04.だから彼女は学校に行かない
ホームルーム後の入学式はあっという間に終わったが、なにを話していたのかあまり記憶がない。
総悟が抜け殻のような状態で帰ろうとすると、琴乃に呼び止められた。
「やっほー、阿部より早い阿多部総悟くん」
「……あ、苗字がどうでもいい若葉琴乃さん」
「そんな紹介した覚えはないな。それより一緒に帰ろうよ」
「あんな無惨な自己紹介した僕でいいの?」
「こりゃ重症だ。ほらほら帰ろ帰ろ」
行きと同様二人で帰ることに。
下駄箱までの間、琴乃ちゃんまたねーというような声がちらほら聞こえてくる。
「琴乃さんはすごいね。もう友達もできてたし自己紹介も上手だったもん」
「んー、わたしはそうちゃんのもおもしろいと思ったけどねー。普通考えつかないよ」
「ほんと!?」
総悟の精神的ダメージが少し和らいだ。
「でも前の子は『うざっ』って呟いてたけどね」
「ほんと……」
総悟に精神的ダメージが深く突き刺さっていく。効果は抜群だ。
「気にしない気にしない! まだ初日なんだから月日が経てば自然にできるよ」
「……そうだね!」
琴乃の優しさが心にしみ入る。彼女と同じクラスがなによりの幸運かもしれない。
そんな彼女とも帰り道が分かれるため、ここでさよならだ。
「それじゃあまた明日ねー。阿部より早い阿多部くん!」
「明日になったらそれ忘れてね! ばいばい!」
心に傷を負ったまま家に着くと、管理人と男性が一階の通路で話し合っている。
「管理人さんに根岸さん。どうしたんですか?」
「聞いてよ阿多部くん。このクレーマーが小さなことでケチつけてるのよ」
根岸という男性は二○二号室の住人であり、目つきの悪い長身の大学生だ。
「なにかあったんですか?」
「隣の部屋から壁を叩く音が一時間以上するときがあるんだよ」
数回程度ならまだしも一時間以上はおそろしい。もしも隣人の凛太朗がそんなことをやっていると思うと身の毛がよだつ。
「それは隣人さんが悪い気がします」
「いいじゃない壁ドンくらい大目にみなさいよ」
「大目にみて長時間はきついんだが。大体あの病弱娘がなにやってんだよ」
「年頃の女なんだから壁ドンの練習してるかもしれないじゃない」
「相手のいない壁ドンなんて不気味極まりねぇよ……」
そもそも壁ドンに練習は必要なのだろうかと甚だ疑問だが、話が拗れそうなので胸のうちにしまっておく。
結局、管理人は根岸のクレームを渋々受け入れた。
「わかったわよ、羽鶴には注意しておくわ」
羽鶴という名前に総悟は一瞬反応する。
同じクラスの前の席と同じ名前もとい壁ドン犯。なにゆえ壁ドンなのだろう。
「そうしてもらえると助かる。オレが直接言ってもいいけどあいつオレのことなめてるからな」
「長い付き合いだからねー。アンタがあんま怒らないのもあるけど」
要求が通って一安心した根岸は、総悟が熱い視線を自分に送っていることに気づく。
「どうした阿多部?」
「どうしたら根岸さんみたいに背が高くなれますか?」
「……阿多部、お前いま何センチだ」
「百五十八です!」
ちっさ。
奇しくも管理人と根岸の心の声が重なる。
「…………そうか。ちなみにオレが高一のときは既に百八十あった」
「ひゃくはっ」
未知の数字に絶句。
「つまりそういうことだ。じゃあな」
「え、伸びる見込みなしですか!?」
「アドバイスしてもし伸びなかったらオレのせいになるだろ? だから教えん」
そう言いながら根岸は振り返らず去っていった。
「いっちゃった……」
「アイツはああいう奴よ。阿多部くんは成長期なんだから健康的な生活してれば……きっと伸びるわよ」
「本当ですか!」
「……きっと伸びるわよ」
「どうして視線をそらすんですか!?」
果たして総悟の身長に未来はあるのだろうか。
「ところであの、羽鶴さんって苗字は相江っていうんですか?」
「そうよ? 相江羽鶴。一応キミと同じ神柳の一年生」
「その羽鶴さんと同じクラスになったんですけど、今日お休みだったんですよ」
「あー……」
それだけで管理人は全てを察したようだ。
「根岸さんも病弱って言ってましたし、羽鶴さんの体調ってよくないんですか?」
「日光に弱いだけでそこまで病弱ではないんだけどね……うーん」
日光に弱いのもだいぶ貧弱な気はする。
