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05.最初の説得

 問答無用で羽鶴の部屋の鍵を開けて「きたわよ」とだけ言い、部屋にずかずか上がっていく二人。合鍵は便利。


「……!?」


 桃色のパジャマを身にまとい、完全に休日スタイルの羽鶴。

 突然の訪問者に目を丸くしているようだが、それよりもいまの羽鶴の行動に対して、二人はなるほどと納得してしまった。


「アンタなにしてんの」

「……運動不足解消に」


 ベッドに腰を落ち着かせて、ゴムボールを投げて向かいの壁に当てているそれは果たして運動と呼べるのだろうか。当てては投げ当てては投げ、当てたあとベッドに戻ってこなかったら自力で取りに行くあたり、確かに身体は動かしている……のかもしれない。


「運動不足を気にしてるのは偉いけどそれで解消できると思ったら大間違いよ。あと壁にボール当てるのやめなさい、壁痛むし隣の根岸が文句垂れてたわよ」

「根岸さんなら別にいいかと思って……」

「アンタって子は……とにかくうるさいから禁止ね。どうしてもやりたいなら外でやりなさい」

「じゃあもうやらない」

「アンタって子は」


 壁ドンの正体見たりゴムボール。

 自信作の一句ができてちょっと得意気な総悟を見て、羽鶴は気づく。


「あれ、あなた、あのときの……えっと、阿多部、総悟……くん?」

「覚えててくれたんだ。総悟でいいよ! 同い年だし同じ高校だし同じクラスだし前の席だし」

「だしだしうるさいなキミは」


 このとき夕飯の献立にだし巻き卵を追加しようと決意する管理人だった。


「じゃあ私がいなければきっと一番前の席だったんだね、なんかごめんね……」

「まさかそんなことで謝られるとは思わなかったよ……ん?」


 ふと視界に入ったのは散らばっている大量の本。視力が良い総悟にはどんな本か意図せずともわかってしまう。


「すごい参考書や問題集の量だね。羽鶴さん、家で勉強ばかりしてるの?」

「うん、勉強好きだし一人で集中してできるから」


 参考書も問題集も各教科それなりに持っている総悟だが、どれも自分が読んことのない本ばかりだ。


「僕も勉強大好きなんだ! 少し読んでもいい?」

「え、まあ……ちょっとだけなら」


 思わぬところで食いつかれたため、羽鶴は若干引いていると同時に「この人なにしに来たんだろう」と冷たい目で見ている。

 その間、羽鶴と管理人は黙って総悟を見守るのだが……


「ちょっとどころか十分ぐらい経ってんだけど」

「あ、すみませんつい夢中で」


 管理人のツッコミでようやく総悟は我に返る。総悟にとって、参考書は漫画のような感覚であった。


「英語の本が特に多いけど英語が好きなの?」

「うん、読むのも書くのも聴くのも大好き。話すのも……まあうん好き」


 話すのはそこまで好きじゃないんだなあと総悟は解釈する。

 それにしても見た目と相まって英語は確かに得意そうだ。さっきの管理人との話もあるので、容姿というよりも髪に関しては極力触れないようにするが。


「羽鶴は翻訳家になりたいんだよねー? だから漫画も小説もほとんど英訳よねっ」

「翻訳家! すごいねかっこいいよ!」

「そんな大層なものじゃないよ。お家でできるし喋らなくて済むっていう理由だから……」

「でも夢に向かって努力するって立派だと思うよ!」


 真正面から褒められると羽鶴は照れていた。


「……総悟くんは将来の夢ってあるの?」


 羽鶴の何気ない質問に、総悟は満面の笑みで返す。


「ないよ!」

「おぉぅ……なんかごめんね」


 てっきり夢を持っているものかと思い込んでいたので、思わぬ答えに羽鶴は戸惑う。だが総悟は全く気にしていない。


「一応目標はあるよ。良い大学入って良い会社に入ってたくさん働いて、いままでお世話してくれた両親に恩返ししたいんだっ!」


 イキイキと語る総悟を見て、羽鶴は思わず表情が緩んだ。


「そうなんだ……私にとっては総悟くんの目標のほうがとっても立派だと思う」

「ありがとう! だけど将来の夢というか、やりたいことがなかなか見つからなくて……」

「大変だね……」

「うん……」


 ほんわかとした流れから一転、空気が沈んでいく。

 これはいかん、と管理人が総悟の肩を軽く叩いた。


「おーい、そろそろ本題に戻れ」

「あ、そうでした! 人生相談するところだった」


 そもそもどうしてこんな話題になったのだろうか。人生相談を中断し、総悟はようやく説得を試みた。


「羽鶴さん、学校行こう!」

「やだ」


 説得失敗。

 だが総悟は諦めない。


「学校いいとこだよ! いろんなことが学べるし!」

「いろんなことって?」

「…………勉強とか」


 いろんなこととはいったい。当然羽鶴は納得していない。


