしまう。
半分いじわる半分面倒くさいのだが、そんなに悲しい顔をされるといたたまれなくなる。
「あ、ううん。でも少しだけならいいよ」
「本当に? ありがとう! それじゃあ入学式のときから話すねっ」
長話になりそう……と羽鶴は若干後悔をしているが、総悟は順を追って話し続けた。
「……で、最初にできた友達が琴乃さんだったんだ!」
「その琴乃さんって人、すごいコミュニケーション能力だね」
「うんっ。一緒のクラスになれてよかったよ。ただ次が問題で……」
「なにかあったの?」
「クラスで一人ずつ自己紹介することになったんだけど、そのときに大失敗しちゃったんだ」
「ええ……」
自分の失態を話すべきか迷ったが、包み隠さず打ち明けることを選んだ。
「阿多部って苗字だから、いつも出席番号順で阿部くんよりも早かったんだ。だからそれをギャグにしようとして『阿部より早い阿多部です!』って言っちゃってね……」
「…………」
「や、やっぱりつまらないよね」
やがて羽鶴は小さく揺れ、声を出しつつ笑みを浮かべると。
「ふふ、おもしろい……」
「本当に!?」
「うん、私はおもしろいと思う。だって確かに阿部より早い、ふふ……」
想定外の好感触。
お世辞ではなく、本気で羽鶴は面白いと感じている。
相江羽鶴は、笑いの沸点が阿多部総悟と同じだった!
「こういうのはどう? 阿部くんよりも文字数も漢字も多いから『阿部より多い阿多部です』なんて」
笑いつつ、羽鶴はさらに提案してみるも。
しばらく黙ったまま、総悟はなにも返さない。
「あ……ごめんね。人の名前で勝手にギャグにしたら怒るよね……」
そんなはずがあるわけなく、数秒後に総悟は全身で喜びを表した。
「すっごくおもしろいよ羽鶴さん! それ今度使ってもいいかな?」
「ふふ、もちろんいいよ」
笑いの沸点が同じだと世界は平和であった。
勢いづいた総悟は話を再開する。羽鶴も最初よりかは緩やかな様子で聞けている。
「そして今日新しく友達ができたんだ! 片岡拓哉くんって言ってちょっと根岸さんみたいな人なんだよ」
「大丈夫いじめられてない?」
「羽鶴さんのなかでの根岸さんはそんな凶悪男なの?」
「だって見た目怖いから……優しい人なのは知ってるけどつい」
「大丈夫片岡くんも根岸さんも良い人だよ!」
「……ふふ」
羽鶴が再び笑った。
「どうしたの羽鶴さん? もしかしてまた僕おもしろいこと言った?」
「ううん全然違う。ただ、総悟くんさっきから楽しそうに話すからちょっとつられちゃって」
「そう? でもそう見えるんだ」
「うん」
琴乃に感謝だ。これはひょっとすると上手くいくのではないだろうか。
「じゃあ学校に行きたくなった?」
「うーん、別に……」
「あー残念」
結論を急ぎすぎた。
「でもね、またお話ししてほしいかも。ちょっと楽しかったし」
「ほんと!? じゃあ明日も来るね」
「明日はいいけどそんな頻繁に来られても……あとね、スマホの連絡先教えるから、来るときは事前に教えてほしいかな。今日のことがあると今後も困るので」
「本当にごめんなさいでした!」
暗に合鍵を絶対に使うんじゃないぞという意味合いに聞こえる。
おそれながらも総悟は羽鶴の連絡先を入手した。
「今日は誠に申し訳ございませんでした。あと、話聞いてくれてありがとうっ」
「ううん、私もいい気分転換になったし」
「次は学校に行きたくなるような話ができるようがんばるからね!」
「ほどほどにね……」
今回は一歩前進できた気がする。
満足気分で帰ろうとする直前、羽鶴から「一つ聞いていい?」と呼び止められた。
「総悟くんは好きな食べ物ってある?」
「あるよ! ミートボールかな」
「……ふふ。そっか。わかったありがと」
「なんでいま笑ったのさ」
「ううん気にしないで、それじゃあまたね」
子どもっぽいと思われたに違いない。
部屋を出て階段を下りると、隣人の凛太朗がちょうど帰宅したところだった。
「あれ、阿多部くん」
「モリリン先輩こんにちは! いま学校から帰ってきたんですか?」
「買い物とかいろいろ寄り道してたら遅くなってね。阿多部くんは二階に用事?」
「はい! 羽鶴さんに学校へ行きたくなるおまじないをかけてきました」
「え、なに催眠術?」
「違いますって!」
自分はそんな物騒な輩なのだろうか。
事情を話すと凛太朗は大いに感心している。
「阿多部くんってアグレッシブだよね。俺には真似できないよ」
「そうですか? あまり自覚はないんですけど」
「大したものだよ。しかし相江さんが学校に行きたくなるようにか……」
「やっぱり難しいですか?」
「まあね」と凛太朗はゆっくりうなずく。
「最終的には本人の気持ち次第だからね。人の気持ちを変えるのってなかなか大変だと思うよ」
「なんだか実感こもってますね」
「まあね……」
絶賛片思い中の男が吐く台詞は、総悟には結構な重たさだ。
「そういえばなっちゃんから歓迎会のこと聞いた?」
「はい、今度の土曜日ですよね」
「うん。歓迎会って言っても飲み食いするだけだから、あんま身構えなくていいからね」
「一発芸をする必要はないんですか?」
「え、したかった?」
自己紹介で懲りてない総悟。なんだかんだでその手の類が好きなようである。
「モリリン先輩が入居したときも歓迎会したんですか?」
「したよ。特に何事もなかったけど、びっくりしたのが管理人さんだったね」
「管理人さんがですか?」
凛太朗が思い出し笑いをするので余計気になってしまう。
だが。
「そうそう。歓迎会のとき管理人さんだけお酒呑んでたんだけど、意外にも呑むと大人しくなって眠るタイプだったんだよね」
「そ、そうなんですね」
総悟が一歩下がったことに凛太朗は気づいていない。
「びっくりだよね。普段おっかなくて凶暴だから、呑んだらもう手がつけられなくなるぐらい暴れるんじゃないかっててっきり思っててさ、あはは」
「えっと、その、悪気があったわけじゃないんで許してあげてください……」
「え、なんの話? ……あ」
凛太朗が振り返ると、そこにはなんと管理人の姿が。
「モリリンくん? ちょっとアンタの部屋でゆっくりお話しでもしましょうか?」
「いえ、俺は別に……」
管理人の声は落ち着いているが、確かな怒気がこもっている。
逃がすまいと凛太朗の肩をがっしり掴んでいるあたり、胸中穏やかでないことが丸分かりだ。
「じゃーね阿多部くん。アタシがどれだけおっかなくて凶暴かを彼に教えてあげなきゃいけないから」
「は、はい。さようならですっ」
「ちょ、阿多部くん、待っ」
凛太朗の部屋のドアが静かに開き、静かに閉まる。
のちの怒号は聞くまでもない。