管理人は腕を組み、しばらく考え込んだ末。
「まあいっか。阿多部くんなら話しても」
「えっと、言いにくいことなら無理しなくても大丈夫ですよ」
複雑な事情で赤の他人に気安く話すような内容じゃないかもしれない。
「ううんそんなんじゃないのよ。ただまあ聞いてもどうすることもできないと思うけど。それでも聞きたい?」
「……はい、聞きたいです!」
どうすることができなくても、彼女のことを知りたい気持ちが不思議と強くなっていく。
相江羽鶴とは何者なのだろう。
「あのね阿多部くん。羽鶴が学校に行くことはないわよ」
「……え?」
出だしから衝撃的な一言だが、予想通りの反応に管理人は淡々と続ける。
「いろいろあってね。中学の頃から不登校なのよ。勉強は家でやって試験のときだけ保健室で受けてるわけ」
「そんなことできるんですか? 普通だったら出席日数とか足りないはずじゃ」
「神柳学園ってね、相江家の親戚が経営してるから多少の無茶は融通できるのよ。ただ羽鶴のお母さんからの条件はあるけどね」
裏口入学というものだろうか。そんなものは架空の存在で実在するとは思わなかった。
「そうだったんですか……ちなみにその条件ってなんですか?」
「学校の試験で常に学年一位になることよ」
学年一位という響きに、総悟は強い反応を示した。
「……もしかして、羽鶴さんはその条件を」
「そう、あの子は中学からずっとそれを満たしてるわけ。もちろんカンニングなんかしてないわ。それぐらいあの子は学校に行きたくないのというか外に出たくないのよ根が典型的なひきこもりなのよねえ」
どうやら裏口入学とはまた違うらしい。出席日数や体育などの実技はごにょごにょしているが、他は全て実力だそうだ。
知れば知るほど謎が深まる相江羽鶴。だけど、根本的な理由がわからない。
「いろいろあったって言ってましたけど、何があったんですか?」
「うーん……あの子の性格的なものもあるけど……主な理由は髪、ね」
「髪、ですか?」
初めて会ったとき、まず印象的だったのは。
「あの子の髪、綺麗な銀色でしょ。お婆ちゃんが外国人でその血を色濃く受け継いでたのよ。だけど小学生の頃、その髪が原因でいじめられたことがあってトラウマになっちゃってね」
「……」
なにがきっかけで不登校になるかはわからない。
総悟自身もまた、不登校になりかけた過去がある。
だから、理由は違えど羽鶴の気持ちはわかってしまう。
「染めてみたらって聞いてみたんだけど頑なに拒否されてね。染めてまで学校行きたくないって泣き出しちゃって」
「そういえば管理人さんはどうしてそんなに羽鶴さんを知ってるんですか?」
「アタシ? だって羽鶴のいとこだもの」
「そうだったんですか!」
二十歳は超えているとして……管理人はいくつなのだろう。
「年齢は聞くなよ」
「はい」
心の声と表情が合致していたようで厳重注意されてしまった。
そして管理人は本題に戻る。けっして年齢の話題から遠ざけているわけではない。
「身内だからかな、アタシもあんまりあの子にキツイこと言えなくて。成績も良いし無理に学校行かせなくてもいいって気がするのよ。いまは在宅でも仕事がやりやすい環境だしね」
半ば諦めたかのような言い方だ。
確かにそれも一つの選択肢かもしれない。本人がいいならそれでいいのだろう。
……だが。
「折角同じクラスになれたのにいないだなんて、少しさびしいです」
無関係なのに、赤の他人なのに、総悟の心は湧き立っていた。
「僕は羽鶴さんに学校へ行ってほしいと思います。折角の三年間を家にいるだけじゃもったいないです! 外に出れば、もっと勉強以外にも楽しいことやわくわくすることがたくさんあるはずですよ!!」
その熱意に管理人は圧されそうになっている。
「おお……たとえば?」
「えっと、勉強とか! 勉強とか、勉強とか……勉強とか?」
「結局勉強だけかい」
一気に冷めると同時に、管理人は妙案もといおもしろいことを考えつく。
「ねえ阿多部くん。折角だからその勢いで羽鶴を説得してみない? クレーム処理ついでにアタシも行くからさ」
「え」
「さあ羽鶴の部屋にレッツラゴーよ!」
「いまからですか!?」
湧き立ってはいるが、まだ心の準備ができていないのに連れていかれる総悟だった。