「勉強なら家でできるよ。だから行かない」


 この本の量で一目瞭然だ。

 だがまだ総悟は諦めない。意味のない身振り手振りを加えて説得を続行する。


「友達もできるよ! 僕も今日一人できたし!」

「……私じゃ無理だよ」

「大丈夫! 僕もその人以外にできる気がしないから!」

「…………」


 悲観的な羽鶴を励ますつもりが、自分もへこむ結果となってしまった。


「僕もひきこもりたい」

「おいミイラ取りがミイラになるな」


 管理人からの再三の呼び覚まし。いかんいかんと首を振り、総悟は考える。

 とはいえ現時点ではどうやっても説得は難しい。総悟自身が学校の魅力を説明できない以上、羽鶴が納得できるわけがないだろう。

 だけど、期待することは自由だ。


「とにかくさ、いまは僕もまだわからないけど、きっとこれからたくさんたくさん楽しい思い出が作れると思うんだ! だから一緒に行こう?」

「……」


 総悟の説得に心打たれたわけではないが、その屈託のない明るい笑顔と純真な瞳に、羽鶴はほんの少しだけ考えそうになる。


「そうだそうだ学校行け」

「わ、根岸さん」


 気がつけば後ろに根岸が立っている。少し心臓に悪い。


「どうしたのよまだなんか用?」

「この前阿多部に手土産もらったからお返しにきたんだよ。隣にいたから階段下りる手間が省けた」


 ほらよ、と根岸はビニール袋を総悟に渡す。袋の中身はたくさんの真っ赤なリンゴだ。


「わあ、美味しそうですね。ありがとうございます!」

「根岸ー、アタシにはないの?」

「そう言うと思ってちゃんと用意してある」


 そして管理人にも何個か渡す最中、羽鶴がじっと根岸を見ている。


「なんだよ」

「私も欲しい」

「お前わりと図々しいよな」


 まあいいけどよと文句言いながら羽鶴にもあげるあたり、見た目とは裏腹に優しい人なのかもしれない。


「で、どうする羽鶴。学校行く気になった?」


 念のため管理人は聞いてみる、羽鶴はかぶりを振る。


「ううんならない」

「まあさっきのじゃそうよね」


 自分が手応えを感じていないとはいえ、他者から改めてそう言われると少し悔しさが残る総悟であった。


「でも……総悟くんならきっと、楽しい高校生活が送れるんじゃないかって思う」

「……うん、送るよ。送ってみせる! だから羽鶴さんも」

「行かない」

「はい今日はここまで。じゃあね羽鶴」


 堂々巡りになりそうなので管理人はここで打ち切り、羽鶴の部屋をあとにした。



「だめでした」

「羽鶴はあれで頑固なところあるからね」

「でも僕が学校の楽しさをもっと上手く伝えられれば……」


 廊下でプチ反省会をする二人プラス根岸。いきなり無理難題を押しつけられたとはいえ、説得できなかった総悟は不甲斐ない気持ちでいっぱいになっていた。


「そんな阿多部くんにこれを上げよう」


 管理人が総悟に授けたのは、一本の鍵。

 非常に見覚えのある形をしているが……


「これは……なんの鍵ですか?」

「羽鶴の部屋」

「ええ……」


 見覚えがあるのは自分の部屋の鍵と似ているからだった。


「合鍵よ。それで好きに出入りできるからいくらでも説得してあげてちょうだい」

「倫理的に大丈夫ですかね」

「羽鶴にも言っておくし大丈夫よ、クソ真面目っぽい阿多部くんなら安心できるから。なんか見てておもしろいし羽鶴も楽しそうだったわよ」


 本人に許可を取るとかの問題じゃないですし自分はそんなクソ真面目じゃないですしといろいろ反論したい総悟だが、最後の一点で全て帳消しになる。


「……羽鶴さん、あれで楽しそうだったんですか?」

「あの子はあまり顔に出ないからねー。阿多部くんは逆に顔に出すぎ。いままさに」


 意外にも好反応だったことを知って喜びを隠せない。てっきり失敗したと思っていただけに。


「ね、根岸さんも顔に出ないタイプですよね」

「なんでそこでオレを話題に出すんだよ……」


 照れ隠しで根岸に話を振るがあっさり拒否されてしまった。


「羽鶴はいまのままで満足って思ってるけど、なにかきっかけがあれば学校にも行けると思うのよ」


 そのきっかけを、総悟になら見つけられるとでもいうのだろうか。

 しかし、そうまでして羽鶴を登校させる理由が総悟にはない。ただ同じアパートの住人が、たまたま同じクラスの前の席だっただけだ。

 だけど……


「そのきっかけを、僕が作ればいいんですね」


 不思議にも総悟は、羽鶴と一緒に学校へ行ってみたい気持ちが強く高まっている。


「ありがとう。期待してるわよ阿多部くん」


 羽鶴のことを気にかけてくれて、管理人はとても嬉しそうだった。

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